今月末からマスクの着用義務をなくすという。
いちいち国から指導されないとマスクが外せないと言うのも問題に見えるが、果たして着用義務をなくしてもいいのかどうかの判断も疑問に見えてしょうがない。根拠が不明なのである。少なくても科学的な根拠が必要だろう。世間が認めるような風潮にあるから、また着用反対の声があるから止めようと言うのでは根拠に乏しい。もっと言うと、今更ではあるがマスク着用の効果そのものもはっきりとしない。みんな何となく気分で同調圧力でマスクをしているのが実体である。
目の前に感染者がいて、通常のマスクで防げるのか?
私は未だに確信がないし、必要なデータを持ち合わせていない。確かに確率的には感染率は低下するだろうが、ウィルスはマスクでは完全に防げないと言うのが正しいようである。感染者が出す飛沫そのものはある程度防ぐだろうが、エアロゾルと言われるものは通り抜けてしまう。感染していない人でも目の前に感染者がいたらマスクでは防ぎようがない。そう考えるとマスクは心理的な予防策に過ぎないようだ。
そこの実態を正確に知らしめればマスクの効用が具体的にわかる。
マスクに過信することもないし、マスクをしていないだけでみんなから感情的に非難されることもない。そして、マスクは個人の判断で必要と思う人が着用するのが本来であろう。感染している人は人と接すること自体を禁止するか、完全な感染予防対策をとって人と接することとなる。そこの部分が曖昧なために感染者が街中を徘徊することになり、仕方ないのでその他大勢の人が感染予防のためにマスクに頼ることになる。
今現在は周囲の同調圧力によるマスク着用がほとんどである。
人と接する場面では全員と言っていいほどマスクを着用している。感染の可能性が低ければマスクは着用しなくていいのである。今現在果たして感染の確率は低下しているのであろうか。そんなことはなく依然猛威を振るっている。それなのになぜマスク着用を解除するのだろう。そうであれば、この3年間の異常なほどの騒ぎ方はいったい何だったのだろうと不思議に思う。コロナが慢性化して新鮮味がなくなって放っぽり出すわけでもないだろう。
感染者と感染の疑いのある人はマスク着用を義務付けるそうである。
と言うことは、解除後はマスクをしている人は感染者か感染の疑いのある人となってしまう。そうであれば、だれもマスクを着けたがらないだろう。そんなことはちょっと推測すればわかりそうなものである。または、花粉症や風邪などでマスクを着けている人達の肩身が狭くなってしまう。「私はコロナではありません」と表示してマスクをつけなければならなくなる。何かおかしいことになりそうである。
国が変な指導をするのでなく、基本的に個人の自主性に任せればいいのである。
マスク解禁が感染症対策ではない。国として防疫のためにどのような感染症対策をするのかが重要なのであり、本来の仕事である。その部分はどうなっているのだろう。どこにも主体的な対策が見えないし、なるようにしかなっていないのが実情である。水際対策が必要なのなら、コロナ対策の支援金や補助金をばらまくのでなく、空港や港湾の検疫・防疫対策または医療現場に集中的に予算を使ったらいいと思う。任せっぱなしで指令と掛け声を出しているだけで済む話ではない。
5回目のワクチンの次の6回目はどうなったんだろう。
必要であれば6回目もやるべきであるが、たぶん、このまま立ち消えになってしまうのだろう。接種者も激減している。それなのに感染者はほぼ横ばいである。これを冷静に見れば、ワクチンの効果は現状からあまりなかったのではないかと思う。感染予防と言うよりも本来の防疫に立ち返って対策すべきではないかと思う。感染源を排除してこれを拡大させない対策の必要性が望まれる。我々国民も科学的で冷静な対応を心掛けなければならない。
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