オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

約束

2024年02月10日 | Weblog
約束は未来に向かってするものである。

 未来は予測困難で、いつ何が起こって約束を果たせなくなるかは誰にもわからない。それなのに我々は安易に約束をしてしまう。通常約束する時は、このまま状況が変化しなければ予定通り約束を果たせるという意味だとお互いに思っている。日本の交通機関は通常定時運行されていて、その信頼性が高いので、他の交通手段にもまして公共の交通機関を利用する。約束をより確実に守りたければ公共の交通機関を利用することとなる。このために注がれる技術と労力は相当なものだと思うが、日本人の真面目で几帳面な性格は世界的にも有名である。

昔中東で勤務していた時、

 重機をトレーラーから降ろしている現場に立ち会った。斜めのスロープの踏板を使ってバックで降ろしているのだが、どう見ても角度からして重機の後ろのシャーシーが路面に接触するのは私でも解っていたが、6人くらいの現地の従業員は誰も中止しようとしない。そして、接触する寸前で停止させて、この問題についてどうするかとみんなでワァワァと現地語でまくし立てて激論している。観察している私としては、そうなるのは解りきっているだろうと思ってみていたが、彼らは成功することを信じて挑戦しているのである。その途中で問題が起こったことになる。

話を聞いてみると、積み込んだ時は木材の台を使ったが、その木材はそのまま置いてきたらしい。

 それを知らないで、積み込めたのだから降ろせるはずだということらしい。当然、積み込んだ人と降ろす人は別の人である。しかし、自分で見ていれば無理なのはわかるだろうと私はあきれていた。みんなで寄ってたかって激論はかわすが、解決策には行きつかない。しょうがないので、私が歩道の段差を利用することを提案した。車道から一段高い歩道にスロープを設置して降ろすのである。道路は広くて、歩道も降ろすに十分な地積がある。そうすると、6人の中の長老と思しき人が出てきてやり方を説明し始めた。たぶん、こんなやり方をするのは初めてであろうと思われた。

不測事態の対処において、やり方は二通りある。

 一つは起こってから対処する方法であり、もう一つは事前に予測して準備しながら対処する方法である。彼らは前者の方法を採用しているのである。日本人はどっちかというと後者の方法を採用する人が多いと思う。せっかちなので、起こる前に準備して対処したいのだろう。こんなところに国民性の違いを観察することができた。前者と後者で、最悪の事態にならなければ、どちらでも最終的には解決できるのだろうが、前者は起こった後の対処が大変であるが、後者は事前の準備が大変である。どちらが正解というわけでもないが、定期的に起こっているものは、後者で対応し、ほとんど起こらないようなものは前者で対応するのだろう。

現地の人達と付き合っていると、

 初めて遭遇することには精力的に挑戦するのである。何でもかんでも「No problem」で引き受けてくれる。本当に大丈夫かなとも思っていると、案の定いろいろな問題が生じるが、彼らはその問題に積極的に一つ一つ取り組んでいる。ただ、問題が解決して、一つの手順が決まってしまうと、そのことについては安心して任せられるし、確実に処理してくれる。この信頼感は絶大である。恒常的な業務は何も心配することなく任せておくことができるし、期待を裏切らない。例えば、新規の場所まで車で行ってもらうと最初は戸惑っているが、次からはどんな遠いところでもどうやって覚えているのか知らないが、全く間違わないで行けるようになる。ナビなんかないのである。また、一度見た顔は忘れないようで、その後もちゃんと忘れないで覚えていてくれる。

現地の従業員を雇用している日本企業において、

 出勤時刻を守らない人が多いので、ある時社員教育のつもりで、「明日はちゃんと時間を守れ、遅れたら首にする」と担当者が指導したそうである。そうしたらその日の真夜中に正門前で不審者の集団がたむろしていると警備担当から通報があった。担当者が現地に行ってみると、現地雇用の労働者の人達が、明日遅刻しないように今からここで待機しているということであった。彼らにすると約束を厳格に守るということは、こういうことなのである。厳格な約束をしてもやってみなければどうなるかはわからない。結果は神のみぞ知る。そんな厳格な約束はできないし、守れないというのが言い分であるらしい。嘘はつけないのである。

約束して厳格な場所や時刻を指定されても、

 その通り実行できるかはわからないし、そんな約束はできない。ただ、やるかやらないかの意志は示している。やらないとは言っていないのである。どこどこでいついつまでにとは明言できないのである。ただ、いずれかの方法でやるといった約束は果たすのである。約束のとらえ方が違うような気がした。中東の人々は近視眼的でなく、もっと大局的に遠い将来を大きくとらえて生きているような気がする。あまりにも日本人がセコセコと細かいことを神経質に気にしすぎなのかもしれない。もっと大らかな世界があるんだと思ったものである。

起こる前に事前に予測し準備することは無駄が多い。

 起こらなければ準備は無駄になる。日本人にはこの無駄が多すぎるのではないだろうか?この無駄が今の経済の停滞を招いているのだと思う。そして、準備に疲れてやる前から実行に移すことを躊躇ってしまう。当然ながら、起こってから対処する集団に対しては後れを取ってしまう。まずは、やってみようとするエネルギーと実行力が不足しているのだろう。日本を追随していた各国のエネルギーは素晴らしい。材料さえ与えれば創意工夫でなんでも作ってしまう。その労働力を生むエネルギーはとにかくやってみようという意気込みであるようだ。そんな輸入製品が日本国内のどこもここにも溢れている。少しは反省する時期にきているようだ。

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