日本ではこのごろ合併が大流行である。
考え方としては、複数のものをひとつにまとめると共通部分が効率化できると言う事のようである。ここでも効率化が目的のようだが、効率化はある意味で機能を低下させるものである。効率化された部分は、能力が低下するのは確実なのである。ただし、全体の経費を削減できるのも確実である。結局は、経費を削減して能力を低下させている行為を一生懸命やっていることになる。
無駄な経費を削減するには、
構成要素ごとに機能を維持したまま効率化すればいいと思う。効率化前と効率化後を比較しないとその効果は評価できない。合併して全く違う機能にしてしまっては効果を評価することもできない。何も合併する必要はないのである。ところが、保守的で自立できない日本の伝統・風土では、構成要素ごとの効率化に障壁があるため、強制的に合併させて強制的に効率化させようということらしい。
合併が本当に正しい姿なら、全てを合併すれば良い。
ところが、大きくなりすぎては制御が利かなくなるため、適当な規模の塊に分裂して機能しているのが通常の姿である。組織体が機能するためには、塊と塊相互の共同作業が必要であり、塊の存在はとても重要であり、ひとつの塊だけでは組織活動はできないのは自明の理である。そして、その塊もまたより小さな塊から構成されている。当然ながら全体統括する塊も存在する。こんな中で複数の塊を合併してしまうとどうなるのであろう。機能不全を起こす事は明白な気がする。
全体の経費を削減するのであれば、
塊ごとに削減する必要があり、機能発揮のために塊の存在が不要であれば塊そのものを排除すべきである。身体機能にたとえるところの「新陳代謝」である。塊ごとの新陳代謝が不十分で老廃物が溜まりきって滞留しているところに、右手と左手を合併しましょうと言ってもおかしな事だ。要は溜まっている老廃物を取り除いて組織活動を活発化することが目的であって、合併することにあまり意義はない。合併が刺激になってある程度効率化されるかもしれないが、根本的な原因の解決にはなっていない気がする。
経費削減は経費の必要性から論じられていない。
本来であれば、必要な経費を積み上げて、継続的に内容を検討して、常に最適化を計っているのが通常の姿であるが、その努力をおろそかにして、長年放置したままで、最終的にどうしようもなくて、全体でバッサリ経費削減しようとするところに無理がある。要は体質の問題で、たとえ大鉈をふるって大改革しても体質が改善されなければまたもとの姿に戻ってしまう。そして大改革するたびに機能と能力すなわち体力は低下してゆく。
強制的な合併をすれば、もしくは無理な合併を強行すれば、
個々の塊は何も考えないで、強制力に従うだけである。本来であれば、個々の塊が自立的に自己改革をすべきなのである。そんな歴史を繰り返してきた日本の姿がある。体力は低下するばかりであり、その結果が現在の不振につながっているのではないかと思う。経済成長期にあっては個々の塊は上昇指向で活発に活動していたし、拡大志向に何も問題はなかった。現在は経済が成長しきって、ただの上昇指向、拡大志向だけでは対応できない時代に突入している。こんな時に必要なのは新陳代謝と機能の強化である。これまでの延長線上を突っ走るだけでは衰退しかない。
合併にしても、
悪いものと悪いものが合併しても良い物になるはずがない。良い物と悪いものが合併すれば悪いものが良いものになる可能性があるが、良いものの側も、何らかの利点がなければ合併に応じないだろう。これを無理に強制的に合併するところに問題がある。私は個々の塊ごとの自由意志に任せるべきだと思う。地方交付税や地方への補助金を削減するために、新たな福祉政策を地方に負担させるために、市町村合併を無理やり推進した。その結果はどうなっているんだろう。どう考えても市町村のサービスがこのために向上したとは思えないし、各市町村は財政難に陥っている。私の目には「改悪」としか見えない。
小さな塊でも有効に機能していれば問題ない。
大きくすれば機能が向上すると思うのは勘違いだし、ごまかしである。長期的には機能不全に陥ってしまう。また、改善は小さな塊ほどやりやすい。塊が大きくなればなるほど改善は難しくなる。大きな塊はこれを構成するさらに小さな塊の単位で改善すべきなのである。それなのに小さな塊を大きな塊に組み込んだのでは、塊単位での機能は喪失してしまい、改善どころではない。たとえ貧乏であっても貧乏なりに自立できていれば何の援助も必要としない。貧乏人と金持ちを比べて公平平等にしようという変な思惑が働くからおかしなことになる。まずは、自立を助けるのが大いに大切であり、みんなが同じ様に自立する必要はない。
地方が自立できないのは、
地方に中央があまりに干渉し過ぎるためである。まずは、地方が独自に自立する事が必要であり、その自立を助けるのが中央の仕事である。地方の独自性を中央が許さず、画一的な自治を強制することは即刻やめるべきである。地方の独自性を発揮して有効に機能しない自治体には住民が遠のいて衰退するだろうが、それでもいいと思う。反対にそうならないために地方自治体は全知を集結してたとえ規模は小さくても自立するだろう。その努力をしなくてもどこの自治体も同様の国からの補助が得られるのであれば、誰も努力しないし、努力するとかえって補助が切られるのであればなおさらである。
