いつも自分の感覚に合っていないと思っている。
なんでだろうと考えてみると、確率で予想しているからだろうという思いに至った。確率は数学的にはあり得るが、人間の感覚とは程遠い。人間の感覚を確率に合わせるのは難しいだろう。それでは、どうすればいいかと言うと、それこそAIを使えばいいと思う。AIを使って人間の感覚に近い天気予報をすればいいと思う。こんなところこそAIを使うべきだと思う。
例えば、天気予報で雨を予測する場合、降水確率がある。
ある時間帯に1ミリ以上の雨が降る確率を示している。例えば、12時から18時の降水確率20%と言う意味は、この間に1ミリ以上の雨が降る確率が20%と言う意味である。反対に言うと80%は降らない確率である。1ミリの雨が一回でも降れば確率20%の予測は当たったことになり、降らなかったら予測は外れたことになる。これが人間の感覚に合っているとはとても思えない。降水確率とはそんなもんですと言われても困ってしまう。
降水確率20%ですと言われると、
人間としては雨が降るかもしれないと漠然と思ってしまう。80%の確率で雨は降りませんと言われると、まず、雨に対する準備はしないであろう。1ミリ以上の雨が1回降って、その後晴れたのでは、感覚としては雨が降ったとは思えない。1ミリ以上と言っても土砂降りの雨に会えば晴れていたとは思えないだろう。雨が降らない80%の確率が外れて土砂降りの雨があっても期待外れである。どうしてこんな感覚に陥るのだろう。
人間とは我が儘なものである。
しかしそれだけとは言えないようである。問題は、天気予報の言うところの「降水確率」の定義を忘れているのである。ただの言葉として「降水確率」を受け取っているし、たとえ理解していても、「1ミリ以上の雨」そのものもどんな雨か実体験としてわかっていない。下手をすると20%の確率さえ曖昧である。5回の内1回当たる確率であるが、実生活でそんな確率の場面にあまり遭遇しないし、あったとしても結果でしか確認できないし、5回試してみる人もいない。
AIを使うとどうなるだろう。
定義もなしに、前提条件もなしに、数値もなしに人間の感覚で天気予報をすることができる。人間がどう思うかの統計を分析して、人間の平均的な感覚から天気予報をするのである。今の天気予報よりもっと人間よりの感覚に近くなる。そして、予報をリアルタイムにかつ局地的にするのである。「もうすぐ雨が降ります」「何時から雨が降ります」「もうすぐ雨がやみます」「当分雨は降りません」みたいな天気予報になる。
数学的な確率なんて必要ない。
私は、今現在もこれに近い予報をしている。やり方は現在の雨雲レーダーの情報を見て、数時間後の雨雲の状況を確認して自分で判断するのである。何かをする時には必ず確認している。突然発生した雲でもない限り雨に降られることはない。これが今のところ一番確実な私の天気予報である。あとは、天気図、台風情報、週間予報、月間予報、天気概況などを参考にしている。そして、最も必要なのは自分の住んでいる地域の天気そのものなのである。
いま現在の気象に関する情報と過去の気象データを駆使すれば可能なことだと思う。
GPSで個人の位置情報を使えば、ピンポイントで人間に親和性のある天気予報の情報をリアルタイムで提供することができると思う。是非実現してもらいたいものだ。今現在も実現している部分もあるが、一般の人達に普及していないし、昔ながらの天気予報の仕組みが残ったままである。もともと、AIは人間の思考に近いコンピュータの開発から始まった。その部分をもっと進展させる必要があると思う。まことしやかに人間のごとく情報提供する生成AIばかりがAIではない。
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