草むしり作「ヨモちゃんと僕」後4
(夏)ネコは何かを我慢している④
「あら嫌だ、大変」
納屋からお母さんの声が聞こえてきました。お母さんはこの頃、上機嫌で家のお掃除をしています。もうじきユミコがトキオを連れてやって来るので、嬉しくて仕方ないようです。納屋の中で何かあったようです。ぼくたちは急いで納屋に走って行きました。
「お母さんどうしたの」
納屋の中でお母さんがジャガイモを選り分けていました。仕舞っておいたジャガイモが、ネズミに齧られてしまったようです。
「ヨモギ、ここにネズミが出るわよ」
お母さんはネズミの歯型の残ったジャガイモを残して、家に中に入って行きました。今夜はカレーライスかな、台所からタマネギを炒める甘い香りがしてきました。
「フサオおいで」
台所でヨモちゃんがぼくを呼んでいます。さっき夜のパトロールに出たばかりなのに、やけに早く帰ってきました。納戸部屋で眠っていたぼくは、慌てて台所に行きました。
「あげる」
ヨモちゃんは捕ってきたネズミをぼくにくれると、また外に出て行きました。この頃ヨモちゃんは、気が向くとぼくにネズミをくれます。ぼくは喜んで貰ったネズミをチョンチョンと突いてみました。でもネズミはピクリともしません。
「どうせくれるのだったら、生きている方がいいのになぁ」と思いましたが、自分で捕れないのですから文句は言えません。ぼくは仕方なくネズミを突いたり放り投げたりしていましたが、そのうちだんだんと面白くなってきました。
チョンチョンチョン、ボーン、パッ。ネズミを突いたり放り投げたり、空中でキャッチしたり、もう面白くて仕方ありません。ぼくはいつの間にか自分でネズミを捕った気になって、そこいら中を駆けずり回っていました。ネズミには、ぼく達ネコの野生の血を呼び起こす力があります。大昔人間が収穫した穀物をネズミから守るために、野生のヤマネコを飼い慣らしたのが、ぼく達ネコの祖先だと言われています。その後長い年月を経て、今のぼく達があるのです。
ヨモちゃんみたいにネズミ捕りの上手いネコや、ぼくみたいにへたくそな奴、中にはペットショップで売られている奴もいます。でもどんなネコでも、ネコはネコです。ネコにはネズミを見ると飛びかかっていく野生の血が、脈々と流れています。そして今まさにぼくの中の野生の血が、フツフツとたぎり沸点に達しようとしていた時でした。
「はいフサオ、ありがとう」
爪の先にネズミを引っかけて大きく空中に放り投げ、落ちた所に飛びかかろうと、低く身構えた時でした。お父さんの声がして、目の前のネズミが無くなってしまいました。
「あっダメ、ぼくの」
お父さんが火箸にネズミを挟んで立っていました。
「ぼくが貰ったンだから」
お父さんはぼくのことなんか無視して、外にネズミを捨てにいきました。でも一度騒いだ野生の血はすぐには収まりません。お父さんを追いかけて外に出たぼくは、お父さんの捨てたネズミを探して、そこいら中をうろうろしていました。
「フサオ、帰るよ」
遠くでお父さんの声が聞こえました。でもぼくはまだ家に戻って眠る気はしません。お父さんとお母さんはもう寝たのかな。あたりは真っ暗になっていて、軒下の電灯だけがポッンと点いています。電灯のほの暗い灯りに誘われて虫が集まってきています。虫たちは灯りの下でクルクルと輪を描いて飛び交っています。カタカタと電灯に体当たりしているのはカナブンです。緑色のキラキラとした体が電灯の下で怪しく輝いています。
「いただき」
ぼくは、カナブンが電灯にぶつかって落ちてきたところに飛びかかりました。
「どんなもんだい」
チョンチョンチョン、ボーン、パッ。今度はカナブンで遊び始めました。ちょっと迫力にかけるけど、自分で仕留めた獲物です。そのうちだんだんと面白くなってきました。
「楽しそうだね」
空の上から声がしました。
「誰、母ちゃん」
ぼくは空を見上げました。暗い夜空には母ちゃんの姿はなく、無数の星が瞬いているだけでした。ぼくは台風に連れて行かれそうになった時に、母ちゃんとはぐれてしまったことや、姉ちゃんが車に跳ねられて死んでしまい、ぼくだけ生き残ったことを思い出したのです。
「母ちゃん。台風の奴、また来るって。本当かなぁ」
ぼくは星に向かって話しかけました。でも、星はチカチカと瞬くだけです。
少し間延びした台風の声を思い出したのは、今年最初の猛暑日になった日の夕暮れ時でした。
薄暗い台所でお母さんが夕飯の支度を始めていました。トントンとまな板の上で何かを切る包丁の音がして、グラグラとお湯が沸きました。静かだった家の中が急に賑やかになって、ぼくは長い昼寝からやっと目が覚めました。
「今度来た時には、必ず連れていくからね」
台風の声が、不意に耳元でささやき始めました。
「来るな」
ぼくの体中の毛が逆立ちました。
「来るな」
ぼくは家中を逃げ回りました。
「あっ………」
急に辺りが明るくなりました。ぼくは眩しくて目をしかめました。
「どうしたフサオ、何かいるの」
明るさに目が慣れると、お母さんがぼくの顔を覗き込んでいました。
「なんか怖いものが見えたのかな。もう電気つけたから怖いものいなくなったでしょう」
お母さんは目を瞬かせているぼくの頭を撫でてくれました。少しザラザラしたお母さんの指先で撫でられると、ぼくの喉はゴロゴロと鳴り、逆立ったぼくの毛は静かに元に戻りました。
「あんなの嘘に決まっているよね、お母さん」
「うん、もう怖いモンなんていないよ」
ぼくの喉はいつまでもゴロゴロと鳴り続けました。
あれから時折台風のことを思い出します。思い出すたびに静かだったぼくの心にさざなみが立ち、ぼくを不安にさせます。
「ぼく、どうしたらいいの」
暗い夜空に星が一つ、光の尾を引いて流れていました。
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