権限を行使するには他人の領域へ干渉する必要がある。
自己の意志によって他人に影響力を及ぼそうとする時、まず最初にすべきことは、自分の安全を確保することである。相手に影響力を行使しても自分の安全が保たれる、すなわち自分の存在が損なわれないことである。自分の立場や考え方や客観的な状況を考慮して相手に影響力を行使できる正当な理由と意義があることを確認することでもある。
次に必要なことは、
影響を及ぼそうとする内容が自己の管理下にあることである。自己の管理下にないことを他人に強要することは許されないし、その結果にも責任が取れない。反対に、他人に影響力を行使する時には、その内容について十分に準備され、熟考され、熟知したものでなければならない。このことにより主体的に相手に影響力を行使できるし、優位な立場から効果的に目的を達成することができる。
最後に、影響力の行使であるが、
行使に当たっては、常に相手の対応に意を用いなければならない。そして柔軟に対応しなければならない。予想外のことがあっても、極端な拒否行動を受けても、無視されても、動じない心構えが必要である。そして、最低限守るべきは自己の安全を確保することである。自己の安全さえ守れれば初期の状態に復帰することが可能である。自己を喪失してしまうと、目的を達成できなかった場合、中断することもできず、際限なく悪い方向へ突っ走ることとなる。
普通我々は、あるべき姿に囚われてしまう。
それは、法律であり、規則であり、教条であり、原理原則であり、常識であり、伝統・習慣・慣習である。しかし、ここでのあるべき姿とは、適用されるべき人の立場のみが強調されている。この「あるべき姿」を作り上げた側の意向はあまり強調されていないし、結果のみが表現されているだけである。そこの部分は適用する人がそれぞれに考えなければならない。そこの考えた部分をもって、自己の安全を確保し、自己の管理下において、実行において柔軟な対応を可能とする。
これを反対側から考えて見よう。
あるべき姿がどうであれ、他人に影響力を行使しようとする時は、自己の安全が確保できず、対象が自己の管理能力を越え、柔軟な対応が困難な時に、即座にその行動を中止するのは何も問題はないし、中止すべきなのである。ただし、中止した後は現状に復帰させるのが原則であろう。このことは他人に影響力を及ぼす際に冷静な思考と対応を可能にする。
あるべき姿の追求は見た目には格好良い。
しかし、あるべき姿を掲げているのは誰かを明確にすべきである。誰かが掲げた「あるべき姿」を絶対的な真実と疑わない人達の思考過程には欠陥がある。そのあるべき姿を自分のものとし、自己の管理下におき、責任をもって実践することが本来の姿であろう。そして、あるべき姿とは常に見直され変遷して行くものなのである。
日本人は権限を行使する事に躊躇がある。
どうしてもお願いになってしまい、平和的に協力してもらうやり方を選択する。しかし、自分の持つ権限は権限の範囲内で行使すべきなのである。行使するのは権限を持つ者であり、権限を行使した結果の責任は権限を持つ者が取るのである。結果に責任が取れれば大いに権限を行使すべきなのである。責任を取るとは結果に対する説明責任を果たすことで、その時権限に基づいて決定したのは権限を持った者であり、権限を持った者が信念を持って説明すべきなのである。
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