おもかげや姥ひとりなく月の友 芭蕉
黄金色の稲穂の広がる姨捨の棚田の撮影に行ってきました。この句は1688年芭蕉が長楽寺来訪の折詠んだ句とされ、句意としては、「姥捨山に月を見ていると、捨てられてひとりで泣いている老婆の面影が浮かんでくる。その面影を今宵の友として月をながめよう」とあり、「田毎の月」としても有名な所です。60歳を過ぎると老婆たちは姥捨て山に捨てられたという話は東北の方でも聞いた話ですが、ここでもそんな悲しい話があったようです。自分を背負った息子が帰り道を迷わないようにと老婆は枝を折って道しるべを作った等という話もあり、下の方にある田毎の月と称する場所にも行ってみたのですが、満月が出たらさぞかし絵になる風情のところで、水面に月が全部映るなんて実際にはあり得ないにしても6月の頃また来て見たい感じの所でした。
黄金色の稲穂の広がる姨捨の棚田の撮影に行ってきました。この句は1688年芭蕉が長楽寺来訪の折詠んだ句とされ、句意としては、「姥捨山に月を見ていると、捨てられてひとりで泣いている老婆の面影が浮かんでくる。その面影を今宵の友として月をながめよう」とあり、「田毎の月」としても有名な所です。60歳を過ぎると老婆たちは姥捨て山に捨てられたという話は東北の方でも聞いた話ですが、ここでもそんな悲しい話があったようです。自分を背負った息子が帰り道を迷わないようにと老婆は枝を折って道しるべを作った等という話もあり、下の方にある田毎の月と称する場所にも行ってみたのですが、満月が出たらさぞかし絵になる風情のところで、水面に月が全部映るなんて実際にはあり得ないにしても6月の頃また来て見たい感じの所でした。