オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

多数派と少数派

2016年05月07日 | Weblog

多数派と少数派に分かれるとき、どちらを主体で考えるのかが問題である。

 通常は多数派を主体に考えるが、少数派を無視することはできない。少数派の意見をある程度取り入れて多数派の意見をある程度修正して実行することになるのであろう。その時に問題になるのが、多数派と少数派の割合である。多数派がほとんどを占めて少数派がほんの一部の場合から、多数派と少数派がほぼ半々の場合まで多様である。多数派が善で少数派が悪というわけではない。善悪(真偽)判断と多数決とは直接関係ないが、通常は多数派が正しくて少数派が間違っていると勘違いする人達が多い。

極端な場合は、自分一人が少数派でその他全員が多数派の場合である。

 自分という存在は世界に一人しかいなくて、基本的な態度は一人対全世界のその他の人達の関係であるはずである。自分中心に世界は回っている。その中の部分部分でそれぞれに多数派と少数派に意見が分かれてそのどちらかに自分が属している。その様々な組み合わせによって自分という存在が成り立っている。そう考えると、少数派を悪として抹殺することはできない。それは自分そのものが抹殺されることを意味している。

必要なことは、少数派の世界と多数派の世界の両方の考え方を理解することだと思う。

 多数派の世界を徹底すれば数量の観点からは効率的かもしれないが、自分という存在は常に多数派に属しているわけではない。多数派に属さない場合は自分の意見が抹殺されることになる。たとえ少数派であっても一つの考え方を示すことができれば、れっきとした存在感を示すことができるし、多数派の欠点を指摘することができる。ただし、その場合も多数派が少数派の考え方を理解し認める過程がなければ少数派の存在そのものが抹殺される。

ごく一部の人達の世界観があって、この世界を中心に世の中を回すことは効率が悪い。

 それでもこの一部の人達の世界観を無視することはできない。だからといってこのごく一部の人達の世界観を全世界の人達に強要することもできない。極端な場合がテロの撲滅である。全世界のほとんどの人達はテロリストではない。それなのにテロ撲滅のため自分がテロリストでないことを証明しなければならない。身分証明書を査定され身体検査や所持品検査をされ職務質問も受ける。これを全員に強要している。これを強要しているテロリストにも問題があるのだろうが、強要せざるを得ない仕組みにも問題があるのだろう。

果たして大多数派の我々はテロリストの世界観を本当に理解しているだろうか?

 理解不能のままで片付けていないだろうか?ある程度理解できることでも無視しているのではないだろうか?本当に大多数派の我々が反省すべきことはないのだろうか?テロリストの世界観で世の中を回したらどうなるのであろうか?疑問に思うことは多数あるし、テロリスト側からの大多数派に対する意見も明確に伝わっていないし伝わらない。ただ対立するだけである。これではいつまでたってもテロの撲滅はできない。それなのにテロ撲滅のため様々な対策が強化され大多数派が犠牲を強いられることになる。

考え方によっては、

 大多数派の中の一部の反省点を見出すよりも、少数派の意見を徹底的に理解して反省点を見出す方が効率がいい。ほとんどの場合、問題がないものから全てを査定して問題点を探すよりも、すでに発生した問題から改善点を見つけた方が効率がいい。ほんの些細な取るに取らないような問題に本質的な問題点が含まれ、改善すべき点が隠れていると思う。通常は徹底的な解明がなされないでその場だけの解決で終わってしまっている。それこそが問題だと思う。だから大多数派の反省点がいつまでたっても見出されないし、根本的な解決にも程遠く、いつまでも問題が発生し続けることになる。

自分という存在を明確に位置付けるためには自分を理解してくれる人を見出すことである。

 自分と関係する人たちに自分を理解してもらう努力をすることである。その関係性の中に自分が存在する。社会とのかかわりの中で自分が形成されてゆく。だから自分を証明するのはこの社会とのかかわりである。自分はちっぽけな一個人である。世界最小の少数派である。この自分を理解してくれなければ自分そのものが消滅してしまう。身分証明書なるものが発行されるが、自分以外の大多数側から発行されたものであり、本当の自分の身分証明にはなっていない。それ故に自分は偽造できないが身分証明書の偽造は簡単であり、自分は存在するのに身分証明がないと自分の存在そのものが認められない笑い話も出てくる。本当の自分の身分証明はこれまでに自分と関係した人達と作り上げた自分だけの世界の中に存在する。これからもしっかりとした自分の世界を作り上げていこうと思う。


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