オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

言行一致

2022年07月19日 | Weblog

普通であれば、言行一致していれば安心して信用する。

 しかし、よく考えてみると、言行一致、言行不一致、言動のみ、行動のみ、そして言動も行動もないことに分かれる。その他の組み合わせはどうなっているのだろう。そして、これを時系列を加味して考えるとますます複雑になってくるし、それぞれの割合を変えていくといろいろな無数のパターンが考えられる。ただ単に言行一致だけで安心していてはいけないのである。

「消費税を減税します」と公言して、

 消費税を現実に減税したとして、この行動は果たして信用できるのだろうか?確かに言行一致している。しかしなんか変であり、スッキリしない。果たして減税が正しかったのかも定かではない。問題は、なぜ消費税を減税するべきか、そのことによりどのような問題解決になるか、将来的にどの方向に進むべきなのかが見えないのである。ただやみくもに「消費税を減税します」と結論だけ突きつけて実行されても困ってしまう。

それでは、どうすればいいのか、

 「消費税を減税します」の有言実行の結果を予測するもしくは、実行された結果を冷静に見守ることであり、公言した人はその結果に説明責任を持つことである。そうすれば、公言した人の信用も保てるし、周囲もこの人を信用できる一つの実績を獲得できるのである。いくら有言実行と言って判断力と決断力だけを前面に出してやみくもに突っ走られても困るばかりである。

説明責任が果たせないものに信用を委ねることはできない。

 それは言行一致しているものだけではないし、言行不一致、言動のみ、行動のみについても同じである。そして、その説明が一貫していることが本当の信用につながる。時系列的な評価とその評価に対する説明責任で信頼性が証明され信用につながってゆく。言動のみでも行動のみでも一貫性と説明責任が確実に果たされていれば、信頼を得ることも可能である。

言行一致のみが信用の証であるとは言えない。

 ある人によれば、「行動そのものがその人の正体である。」と言う人もいるが、果たしてそうであろうか?確かに行動こそ現実的・具体的に世の中に影響を与えるものであり、何をしようとしているかを観察すればその人の人となりを類推することはできる。問題は、その行動が未来永劫継続できるものであるかである。一過性のものであればそれは「正体」とは言えない。

言行一致も時には言行不一致になる。

 状況が変われば言行も変わってゆくし、行動も変わってゆく。その時に言行が一致していないと言われても困ってしまう。過去の言行は必要に応じて修正しなければならない。それなのに一致していないだけで責められても柔軟性を失ってしまう。そして、何故変わったのかを一貫性をもって納得いくように説明してもらわなければならない。その説明のために各人が論議して問題点を明確にして現時点の最善の解決策を見出してゆくのである。

やはり、時系列の一貫性と説明責任が重要なようである。

 そう考えてみると、先の参議院選挙で果たしてどれほどの公約が有効で、その人の人となりや正体を表すものになっているだろうか?どう考えても一過性の人気取りにしかすぎないし、時間的にも空間的にも刹那の局所としか思えない。未来永劫に渡る自らの思いや全世界、全宇宙に展開する壮大な夢が見えてこないのである。当然ながらその公約は何も影響を及ぼさない。困ったものである。


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