リバティーおおさか大阪人権博物館で今日まで開かれていた「在日100年の歴史を後世へ」を見て来ました。
東京にある在日韓人歴史資料館開設3周年を記念して大阪で行われた特別展で、在日コリアンの家族の肖像を通してその苦難と誇りの歴史を綴っていました。知らないこともいっぱいありました。
直木賞作家の立原正秋さんも在日でした。知りませんでした。
戦後すぐの1945年10月の福岡・博多港の写真、
朝鮮半島から引き揚げてきた日本軍人と、帰国しようとする朝鮮人の方々でごった返す風景は、歴史を凝縮した一こまです。
済州島から大阪まで旅客船航路が開かれていました。それも生野に済州島出身の方が多い理由なんでしょうか。
関東大震災のデマを暴く在日朝鮮人団の檄文にある
「記憶せよ我同胞日本人よ!!」(写真)
との『同胞』日本人への呼掛けからは、当時の在日朝鮮人の方々の苦渋の気持ちが読み取れます。
私は、85年前に朝鮮人の方から日本人に向けられたこの呼掛け「記憶せよ我同胞日本人よ!!」に応え、今日のことを記憶し、伝えていきたい。
今こそその時
東京にある在日韓人歴史資料館開設3周年を記念して大阪で行われた特別展で、在日コリアンの家族の肖像を通してその苦難と誇りの歴史を綴っていました。知らないこともいっぱいありました。
直木賞作家の立原正秋さんも在日でした。知りませんでした。
戦後すぐの1945年10月の福岡・博多港の写真、
朝鮮半島から引き揚げてきた日本軍人と、帰国しようとする朝鮮人の方々でごった返す風景は、歴史を凝縮した一こまです。
済州島から大阪まで旅客船航路が開かれていました。それも生野に済州島出身の方が多い理由なんでしょうか。
関東大震災のデマを暴く在日朝鮮人団の檄文にある
「記憶せよ我同胞日本人よ!!」(写真)
との『同胞』日本人への呼掛けからは、当時の在日朝鮮人の方々の苦渋の気持ちが読み取れます。
私は、85年前に朝鮮人の方から日本人に向けられたこの呼掛け「記憶せよ我同胞日本人よ!!」に応え、今日のことを記憶し、伝えていきたい。
今こそその時
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