オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

現在・過去・未来

2017年02月20日 | Weblog

過去は修正できない。

 終わったものは今更どうしようもない。過去の実績は現在に反映されている。しかしながら、その悪い結果をもって過去の事実を批判しても反省事項にはなるが現在の状態を改善することはできない。反省事項に基づいてこれからこのような悪い結果にならないようにするにはどうしたらいいのかを検討するだけである。実績としての過去の事実を決定した張本人がいるかもしれないが、その張本人は、まさか現在のような悪い結果になるとは思っていないはずであり、悪い結果を予測していればそのような決定を下すはずはないはずである。よく冷静に考えて見る必要がある。

もし、過去の決定が間違っていたというなら、

 過去のその時点で間違いを指摘しなければならない。その間違いが指摘できなかったのなら、その決定はその時点で最善であり正しかったのである。決定をしたのはその組織の最高責任者であり、当然指導監督した結果であり、指導監督した内容をその組織を挙げて時間と労力をかけて検討した結果である。そのような検討結果として最終的に最終責任者が決裁したものである。確かに最終責任は最高責任者にあるが、すべてが最高責任者に問われるわけではない。最終の決済に関してのみ責任を負う。細部についてはその組織のそれぞれの長が自己の責任において負うべきである。

決定した後は、その決定に基づいて事業が継続される。

 現在の結果が悪いのは、決定した後のその後の事業のやり方が悪いともいえる。決定した事項を実行に移すやり方が悪かったのである。その責任は一体誰がとるのだろう。当然その後の長となった人達である。その責任はどこに行ったのだろう。誰も責任を取る人もいないし、やり方の不備を指摘する人もいない。「指示された通りやっただけです」「今まで通りやっただけです」「なるようになっただけです」みたいな感覚で事業は流れていく。誰も責任を取らないし、だれも不備を指摘しないし、よりよくするための努力もしないし、当然改善の意志もない。

過去の決定を改善するのは「現在」しかない。

 未来を見据えて現在を改善するしかない。過去の決定を基により良くするための努力をしなければならない。もし、過去の決定が間違っていたなら自ら修正していかなければならない。具体的に改善するのは過去でも未来でもない現在である。それをさておいて過去を批判したり将来を悲観したりでは、本来の事業は頓挫するだけである。過去を断ち切ることはできないし、過去の実績のもとに現在がある。過去を捨てて最初からやり直すのには多大な労力を必要とするし、また最初からのやり直しである。決して効率的なやり方とは思えない。過去の実績が100%悪いわけではない。少なくとも50%は正しいはずであるし、通常は50%以上が正しいはずである。そうであれば、過去の実績の悪いところを改善した方が効率がいいことになる。

過去の決定をいくら批判してもあまり現在の改善には役立たない。

 未来に向けての反省事項にはなるだろう。いや将来の反省事項のために過去を学ぶのである。それよりも、その決定が悪いのであれば、現在において修正しなければならない。修正するのは現在なのである。何を修正すべきかを現在において決定していかなければならない。そして具体的に改善してゆかなければならない。それを忘れて、過去の責任追及をしても何の問題解決にならない。考えても欲しい、過去の決定責任を問うて、その責任が明確になったとしてもそれが現在の問題点解決の何の改善になるのだろう。たぶん、過去に間違った決定をした体質は今も変わらないのであり、変えるべきは現在の間違った決定を生む体質なのである。これは悪者を切り捨てるだけでは済まない。体質が悪者を生む性質を持っている。この体質が変わらない限り未来永劫間違った決定を生むのだろう。

この体質とは何だろう。

 はっきり言うと、責任権限の明確化である。誰が何に対してどれほどの責任権限を持つのかを明確にすることであり、この責任権限に基づいて上位の長となるものが的確に指導監督する体質である。当然ながら権限を持つ者は的確に権限を行使し、行使した結果には責任を持ち、その根拠と妥当性について説明責任を持つ。これができないために事業に対する決定が間違うし、誤った方向に向いてしまう。誰も責任を持たない、誰も間違いを指摘しない、過去の決定を踏襲する、指示されたことしかやらない体質を維持し続ける。これを断ち切らない限り改善はいつまでたっても程遠い。

東京都が100条委員会をやるという。

 はっきり言って、過去の都知事や副知事を追求して現在の改善のための何が得られるというのだろう。悪い体質は現在の目の前にあり、その体質を改善するのは、現在の都知事であり副知事であり都議会であり都庁の長である人達であり、都庁職員である。改善すべく具体的な対策を司司で実行しなければならない。過去の人のことでもないし、他人事でもない。何を勘違いしているのだろう。現在の都知事が先頭に立って改善を呼びかけ具体的な施策を実行しなければならいのである。100条委員会にうつつを抜かしているよりも、豊洲移転問題をどうするか、どのようにしたら問題点をなくして早期移転が促進されるのかを最優先に議論すべきである。ゴミの携帯やパソコンを集めて金メダルを作ろうなどという発想の前に、やるべきことはしっかりやってもらいたいし、豊洲の調査結果を待つだけでなく、どうしたら調査の促進が図れるか、早期移転が可能になるかを検討してもらいたいもののである。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国籍について | トップ | 談合、斡旋、忖度、水面下へ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事