オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

人間の魂はどこにあるのだろう。

2017年05月10日 | Weblog

多くの人は脳にあると思っているだろう。

 私はそうは思わない。人間の最初の発生は一個の生殖細胞からなる。これが分裂を繰り返して人間が作られ生まれてくる。そうであれば、一個の生殖細胞の中にすべてが包含されていることになる。この発生過程で行われるのは、膨大な数の細胞の組み合わせである。その組み合わせによって一個の人間が作り上げられる。そして、当然ながらその組み合わせ方は一人一人違う。それが人間の個性となり時間の経過とともに人格を形成してゆくと考えている。この組み合わせそのものが人間の魂ではないかと思う。当然ながら組み合わせ方には質量も具体的な物体もない。そうであれば、自分の体全体が自分の魂なのであろう。

自分の体の細胞の一つ一つが魂を持って自律的に行動している。

 これを統制するのが「脳」である。いろいろな細胞からくる反応に応じて脳が各部に指令を出す。各細胞の反応が魂の根源か、その反応を交換する脳が魂の根源かと考えてみると、脳も細胞の塊であり、それぞれの細胞の反応によって脳の機能を果たしている。そうであれば、魂の根源は自分の体のすべての細胞一つ一つの中に収められていることになる。自分というアイデンティティーは最初に与えられた生殖細胞の中にあり、それから分裂した細胞のすべてに自分のアイデンティティーがあることになる。一つの細胞の中に無限の宇宙空間が広がっているのである。

私の存在は私の両親の組み合わせで誕生した。

 私という存在は私の両親からしか発生しない。私の母は健在だが、父は亡くなっている。ということは、現世での私の存在は二度と発生することはない。そして、父と母の細胞には原始の単細胞からの過去の膨大な系統の情報が詰まっている。その二人の情報の組み合わせで私が生まれた。私もそれを引き継いで生きている。胎児の発生過程の環境や状態によって細胞の組み合わせは変わってゆくであろう。その違いが兄弟姉妹の違いになるのかもしれない。結局は私の存在は私一人である。不可逆的で再生は不可能である。私の細胞から雌雄の生殖細胞を発生させて受精卵を作ることが可能であれば、私のコピーができるかもしれないが、分裂を開始した以降は別の組み合わせに走るので、コピーと言っても兄弟姉妹レベルであろうか?私の現世での魂はいずれ消滅するが、その魂のほとんどは我が子、兄弟姉妹と共有している。ご先祖様から未来永劫の子々孫々までこの魂は永遠に引き継がれることになる。魂は不滅なのである。

コンピュータ技術が発達して人工知能が生まれるかもしれない。

 しかし、これも「0」と「1」の膨大で複雑な組み合わせに過ぎない。人工知能が実現して魂を持つようになったとして、その魂とはこの組み合わせのことであろう。組み合わせが異なれば別の人格を持つし、個別に開発された人工知能で「0」と「1」の組み合わせが同一になることは人為的にコピーしない限りありえない。ただし、コンピュータの細胞とも言えるビットは「0」と「1」のみしか判断できないが、人間の細胞は無限大の判断を示す。いくら高性能のコンピュータでも人間と同等の人格を持つのは不可能だと思う。地球規模で全てのコンピュータをネットワーク化して統合処理できたらひとつの人格くらいはできるかもしれない。

細胞のDNAの解析が進んでいる。

 細胞内の無限の宇宙空間の探査が始まったところであるが、まだまだ入り口の部分ではないかと思う。なにせ、生物史上のすべての時系列から得た必要な情報が一つの細胞に組み込まれているのである。この一つの細胞の情報でさえコンピュータに置き換えることは不可能であろう。人間とは、いや生物とはとてつもなく偉大で計り知れない能力を持つ神がかりの存在なのである。ゾウリムシでさえ馬鹿にできない。一つの細胞を科学的に作り出すことは難しいかもしれないが、科学的な操作をした細胞を人工培養することは可能である。倫理的な考察も必要かもしれないが、私のコピーを培養することは可能かもしれない。しかし、それは私の生きているうちには不可能だろう。そういう意味で、現在の自分の体の各細胞を大切にし労わる気持ちを持ちたいものである。スペアは期待できないのである。

そう考えると、

 足の親指で考えるとか、耳で考えるとか、目で考えるとか、鼻で考えるとか、口で考えるとか、胃袋で考えるとか、心臓で考えるとかが可能な気がする。何も考えるところは脳だけではないのだ。脳は体の各部で考えた意見を統合し必要な体の部位に伝達しているに過ぎない。他の部位に関係なく単独で考えたら、何か独創的なものが生み出されるかもしれない。頭で考えると思い込んでいるから変な幻想と錯覚が生まれるのかもしれない。うつ病や認知症になる前に、頭を使わないでも考えることのできる能力を身に着けたら楽しそうである。

脳は腸から進化してできたと言われる。

 原初の生命体は外部から物質を取り込み活動のエネルギーを作り出す原始的なものである。その機能を果たすのが人間の腸であり、脳はその後にできたと考えられる。最初は腸が主要部分で、人間は腸が統制し考えていたのである。そう言えば、脳の形状は腸に似てるし、大と小もある。そして、現在でも腸が脳の機能を果たしている。小腸は特に重要な役割を持っている。脳と同じくらい小腸も大事にしなければならない。小腸は最強の臓器であり、がん細胞さえも跳ね返してしまうし、免疫機能や各種ホルモン物質を送り出して体全体を制御している。

私は時々、足で考えることがある。

 走りながら、歩きながら考えると、新しい発想が生まれることがある。この原稿も足で考えた成果である。頭で考えていたら出てこないし、頭の役割を貶めるような考えを頭が考えるわけがない。走りながら又は歩きながら足先に集中して足の細胞を駆使して考えてみると、何かが生まれそうである。感覚器官の目や耳や鼻や口や皮膚は入力信号が多すぎて、処理能力が追い付かず、思い込みや錯覚が生じそうである。よって、時にはこれらの感覚を封じて考えてみることも必要である。今まで解らなかったものが明らかになるかもしれない。特に目から入る活字や画像や映像などは自然現象と異なり間違った認識が植え付けられることが多いし、これに耳から同時に情報が入ると、これだけで何も疑わず信じ込んでしまう。反省しながら今度は指先で考えてみようかと画策している。


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