オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

万が一の危険に備える。

2008年08月09日 | Weblog

安全と安心の違いは何だろう。

 安全は安心な状態を継続すること、安心は危険が排除され危険が皆無の状態である。安全と安心の違いは危険を内包しているかどうかである。危険が存在しなければ安全の努力は必要ない。安全は危険が存在することを前提に、この危険を綿密に分析して、対応する準備を十分に行って、事故を未然に防止し、万一起った時も損害を最小限にできるようにすることが安全である。普通一般には安全は事故の未然防止が主体で、発生した時の対応が等閑にされている気がする。そして全体に対して「事故を起こさないようにしましょう」と呼びかけお願いするばかりである。

安心してしまうと危険を感じなくなる。

 今の日本の国の状況は、安心しきった状況のようである。安心し切れることは危険が全くないことで極めて幸せな事ではあるが、通常は安心は遭遇した危険が排除された直後の一時でしかない。安心の直後に次の危険に備えて安全の努力をしなければならない。こう考えてくると安心の状態は極めて無防備な状態でもある。今の日本がそのような状態にあることは憂えるべきことでもある。危険を回避する一つの方法は冒険や挑戦をしないことである。危険が存在する領域に近づかないことである。しかし、そんなことを続けていたら自らの行動できる領域は狭まるばかりで最終的には存在価値さえ失われる。

今の日本の風潮は危険を回避する事ばかり考えている。

 危険が存在する領域に敢然と冒険なり挑戦なりをする意気と情熱に欠けている気がする。危険なことはさせない、事故の責任は回避する、危険への対応策を考えない、危険の存在を周知しない、危険への対処法を教えない、事故発生後の事後対策ばかり、などなどと後ろ向きの消極的な態度ばかりが目立つ。何かをなそうとした時には必ず危険が内包する。その危険を明らかにして対応策を十分準備して積極的に事を為すのが本来の姿だし、そうでなければ十分な成果は期待できない。形だけの時間つぶしをしても成果は何もない。危険に立ち向かってこそ価値が生まれ、それでも安全が実現できることが重要なのである。

安全に係わる事故が発生すると、

 事後対策の細かい指示や統制や最終的には規制が定められる。内容を見てみると、あまりにも場当たり的で細かすぎる。そんなことは現場の人達が考えることであり、そんなことも考えていなかったし、やっていなかった現場の人の無能さをさらけ出していることになる。しっかりとした現場の人達にすれば「馬鹿にするな」「細部は現場の裁量だ」「現場の権限を侵すな」と怒るべきである。そんな指示や統制や規制で根本的な解決になっているかというと、何も解決になっていない。何かをしないと非難されるのでと体裁を整えただけである。困った風潮である。

反対に、事故は起こるべくして起こるものだという認識を持ってもらいたい。

 起こって当然であり、有益で価値ある冒険や挑戦はすればするほど事故の確率は高くなる。危険の確率が高く冒険や挑戦の回数が増えれば増えるほど事故の確率は高くなる。そして危険度が高いほど、回数が多いほど、時間が長いほど冒険や挑戦の価値は高くなる。ただし、事故を起こしていいわけではなく、危険に十分対処して確率を最小限にする努力をしなければならないし、少なくとも人命に係る事故に発展させてはならない。我々は危険なパフォーマンスをよく目にすることがあるが、これらは綿密に計算されて事前の準備を十分にしてほとんどの危険は排除され万一の場合にも最小限の被害で済むような対策がなされた上で行われている危険な行為であることを我々素人に知らされていない。知らないから我々は余計危険なスリルを味わうことができる。

事故が起こったこと自体を最初から責めるのは考え直さなければならない。

 事故の原因を究明して、その原因となることを追求すべきである。「何で危険なことをやったのか」「何で事故を起こしたのか」と責められたのでは、冒険や挑戦をしていた努力は水の泡となってしまう。冒険や挑戦は素晴らしいことであり、それに対する事前の準備と対策が不十分だったことが責められるべきであり、本当の突発的な偶然の事故は損害を最小限にする努力はしても回避できるものではない。事故が起こるたびに、あれもやるな、これもやるな、と規制が強化されたら最後は何もできなくなるのは解り切っているし、その規制の中で何かをやろうとすれば規制を無視しなければならない。そんな規制なんて意味がない。そこを良く考慮して何を規制すべきか長期的視野で慎重によく考えるべきである。

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