草むしり作「わらじ猫」中6
大久保屋の大奥様⑥
娘心と男心1
弥助が相生橋の辰三親分を尋ねたのは、大久保屋のようすを伺っていた二人組を見た翌朝だった。河岸での商売を早めに切り上げると、その足で親分を訪ねたのだった。
親分にはずいぶんと世話になった。夜鳴き蕎麦屋の親方の後をついていって、弟子にしてくれと頼んだ迄は覚えているが、その後気を失って倒れてしまったのだった。その日は朝からすきっ腹をかかえ、賭場のやくざに散々殴られた末に、川に落ちたのだ。あれでよく親方の後をついていけものだ。気がついたときには親方の家の布団の中だった。
弥助が賭場でこしらえた借金は、親兄弟の縁を切ることを条件に三人の兄たちが払ってくれた。それとて積もり積もった利子を入れればとても払える金額ではなかったが、利子の分は辰三親分の口利きで棒引きにされた。親分が袖の下などは絶対に受け取らないのは、ただ正義感が強いだけではなく、こういう時に融通を利かせるためなのかもしれない。
「お前、女の兄妹が居なくてよかったな。いたら間違いなく岡場所にたたき売られちまっていたで」
親分はそう言って、弟子入りのほうも親方に頼んでくれた。
弥助が訪ねていくと、辰三親分はおかみさんの飴屋で店番をしていた。親分は二人の弟の手を引いた女の子に飴を包んでやると、おまけだといって子どもたちの口に飴を放り込んでやっていた。店先に置かれた醤油樽の上には座布団が敷かれ、上で猫が気持ちよさそうに寝ていた。
親分に昨夜のあらましを話すと、その夜から親分も一緒に大久保屋を見張るようになった。そして新月の暗闇に乗じて押し込むだろうと、あたりをつけていたのだった。
「タマ、お手柄だったな」
親分がタマに声をかけた。
もうじき河岸の開く時間だ、騒ぎを聞きつけて野次馬たちが店の周りを取り囲んでいた。
小鮒でも釣ろうかと、何気なくたらした釣竿に大物の鯉が掛かったようなものだった。お縄にした盗賊一味は「木枯らしの宇平」と呼ばれる、手配書の回っている盗賊団だった。お紺はその引き込み役だった。お紺は目当てのお店に潜りこむと、まず手始めに店の奥のことを取り仕切る者を始末するのが手口だった。狙いを定めた相手にマムシを放つやり口から、仲間内では「マムシのお紺」と呼ばれていた。
大概は店の奥ことを取り仕切るおかみさんや女中頭が犠牲になる。取り仕切る者のいなくなった家など、押し込みに入るには容易いものだ。頼りにしていた者がいなくなっただけで、戸締りや火の用心がおろそかになってしまう。
だからお紺が引き込みに入ったお店は半年も経たずに、押し込みに入られてしまう。押し込みに入られた上に一家の中心人物を欠いてしまい、その後立ち直ることも出来ずに潰れてしまうお店の少なくはなかった。大久保屋では大奥様がマムシに噛まれそうになったのが一年前だという。お紺にしては随分と時間がかかったことだと思ったが、その後の経緯(いきさつ)を女中頭のお秀に聞いて親分はにんまりとした。
―タマにはお紺もお手あげだったようだな。
タマにことごとくたくらみを邪魔されて、口惜しそうなお紺の顔が目に浮かんだ。タマは親分の足元でさっきから毛繕いに余念がなかった。
「おい、ずいぶんと油ぎっちまったな」
タマがこぼした油に滑って腹を刺した大男は丑松といい、上州の赤鬼と呼ばれている。頭の中身は少々軽いが、はむかうものは拳骨で殴り殺してしまうほど凶暴だった。宇平一味の召し取りに誰一人けが人を出すことがなかったのもタマのお陰だった。
―それにしても不思議な猫だな。
親分がそう思っていると、勝手口の方か騒がしくなった。誰かが大久保屋の事件を聞いて駆けつけてきたようだ。タマはその声を聞くなり勝手口の方に飛んでいった
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