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イマを見つめて
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ブログで自分の放火をスクープ?

2006年07月12日 01時34分00秒 | 社会・経済
人間が、他のあらゆる動物と決定的に違う存在となったのは、火を手に入れた瞬間と言われます。他のすべての生物が恐れる火を、自分の意のままに操り、利用できることになったことで、人間は地球上でトップの立場に位置し、文明や文化を生み出したとされます。ちなみに、火の話によく出てくるプロメテウスとは、ギリシャ神話に登場します。たらちねと言えば母のように、プロメテウスといえば火ですw
火は人類にとって功罪をもたらし、罪の部分で最も象徴的なのは核の火に代表されるような兵器、戦争――大量殺戮をもたらしたのも火という一面でしょう。
火とは神から与えられた神聖な物という意識から、世界の各地で「火祭り」のような祭礼儀式は数限りなく、日本でも枚挙に暇が有りません。火には、そういう神秘的、宗教的な意味合いを除いても、心理的に純粋に精神を高揚、興奮させる作用があるような気がします。キャンプファイアーなどは、その代表的な物と言えるでしょう。また火による興奮は性的エクスタシーとの接点も含まれる感じを受けます。八百屋お七の物語なども、その一例ではないかと感じます。よく「恋の炎」とか「燃えるような愛情」などと表現しますが、こうした表現に用いられるのも、決して単なる比喩だけではない気がします。さらに言えば、赤という色彩が感情を高ぶらせる効果があるのも、火と関係していると感じます。

で、本題です(長ぇ~マクラ)。
放火ブログのくまぇりさん。
この事件について取り上げてるいくつかのブログを読み回ったが「同じブロガーとして、この行動は理解できない」という論調が多かった印象を受けた。
筆者も「シンジらんなぁ~ィ」と言いたいところだが、残念ながら理解できる部分が生じてしまうのだσ(^_^;)アセアセ
もちろん事件の詳細が解明されていないから、「まず放火して、それをついブログに書いてしまった」のか、「最初からブログに書くために放火した」のかで、事件の様相は大きく変わると感じる。

ブログを開設してから、大きく私生活が変化した点がある。
それは新聞・テレビ等でニュースを知ると、「この事件の背景には……」とか「この容疑者の心理は……」などと思いを巡らせるようになった。すなわち、ここに書く為の構成を無意識に練ってしまっているのである。
もちろんブログネタ作りのために自分で犯罪を起こす気など皆無だが、肉親殺しや幼児殺害などの悲惨な事件に接していながら無意識にブログネタとしての構成を練っていると言うのも、かなり人間としては”ヤヴァイ”と感じる。
実はこの事件を知った時も「ブログネタとして面白い」と感じてしまったのだが、現在はブログブームとかで、一部のブロガーは人気投票やランキングに熱中している。もちろん、それ自体は決して批判されることでは無いが、こういう風潮がエスカレートすれば、ブログのために事件を起こす人間が出現することは決して理解できなくはない。
理解できなくないから”ヤヴァイ”し、この事件を他山の石としなければならないと自戒の念を強く持った。