この前、友人達と話していた時、
人生の浮き沈みはその人の一生でゼロサムだという説が唱えられていると紹介があった。それにしても、裕福な人も、貧困の人も幸福な人も不幸な人もみんな同じだとはちょっと抵抗があるという話で盛り上がった。何が実体験と違うのか話し合ったが、どうやら最初の出発点が違うということになった。出発点、すなわち生まれ出た環境が裕福か、貧困か、幸福か、不幸かが大きく影響しているようである。
電気信号で考えると、
人生の浮き沈みを波形で表すと、確かにその変動はトータルするとゼロサムになりそうだが、下部には直流分の電圧があり、この電圧の高い低いによって同じ波形であってもレベルは大きく違ってくる。そして、この波形の積分値は全く変わってくるはずである。この直流分の電圧のかさ上げは何によって決まるのだろう。人生の浮き沈みを波形ととらえて、その波形の中心部の増減をみる必要がありそうである。
全体的な波形の平均値が増減することにより影響は大きくなる。
この増減が直線的か放物線的か指数関数的かによって人生は大きく変わってしまうことになる。ゼロからコツコツと頂点まで昇り詰める人、頂点からゼロへ転げ落ちる人、一生平坦で変わらない人、急激に頂点に達して急激に陥落する人、その反対の人、などなど様々であろう。どちらかと言うと、この直流部分の変化の方が一生を決める要素になっているように思える。
そうであれば、日々の小さな浮き沈みは気にすることはない。
人生の転機に訪れるであろう直流部分の変化に心して対応しなければならないのだろう。そして、その変化もゼロサムになるのかもしれない。頂点にある人は最下点に達し、最下点の人は頂点に達し、波乱万丈の変化を繰り返す人もいるだろう。通常の人は直線的なパターンで変化が少ないのだろう。そして、大部分の人達はこの変化のない直線のパターンに落ち着いているのだろう。
自分の人生を考えると、
日々の持続的なよりよい人生のための努力をするしかない。直流分の急激な変化を最低限にして、その上に日々向上する変化を積み重ねるしかない。そのようにして徐々に人生の質を高めてゆくのだろう。そして、いずれかは下降に向かい、全体はゼロサムになるのかもしれない。自分が積み上げたプラスの部分がいつマイナスに転じるのかは自分でもわからない。神のみぞ知るである。
自分がどのような環境のもとに生まれるのかもわからない。
生まれた環境の出発点から日々向上の努力をしているのだろう。その努力の成果がいつ陥落するのかはわからない。何世代後かもしれないし、天変地異の変動によるかもしれない。そういう意味で自然は長期からみると全体としてはゼロサムであるのだろう。それでも我々は上を目指して日々進むしかない。問題は急激な変化である。対応困難な急激な変化は手に負えないし、とりあえずは受け入れるしかない。
生きとし生きるものは、
生まれた環境を出発点として日々より良く生きるために努力しているのである。出発点は違っても、それなりに幸せに生涯を終えることができる。全体のレベルは違ってもそれぞれのレベルごとに完結しているのである。このレベルを極端に急激に変化させることが問題なようである。それよりも日々より良く生きる努力ができる環境を整えることが重要なのだろう。何か考えさせられる気がする。
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