草むしり作「ヨモちゃんと僕」前11
(冬)おひげクリンクリン君⓶
「ストーブってなんて暖かいンだろう、好き好き大好き…。うっ、顔が焼けるように熱いなぁ…。あれ何だか嫌な臭いもしてきたなぁ」
「ああー、やっちゃった」
何が起こったのだろうと考え込んでいる僕を、お母さんが慌ててストーブの前から引き離しました。
「馬鹿ね、そんなに近寄るからよ」
ヨモちゃんに言われてしまいました。
「ストーブは暖かいけれど近づきすぎると危ない」。僕は髭を焦がすという災難にあって、ストーブの危険性を初めて知りました。
「おお、いよいよストーブのお出ましだな。田舎の隙間だらけの家は、エアコンじゃ暖まらないからな。この昔からある、石油ストーブじゃなきゃなぁ」
お父さんがお風呂からあがってきました。
「どうした、フサオ。片方の髭がクリンクリンじゃないか。寝ぐせでもついたのか」
お父さんが僕の髭を見て言いました。
「そうかフサオもストーブの洗礼を受けたか。ヨモギも最初は眉毛を両方焼いてしまったからな、お髭クリンクリンならまだいい方だな。しばらくは尻尾フサフサのお髭クリンクリン君だな」
「なんだ、ヨモちゃんも焦がしたのか」僕は思っただけで、口には出しませんでした。
お父さんが冷蔵庫を開けて、缶ビールを取り出しました。
台所の長四角の大きな箱は冷蔵庫と呼ばれていました。冷蔵庫の中にはかなり魅力的なものが入っているようで、お父さは中から何か取り出すたびに嬉しそうな顔をします。中でも缶ビールはお父さんの好物のようで、とても嬉しそうな顔をして取り出します。
「わーヨモギ、こんなところに居たのか。ごめん、ごめん」
お父さんはビールを持ったまま椅子に腰かけようとして、ヨモちゃんの上に腰を下ろしてしまいました。ビールに気を取られていて、椅子の上のヨモちゃんに気づかなかったのでしょう。
「痛いよ、ヨモギ。噛むことないでしょ」
ヨモちゃんが怒ってお父さんの足に噛みつきました。でも本気で噛みついたのではありません。
「まあそう怒るなよ、これはお父さんの椅子だよ」
けれどもヨモちゃんは椅子から降りようとしません。お父さんは仕方なく椅子に半分だけ腰かけて、ビールのプルタブを抜きました。
「ああ、うまい」
ビールのプルタブを抜く音は、缶詰を開ける音に少し似ていました。そういえば缶詰、このごろ食べていないな。缶詰食べたいな。
「カンヅメ―、カンヅメ―」
「なんだ、フサオもう眠くなったのか。お母さん、そろそろ湯たんぽ入れてやった方がいいよ」
お父さんはゴクゴクとおいしそうにビールを飲み始めました。
お父さんがあんまりおいしそうにビールを飲むものだから、ぼくもビールを飲んでみたいと思いました。ヨモちゃんはお父さんの椅子から降りる気はないようです。
「やれやれ、ヨモギには適わないなぁ」
お父さんは早々に晩御飯を食べ終わると、居間のこたつに引き上げていきました。テレビのスイッチを入れて、ニュースを見始めました。
お父さんはニュースを見ながら、時々難しい顔をする時があります。そんな時には決まってTPPという言葉がテレビから流れてきます。画面には大きな機械で稲刈りをする農家の様子が写し出され、TPPという言葉が流れてきました。お父さんにお茶を持ってきたお母さんも一緒にこたつに入って、テレビを見始めました。
日本がTPPに参加するようになると、海外からオレンジなどの安い柑橘類が輸入され、みかんが売れなくなるのではないかとお父さんは心配しているのです。
「お米や牛肉も、みかんやリンゴもみんな日本の物の方が美味しいわよ。お父さんのみかんだって世界一おいしいわ。分かる人にはわかるわよ」
「なんだいそれ」
