時代のウェブログ

イマを見つめて
提言します

カルトから身を守る術

2006年07月29日 11時32分00秒 | 生活・娯楽
摂理の鄭明析が問題になっている。何をいまさら……という気がしないでもない。
このカルト教団は「モーニングスター」と名乗っていた時代から「セックス・カルト」や「レイプ教団」として有名だった。
そもそも教祖や上級信者が下の人間を玩具にするカルトなど、そう珍しい物ではない(らしい――訴訟対策ww)。

なぜマスコミはもっと大々的に報道しなかったのか?!
と怒る方もいるだろう。しかし珍しくマスコミの肩を持つと、強姦は申告罪である。被害者が加害者を訴えて初めて立件される。被害者が洗脳・マインドコントロールされてる状態では無駄だ。下手すると名誉毀損で逆に訴訟を起こされかねない。仮に脱会した元信者が訴えても、教祖の部屋へ自分から出向き、脅されるでもなく服を脱ぎ……という状況でレイプと断定するのは反論された時に難しい。

では国の規制、警察の取り締まりには期待できるか?
これも、ほぼ無理。思想・信仰の自由という大きな問題が立ちはだかる。オウム真理教のように殺人でも起こせば捜査できるが、この程度では動きにくい。カルト規正法は公明党は信仰の自由という立場から反対する(もちろん公明の選挙協力が大きい自民も尻込み)、また思想の自由という立場からは共産・社民・民主左が反対する。ついでに言うと、霊友会、生長の家、立正校正会などは巨大な集票マシーンとして与野党問わずお世話になってる議員も多い。
このように与・野党揃って反対だから成立どころか提案すら無理だ。

結局、カルトから身を守るには自分の力しかない。
カルト信者で良く言われるのは
「まじめな人だった」という周囲の評価。
また元・信者という連中がよく言う言い訳が、
「気付いた時には抜けられなくなっていた」

まじめだから、ひとつの事に没頭する。
何もかも投げ出して熱中する。
気付いた時には、もう教団なしでは生きられなくなっていた――という構図だ。

だから「携帯電話なしの生活なんか想像できない」とか「カレなしでは生きていけない」なんて依存タイプの人は、カルト信者予備軍と言っていい。充分に気を付けてください。一番、狙われやすいタイプだ。

知り合ったばかりでそんなに親しくないのに、とても親切に自分を気遣ってくれる……とか、反論しにくいような正しいことを理路整然と語る……なんていう相手は、少し用心したほうがいい。最初から「宗教の勧誘です」などと近付くカルトはない。大抵は貴方の事を大切に思って、親切そうに忍び寄ってくる……











ここまで筆者の話を聞いて、「この人の言うことはもっともだ。気を付けよう」……と感じた貴方!
実は、貴方が一番アブナイ!!


牛肉と缶コーラとYシャツとわたし

2006年07月29日 10時22分00秒 | 社会・経済
米国産牛肉の輸入再開問題の推移を見ていて、ひとつ思い出したことがあります。
それは缶飲料のプルトップ(プルタブ)論争。
おそらく30歳代以上の人なら記憶に残っていると思うのですが、かつて日本で販売されていた缶飲料のプルトップは、現在の様に缶の中へ押し込む方式ではありませんでした。外へ引き抜いて缶から切り離す方式でした。
プルトップをポイ捨てする人が多く、ゴミ問題が発生しました。外国式の一体型にすれば良いのですが、メーカーが意識調査すると「なんとなく汚い感じがする」という抵抗感が強く、なかなか変えられませんでした。缶に口を付けて飲むのですから、プルトップを中へ押し込むのは全く汚くないのですが、生理的な反発なのでどうにもならなかったのです。結局、プルトップ論争が起きてから現在のような一体型が定着するまで10年近く掛かったと思います。

さて牛肉です。この問題を見ていて、合理性と精神性のズレと言う印象を受けます。「危険な物は口にしたくない」というのは、むしろ精神的・生理的な意見だろうと感じます。それに対して、いくら「安全性に配慮している」と合理性による説明をしても、絶対に合意点は生まれないのではないかと感じます。
そもそも「食べたくない物は食べない」自由があります。「トマトは嫌いだから食べない」という人に無理矢理トマトを食べさせることはできません。
「米国産牛肉は絶対に食べたくない」という人たちに対しては、その自由が保たれるように保証してやるべきでしょう。
国がやるべきことは、安全性の説明ではありません。精肉は当然として、加工食品から外食産業に至るまで、すべてに表示を義務付けること、そして万が一にも産地偽装などをした業者には、無期限営業停止などの厳しい処分をすることです。もっとも精肉と外食産業に関しては、すでに業者が自己防衛的に発表・表示をしているから、そんなに心配いらない感じがします。特に重点的に指導しなければならないのは、どこに原材料が使われているか分かりにくい加工品類ですね。
そこまでやったならば、あとは個人の自己責任に任せて良い。米国産牛肉を食うほうが煙草を吸ったりするよりもよっぽど安全という人は食べれば良いし、絶対に口にしたくないという人は食べなければよい。

つまり国がやるべき事は、精神性で拒否している人たちを合理性で説得することではなく、食べたい人は食べられる・食べたくない人は食べなくて済むという土壌作りです。因みに筆者は吉野家が牛丼販売を再開したら、すぐに食べに行きます。でも「食べない」という人たちまで誘う気は有りません。

♪牛丼のブルース 牛丼のブルース
米国産牛肉の輸入が再開されて
吉野家が また 牛丼販売を始めるゆう話やけど
危ないもん当たる確率なんか 宝くじ以下やから
とりあえず 直ぐ食べに行こうゆうのも
やっぱり危なそうやから 
絶対に食いに行かへんゆうのも
自由だーーーーーーっ!!
Gyu-Don is Freedom
Gyu-Don is Freedom
Gyu-Don is Freedom
Gyu-Don is Freedom
でも食いに行くのも 行かへんのも
最後は 自己責任やで


【補記】
米国産牛肉が危険というのは精神的・生理的理屈ではなく、合理的理由だ――と反論があるかもしれません。
もちろん筆者も「100%安全だ」なんて思っていません。ただし「では、安全な食品ってなに?」と思います。
米国は「生後30ヶ月未満の牛は、検査してもプリオンが検出されないから検査しても無駄」と主張しています。日本政府はこの言い分を認めたから全頭検査しないことを了承したわけです。ということは全頭検査している日本だって、生後30ヶ月未満の牛はBSEに感染していてもプリオンが検出されないことになります。
かつて「鉄道をより安全にするには、全線にATC設置を義務付ければ良い。でもそうすると、初乗り運賃500円などという事態になる」と書きました。結局は、安全性とコストのバランスだと思います。
筆者はコストに対しての安全性確保は充分だと思うから食うだけで、もっと安全性重視のためにコストを上げても良いと考えている人は食わなくて良い。どちらも強制されるべき物ではないという意見です。