次の文章は夜中に寝ている時に思いついたことを書き留めたものである。
例えば、矢が的に向かっている時、物質である矢は時間がたてば、的に到達するが、空間が的に到達しているわけではない。よって、空間が的に到達する時間をいくら計測しても無駄である。矢と的の空間を無限小まで分解して計測しても永久に矢が的に到達することはない。
宇宙の中の物質は一つの法則で創り上げられている。
そのすべての法則を解明することは困難ではあるが、不可能ではない。人間は懸命にこの法則を見出そうと努力している。そのことは宇宙の物質の解明には有効であり、最終的には宇宙の物質の成り立ちを解明できるかもしれない。しかし、それは空間には適用できない。
空間は自由で、法則に従う必要はない。
はっきり言って法則はないかもしれない。空間に近いものが意思である。意思は確かに人間の体内から生まれるもので、物質としての人間の身体やその周囲の物質からの影響を受けるかもしれないが、意思は物質よりもはるかに自由である。
宇宙空間の物質の法則を突き詰めると、
最終的には無限空間に発散してしまう。そして、無限空間に向かっていくら探求してもある程度以上は無駄かもしれない。円周率を素数を自然対数をどこまで見つけてもそれは無限大や無限小に向かって空間を定義しようとすることに等しい。
簡単にするために、
1を3で割ってみると、0.33333333333・・・・・ であるが、この3を永久に無限に続けても意味がないだろう。数字の欠点でもある。数字が万能ではないことを表している。1を3で割った正確な数字はないのである。数字で計測できないものもあるのである。前述の矢と的の話も同じである。
数字は物質を計測するためのものである。
1つ二つと数えられるのが物質であり、数字によって物質を計測できる。この計測を無限大や無限小に発散させると空間に近づくかもしれない。しかし、無限大や無限小の先に何があるのか物質の側からは何も解明できないだろう。空間は空間でも物質が何も存在しない空間なのである。
確かに、空間にも何らかの法則があるかもしれないが、
物質を探求する延長線上にその解があるとは思えない。しかしながら、空間そのものを探求することはできるのだろうか?空間には物質としては何も存在しない。無のものの法則を見つけ出すのは今の延長線上の考え方では無理かもしれない。
よく言われるのが平行線は無限空間で交差するとか、
直線の延長線上は元の直線に回帰するとか、宇宙空間から飛来する微小物質ニュートリノは天文学的距離を瞬時に移動するとか、3次元空間を多次元空間にして多次元を無限にする試みとか、ブラックホールとか、完璧な真空の追求とか、そんなところに空間の存在を感じることができる。
人間の意思は物質に負けることはない。
負けるのは物質の影響力に負けるのである。人間の身体が物質である以上物質からの束縛から逃れることはできない。しかし、より強固な意志を持てば、物質からの束縛からも逃れることができる。そして、人間の身体は滅びても意思は残るのである。
意思は空間に近くて、宇宙空間をどこへでも飛び回ることが可能である。
ただし、物質側から見たら意思は無の存在に過ぎない。そこには何もないのである。ぜひ、物質側からでなく空間側からも宇宙を解明してもらいたいものである。そこには新しい発見があるかもしれない。
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