オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

政治家の意見

2006年07月04日 | Weblog

「このような施策では国民が納得しない」と息巻いて反論する政治家がいる。

 何か変である。「国民が納得しない」と判断したのは誰なんだろう。多分自分で判断したのであろう。まさかこのために世論調査をしたわけではあるまい。「国民が納得しないから反対」するのも一方的な考え方である。国民が納得しても反対、国民が納得して自分も賛成、国民が納得しなくても賛成、国民が納得しなくて自分も反対といろいろな選択肢があるはずである。その選択肢の「国民が納得しないから反対」と言う意見は誰の意見だろう。当然「自分」の意見である。

「国民が納得しないから反対」という言い方は、国民を虎の威にした言い方である。

 結局は、自分の判断と自分の意見を押しつけているに過ぎないが、自分の意見としては主張していないような印象を与える。当然ながら結果として間違っていれば「国民」のせいにするつもりなのであろう。国民が納得しないと思ったから反対したまでだと逃げるのだろう。自分の意見としての詳細な分析や検討も必要としないし、責任も回避できる都合のいい言い方である。本来であれば国民はさておいて「自分」はどう考えるかというしっかりとした具体的な意見を述べなければならない。そしてその意見にはしっかりと責任をとってもらわなければならないのである。これに国民がついてくるかどうかは自分の意見の正当性と説得力次第である。

何故国民が反対するのか、どこを改善すれば反対意見がなくなるのか、

 どんな政策を取り入れれば賛成してもらえるのか、を自分なりに明確にして具体的な意見とすべきである。当然ながら、「国民が賛成することは自分も賛成」というのは、自分の意見を全く持っていないのに等しい。こんな政治家は国を悪い方向に導く元凶になっている。国を良くするためには国民がたとえ反対しようとやり抜かなければならないこともある。これを行う人こそ政治家であり、これが政治家の真骨頂である。国民は大衆であり大衆の意見には目的・目標意識は乏しい。ただの平均的な考え方しかできない。だから政治が必要であり政治家が必要なのである。

国民の大衆意識を目覚めさせ奮い立たせるのが政治家の役割である。

 国民の判断は政治の行いに対して下される。国民の意見が最初で政治がこれに追随するという考えは間違いである。政治が国民を牽引し、その結果について国民が評価を下すのである。適正な評価を受けるためには確固たる信念と自分なりの意見とその正当性の十分な説明が必要である。国民の人気取りだけの政治家はクビにしなければならない。人気取りの政治家は国を良くするための施策を未来永劫打ち出すことはできない。ただ単に現状維持と成り行きに任せるしか方策はない。現状維持が国民の最大公約数的意見であり、変化要因が何もなければそれでも良いかも知れないが、変化した事項には迅速かつ柔軟に対応してゆかなければならない。この対応策を決めるのが政治家である。

上位を目指すためには犠牲と努力が必要である。

 犠牲と努力を必要としてもあえて上位を目指す信念が重要である。信念のないところには停滞しかない。下手をすると停滞どころか腐敗や後退に向かうことになる。自然は放ったらかしていれば崩壊へ向かう。崩壊を阻止するためには常に上位を目指して犠牲と努力を継続しなければならない。この状態で新旧交代がなされ、新陳代謝を促して最低限でも現状を維持することができる。現状を維持するだけでも犠牲が必要なのである。犠牲を惜しんでいたのでは、これまでに積み上げてきたものを腐敗させてしまうことになる。

賄賂を取る政治家は絶対に国のために良いことはしない。

 誰が考えても正しいことをそのまま通すのは周囲の同意を得られ易く実行は比較的簡単である。しかし、正しいことをそのままやったのでは賄賂を取る政治家にとって旨味がない。自己の権力を駆使して別の結論に導くことにより一部の者の権益を守ることができ、その権益で得た一部を賄賂としてもらうことになる。よって、賄賂が絡むと政治は悪い方向にしか進まないようになる。賄賂の絡んだ事業を見てみると、誰が考えても常識では理解できないような結果に向けて突っ走っているのが通常である。しかも、受け取った賄賂の金額に比して無駄となった国損はとんでもない膨大な金額となる。こんなことは絶対させてはならないのである。

賄賂の授受が悪いという前に、そのような状況を許している組織・制度を改善すべきである。

 誰が考えても正しいことをそのまま通す環境を作るべきである。「政治だから仕方がない」とあきらめないことである。地方の時代が叫ばれているが、その先には国民の時代がある。今の日本の政治は国民の声が正確に国政に反映されていない。あちこちで政治が私物化されている。持ちつ持たれつの関係で政治の金が動いている。その詳細な説明もなされることはないし、公の場で議論されることもない。何となくいつの間にか誰とはなしに決定されて、その陰で暗躍している得体の知れない人物がうろうろしている。もっとこの部分を公の場に引きずり出して個人責任の基に議論して透明化すべきである。


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