3月18日判決が言い渡される。
1審で無罪とされ、高裁が刑事責任について全員無罪とした。起訴されているのは東京電力の旧経営陣3人で、罪状は業務上過失致死傷である。私は法務にはとんと疎いが、私なりに考えてみたいと思う。争点は、巨大な津波が予測可能だったという「予見可能性」と、有効な対策をとれば事故を避けられたという「結果回避可能性」であるそうである。素人考えでは、争点が違っているのではないかと思えてしまう。
予見可能性については、
はっきり言って、日本国中の誰もがあの日に巨大津波が発生すると予測できていなかったではないかと言うのが正直な感想である。それなのに、東京電力の首脳陣に巨大津波の発生を予見できたと主張するのが無理がある。確かに国の地震調査研究推進本部が2002年の長期評価では、福島県沖を含む広い範囲で巨大なM8クラスの地震の発生率が30年以内に20%とされていた。
確率の話だけをすると、
9年間は地震は発生していなかった。残る21年に確率20%で起こるとして、年間約1%の確率である。1%の確率を予見できなかったと言うのが酷であり、通常は1%の発生確率は無視される。データによると、車を50年間利用してその間に事故を起こすか遭遇する確率は約50%で、二人に一人が起こすか遭遇することになるそうである。年間に起こる確率は計算上1%である。これで事故を予見しろと言うのが無理な話で、予見していちいち車の運転を止めていたら車は使い物にならない。
結果回避可能性については、
一応認められると思う。確率とは関係なく発災した時の回避対策は当然やっておくべきである。しかし、それも発災前と発災後に分ける必要がある。年間1%の発生率とは言っても、もし起こった時の対策は当然のごとくなされていたはずである。その対策が問題なかったかは問われると思う。もし欠陥があったらその部分を指摘して、是正しなければならないが、それは業務上過失致死傷という罪状とは異質であり、現在の首脳陣だけの責任ではない。
発災後の対策が有効であったかは評価する必要がある。
これも確率とは関係なく、現実に起こった巨大津波にどう対処したのかが問われることとなり、結果論ではあるが厳正に評価しなければならない。発災前に準備されていた回避対策が有効に機能していたのかも評価する必要がある。しかし、これは個々の現場での対応であり、首脳陣の責任だけを問うことはできないと思う。我々から見ていても現場が大混乱であったのはよく分かる。しかし、何故大混乱に陥ったのかも反省されるべきである。
「無罪で刑事責任は問えず対策をする義務もない」で済ましてはいけない。
不備や欠点や欠陥事項や見直すべきところはたくさんあるし、国レベル、会社レベルの組織論を含め大いに改善すべきだと思う。また、科学的な見地からの詳細な調査も必要だろう。世界の風潮として、原子力発電の再評価が広まっている。今度こそ安全な原子力発電を目指して国を挙げて精進すべきだろう。毛嫌いして拒否するだけでは現実の問題は何も解決しないし、前へ進むことはできない。絶好のチャンスだったとポジティブに考えたいものである。
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