睡眠の科学的な研究が進んでいるそうだ。
睡眠するのは人間だけではない。動物でも植物でも微生物でさえも睡眠するらしい。科学的に言うと、睡眠は習慣性があり、睡眠中は感覚が鈍くなり、物理的に覚醒させると元の状態に復帰するそうである。この定義に基づいて多種多様なものを実験してみると、いろんなものが睡眠することがわかってきたそうである。しかし、よく考えてみると、これが果たして睡眠と言えるのかは私には疑問に思える。
科学は往々にしてこのような手法を駆使する。
ある定義に基づいて研究を重ねてゆく訳であるが、果たしてその前提となる定義が正しいのかどうかは疑わしい。あくまで仮説に過ぎない。かといって、睡眠ということを曖昧にしたままでは研究は先に進まない。微生物でさえも睡眠するんだと言われても、私にはピンと来ない。しかし、科学者は実験のデータに基づいて事実であることを公表し、我々を説得する。だがしかし、私は微生物が睡眠するとはどう考えても想像もできない。
睡眠にも色々あるのだろう。
一番理解できるのは人間の睡眠である。人間である我々が実体験として行っている睡眠は確かに睡眠なのだろう。動物の眠っている姿も我々人間と類似していて多分睡眠しているのだろうと類推できる。しかし、動物と人間では睡眠の質は全く違うそうである。動物は外敵からの脅威を感じながら命をかけて睡眠しているため、熟睡することはないらしい。外敵の脅威のない家畜でさえも本能から熟睡はできないそうである。
人間は自分で外敵からの脅威を排除して熟睡するようになった。
この熟睡が他の動物と違って人間を進化させ、一応地球上の生物の頂点に存在している。熟睡している間に脳内が整理されて不要なものが削除されて知識が精選されてゆくのである。また、新たな知識を得ることができるようになる。こうして人間の進化に必要な知識を獲得していったのである。熟睡するためには一人だけでは外敵を監視することはできない。集団の目で監視された中で熟睡が可能である。そのために集団生活を始めたのだろう。
そういう意味では、人間の言うところの睡眠と微生物の睡眠は質がまるで違う。
どちらの睡眠が本当の睡眠なのだろう。このようにして、人間はわかったような気持ちになってゆくのだろうが、結局は何もわかっていないのではないのではないかと思ってしまう。科学も万能ではないのである。だからといって科学を否定するものではないが、科学とはそんなものだと思わなければならない。真実を追求する一つの手法にしか過ぎないようである。しかしながら真実に到達する道のりは程遠いようである。
科学で睡眠の研究をして、将来効率的な睡眠ができるかもしれない。
睡眠時間5分で8時間の睡眠と同じ効果が得れられる方法が確立するかもしれない。そうすると、人生の三分の一を有効活用できる時代が来るかもしれない。しかし、睡眠も人生の楽しみであり、睡眠時間を犠牲にしてその時間を何に使おうというのだろう。私はきっと持て余してしまうだろう。正直に言うと今でも持て余している感じがする。それでも、その中に楽しい充実した時間があればそれで十分である。常に最高の時間を過ごすことなんて不可能な気がする。
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