オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

最大瞬間風速

2023年07月25日 | Weblog

令和元年に台風15号と19号が千葉県を襲った。

 その時の風雨は尋常のものではなかった。まるで、車の洗車機の中にいるような吹き付ける雨に我が家の庭木はもみくちゃにされていた。最大瞬間風速とは怖いもので、鉄骨の頑丈な支柱が倒されて、松の木が根元から倒れていた。鉄骨は地面にコンクリで固定されていたが、その根元から曲がってキーウィ棚は見事につぶれていた。家庭菜園の鉄のフェンスも倒されていた。自然の猛威は凄いもんだと感心したものである。

最大瞬間風速は持続しない。

 風力発電でも強風はかえって装置に損傷を起こす。適度な風力で持続的に安定した風が生じているのが最適である。最大瞬間風速なんてエネルギー量は高いかもしれないが、必要ないし、かえって迷惑である。この最大瞬間風速をいかにしてやり過ごして装置の安全を図るかが風力発電の要件でもある。強風でもいかにして壊れないようにするかが重要なのである。強風であれば大量の電気が発電できるわけではない。

大事なのは常に良い状態を保つための持続力なのである。

 世の中を見回してみると、あちこちで「最大瞬間風速」が吹き荒れている。もっと言えば、大したことでない事件でも「最大瞬間風速」のごとく大規模に報道される。「最大瞬間風速」にすればわかりやすいし、国民の興味と関心を独り占めして受けもいい。しかし、私にすれば「最大瞬間風速」はあまり必要ない。時々吹くのは仕方ないとして、常に吹き続けているのは異常でもあり、自然の摂理からすると受け入れられない現象である。

そして、もっと問題なのは「最大瞬間風速」が吹いた後である。

 何もなかったみたいに治まってしまう。それほどの大問題であれば何か結果でも問題点や教訓でも残すかと思うが、結局は何もなくて受け流して終わりである。まるで風力発電の安全装置のようで、「最大瞬間風速」は何もなかったかのように消し去られてしまう。それで済むのなら最初から「最大瞬間風速」にしなければいいと思う。人騒がせなのはこの上ないし、世間がこれで良しとしているのにも大いに疑問がある。

令和元年の台風はたくさんの爪痕を残した。

 通常であれば、これが自然の摂理である。何もないわけがない。そして、未だにその爪痕が残っている。本来であれば、その復旧を急がなければならないのだろうが、未だに追い付いていない。そして、爪痕が残ったままで自然に飲み込まれそうになっている。自然の治癒能力で新たな状態に変化しつつある。その変化をつぶさに観察しながら現在に至っている。もう5年以上が経過している。

もし、大問題があったらこのぐらいのスパンで考えたいものである。

 常に「最大瞬間風速」で終わってしまったのでは、何も進歩はないし、「最大瞬間風速」の意味がない。「最大瞬間風速」に動じない日本人が優秀なのかもしれないが、結局は世間の動向から様子見をして、自分の評価や意見を押し殺してしまっているのではないかと思ってしまう。自分だけが浮いてしまうことを恐れているのである。自分の立ち位置が世間の側にあり、自分が今どこにいて何を考え何を疑問に思っているのかを明確にしないで、曖昧でありきたりの回答に終わらせているのではないかと思ってしまう。

メディアもこれに迎合している。

 メディアも騒ぐだけ騒ぐが、本質的な核心を突いた説得力のある個人の意見を避けて通っている。そんな人を危険人物だとでも思っているのだろうか?当たり障りのない過激でない影響力の少ないコメントを提供する人が好まれるようであり、そんな人達ばかりがメディアを賑わせている。あちこちから仕入れた情報の受け売りばかりで中身は何もない。わたしは、「あなた自身の意見」を聞きたいのである。それに応えられる人は少ない。

生成AIについて何度も書いているが、

 メディアの騒ぎ方がおかしいと思う。著作権だ、個人情報だ、名誉棄損だ、フェイクニュースだ、教育問題だなどと騒いでいるが、そんなのは生成AIを使わなくても可能なことであり、今現在でも問題をたくさん含んでいるのが現状である。反対にその隠れた問題を掘り起こしてくれたのが生成AIではないかと思う。この高度に発展した情報化社会の中で、上記の問題点は生成AI抜きにしても根本から考え直す時期に来ているのである。

教育の現場で生成AIで混乱しているそうである。

 これも教育現場の現在の問題点をさらけ出しているに過ぎない。他人からの情報の受け売りでレポートを書いて提出するのは今でも可能だし、丸写しでもでたらめでも嘘八百でもレポートを提出しさえすればOKとしているのではないか?その内容について果たして生徒と議論したり問答したりしているのだろうか?それなのに生成AIの出現で問題だと言う資格があるのだろうか。もっと学生と向き合ってコミュニケーションを活発にすることを考えるべきである。

生成AIは教育の場で素晴らしい教材を提供している。

 大いに先生と生徒がその内容について活発な議論をしてコミュニケーションを図ったらいい。生成AIで作ったものを丸写しで提出した学生であっても、その内容を再度確認して問い質してみれば、すぐにバレるはずであり、すべてに的確な回答ができるのであれば、その生徒はそこまで勉強した内容であるはずである。それを確認しようともしない教育者が問題であり、確認できる能力がないのであれば教育者失格である。

生成AIの出した答えが絶対正しいと思い込むのも大いなる間違いである。

 だからと言って、その答えを無視するのも間違いである。世の中は多様性に満ち満ちている。生成AIの出した結論らしきものも多様性の一つである。その中で個人が今現在の自分の立っている位置を明確に認識して自分で考え自分で評価し自分で結論を出すことが重要であって、その部分を省略してワァワァ騒いでいても仕方ないと思う。そして、その部分を既に省略している人達は、生成AIとは関係なく大いに反省しなければならないのである。そうすれば、この「最大瞬間風速」に対しても冷静に対応できるのではないかと思っている。


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