「うーん。つまりお父さんのみかんは世界で通用するおいしさってだってことよ。だから先のことばかり心配しないで、とりあえず今年のみかんの収穫と出荷に全力投球しましょうね」
「そうだな、いくら儲かるかなって考えたら、百姓なんてやっていられないからな。子供たちもみんな独り立ちしたことだし、お母さんと猫くらいは養っていけるからな。ただし猫がこれ以上増えたらどうなるか分からないからね、もう拾ってきたらだめだよ」
「あの時はね、歩道と車道の境くらいの所でね、倒れていたのよ、この子が。アッ、死んでいるって思って、出来るだけ見ないようにして通り過ぎようと思ったの。でもね、どうしても目が行っちゃうのよね、そんな時って。ちらっと見たら、この子が顔上げてこっち見たの。目が合っちゃったのよ。家にはヨモギがいるって自分に言い聞かせたんだけど、どうにもならなかったのよ……」
お母さんはぼくを拾ったいきさつを話し始めました。お父さんはもう何度もその話は聞いたよって顔をしながら、それでも相槌を打ってお母さんの話を聞いています。
そのうちお父さんはこたつに寝転んでテレビを見始め、母さんも空になった湯呑みをもって台所に下がりました。しばらくするとヨモちゃんがお父さんのところにやってきました。
「ほらヨモギおいで」
お父さんはこたつ布団を持ち上げて、ヨモちゃんに声を掛けました。ところがヨモちゃんはお父さんの前を素通りして、勝手口のドアの前に座ってしまいました。
「お父さん開けて」
「自分で開けられるくせして。ちょっと待っていろよ。ああ、痛い。腰痛い……」
お父さんはこたつから出ると、腰をさすりながら勝手口のドアを開けました。
「ご苦労さんだね、ヨモギ」
外に飛び出していくヨモちゃんに声をかけました。ヨモちゃんは夕ご飯を食べ終わると、いつも外に出て行きます。しばらくすると帰って来るのですが、今日はお母さんが夕飯の片づけを終わって、お風呂から上がった頃に帰ってきました。お母さんがドライヤーで髪を乾かしているのか、ガーガーという音が聞こえてきました。
「ヨモギは、お利口さんね」
お母さんの声が聞こえてきました。でも声がちょっと変です。何だか困っているようです。
「お父さん、お父さん。お願い」
お母さんがお父さんを呼んでいます。
「おっ、ヨモギすごいじゃないないか。また頼むよ」
お父さんの嬉しそうな声が聞こえてきました。ヨモちゃんがネズミを捕って来たのでしょう。
ヨモちゃんには大切な仕事があります。夜になると出かけていくのは、倉庫のパトロールをしているからです。倉庫の中のみかんを狙ってやって来るネズミを退治するのです。かわいい顔をしたヨモちゃんには、ネズミ退治の達人という、もう一つ別の顔があるのです。
ヨモギは神様からの授かりものだよ。ってお父さんは言います。でもぼくはそれを嘘だと思っていました。実はヨモちゃんには人には言えない出生の秘密があって、それをごまかすためにあんな事を言っているンだと思っていたのです。けれどもいとも簡単にネズミを獲ってくるヨモちゃんを見ていると、あれはあながち嘘ではないような気がします。
勝手口のドアの音の開く音が聞こえてきました。たぶんお父さんが火箸でつまんでネズミを捨てに行くのでしょう。普通火箸は炭を挟むものですが、この家にはネズミ専用の火箸があります。
いつもなら僕もネズミを見に行くところなのですが、今日はどうした訳か起きるのがおっくうで仕方ありません。きっとお母さんが湯たんぽを入れてくれたからでしょう。湯たんぽはポカポカと温かくてとても気持ちがいいのですが、固いところがちょっと気になります。
その晩ぼくは倉庫の中で、大きなネズミを退治した夢を見ました。
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