考え方としては、複数のものをひとつにまとめると共通部分が効率化できると言う事のようである。ここでも効率化が目的のようだが、効率化はある意味で機能を低下させるものである。効率化された部分は、能力が低下するのは確実なのである。ただし、全体の経費を削減できるのも確実である。結局は、経費を削減して能力を低下させている行為を一生懸命やっていることになる。
無駄な経費を削減するには、
構成要素ごとに機能を維持したまま効率化すればいいと思う。効率化前と効率化後を比較しないとその効果は評価できない。合併して全く違う機能にしてしまっては効果を評価することもできない。何も合併する必要はないのである。ところが、保守的で自立できない日本の伝統・風土では、構成要素ごとの効率化に障壁があるため、強制的に合併させて強制的に効率化させようということらしい。
合併が本当に正しい姿なら、全てを合併すれば良い。
ところが、大きくなりすぎては制御が利かなくなるため、適当な規模の塊に分裂して機能しているのが通常の姿である。組織体が機能するためには、塊と塊相互の共同作業が必要であり、塊の存在はとても重要であり、ひとつの塊だけでは組織活動はできないのは自明の理である。そして、その塊もまたより小さな塊から構成されている。当然ながら全体統括する塊も存在する。こんな中で複数の塊を合併してしまうとどうなるのであろう。機能不全を起こす事は明白な気がする。
全体の経費を削減するのであれば、
塊ごとに削減する必要があり、機能発揮のために塊の存在が不要であれば塊そのものを排除すべきである。身体機能にたとえるところの「新陳代謝」である。塊ごとの新陳代謝が不十分で老廃物が溜まりきって滞留しているところに、右手と左手を合併しましょうと言ってもおかしな事だ。要は溜まっている老廃物を取り除いて組織活動を活発化することが目的であって、合併することにあまり意義はない。合併が刺激になってある程度効率化されるかもしれないが、根本的な原因の解決にはなっていない気がする。
経費削減は経費の必要性から論じられていない。
本来であれば、必要な経費を積み上げて、継続的に内容を検討して、常に最適化を計っているのが通常の姿であるが、その努力をおろそかにして、長年放置したままで、最終的にどうしようもなくて、全体でバッサリ経費削減しようとするところに無理がある。要は体質の問題で、たとえ大鉈をふるって大改革しても体質が改善されなければまたもとの姿に戻ってしまう。そして大改革するたびに機能と能力すなわち体力は低下してゆく。
強制的な合併をすれば、もしくは無理な合併を強行すれば、
個々の塊は何も考えないで、強制力に従うだけである。本来であれば、個々の塊が自立的に自己改革をすべきなのである。そんな歴史を繰り返してきた日本の姿がある。体力は低下するばかりであり、その結果が現在の不振につながっているのではないかと思う。経済成長期にあっては個々の塊は上昇指向で活発に活動していたし、拡大志向に何も問題はなかった。現在は経済が成長しきって、ただの上昇指向、拡大志向だけでは対応できない時代に突入している。こんな時に必要なのは新陳代謝と機能の強化である。これまでの延長線上を突っ走るだけでは衰退しかない。
合併にしても、
悪いものと悪いものが合併しても良い物になるはずがない。良い物と悪いものが合併すれば悪いものが良いものになる可能性があるが、良いものの側も、何らかの利点がなければ合併に応じないだろう。これを無理に強制的に合併するところに問題がある。私は個々の塊ごとの自由意志に任せるべきだと思う。地方交付税や地方への補助金を削減するために、新たな福祉政策を地方に負担させるために、市町村合併を無理やり推進した。その結果はどうなっているんだろう。どう考えても市町村のサービスがこのために向上したとは思えないし、各市町村は財政難に陥っている。私の目には「改悪」としか見えない。
小さな塊でも有効に機能していれば問題ない。
大きくすれば機能が向上すると思うのは勘違いだし、ごまかしである。長期的には機能不全に陥ってしまう。また、改善は小さな塊ほどやりやすい。塊が大きくなればなるほど改善は難しくなる。大きな塊はこれを構成するさらに小さな塊の単位で改善すべきなのである。それなのに小さな塊を大きな塊に組み込んだのでは、塊単位での機能は喪失してしまい、改善どころではない。たとえ貧乏であっても貧乏なりに自立できていれば何の援助も必要としない。貧乏人と金持ちを比べて公平平等にしようという変な思惑が働くからおかしなことになる。まずは、自立を助けるのが大いに大切であり、みんなが同じ様に自立する必要はない。
地方が自立できないのは、
地方に中央があまりに干渉し過ぎるためである。まずは、地方が独自に自立する事が必要であり、その自立を助けるのが中央の仕事である。地方の独自性を中央が許さず、画一的な自治を強制することは即刻やめるべきである。地方の独自性を発揮して有効に機能しない自治体には住民が遠のいて衰退するだろうが、それでもいいと思う。反対にそうならないために地方自治体は全知を集結してたとえ規模は小さくても自立するだろう。その努力をしなくてもどこの自治体も同様の国からの補助が得られるのであれば、誰も努力しないし、努力するとかえって補助が切られるのであればなおさらである。
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