テレビで時々、「ガンバロー! ガンバロー!!」と集団で拳を上げて気勢を上げている。
本人たちは自分達の団結の強さをアピールしているつもりかもしれないが、私にはただ単なるカラ元気か形だけのセレモニーにしか見えないし、何を頑張るのか意味不明である。テレビ受けを良くするための演出という見方もあるが、演出だけで中身がないので撮影が終わったら皆さんそそくさと解散するのであろう。ますます意味が解らない。
個人に対して団結を強制するのは何か変である。
個人は基本的にバラバラである。いろんな個性を持った人が集まって組織ができている。組織の団結を維持するためには、バラバラの個性を持つ個人を有機的に結びつけて組織として力を発揮する仕組みを作ることが必要である。その仕組みを作るのは組織のトップに立つ人であり主要なポストに立つ人である。バラバラの個人が集合して「ガンバロー! ガンバロー!!」と気勢を上げても何の意味もない。勘違いしては困る。そんなことでもしないと団結が示せないような組織は最初から崩壊している。
個人個人みんなが全く同じ考え方で同じ行動が取れれば団結が確保できていると考えるのは妄想である。
そんな組織は危なっかしくてしょうがない。一度判断ミスをすると全員が判断ミスをするような組織は崩壊するしかない。組織に所属する個人はそれぞれの地位と役割があり、それぞれの地位と役割をしっかりと果たせることが強い組織であり組織の団結である。その地位と役割を与えるのは組織のトップに立つ人であり主要なポストに立つ人であり、これを動かすのも組織のトップに立つ人であり主要なポストに立つ人である。団結を支えるのはバラバラの個人ではなく、組織のトップに立つ人であり主要なポストに立つ人である。この人達がしっかりしていれば団結が乱れることはないし、団結を乱す者は排除しなければならない。
海外で現地の会社と取引をしたことがある。
最初は、会社の受付を経由して担当者らしき人を見つけて、電話で話をするたびに担当者が代わる。日本で言うたらい回しかとも思ったが、最終的には担当者を見つけて商談について電話とメールでやり取りをしていた。ある日、その担当者から直接会いたいという要請があったのでその会社に出かけていった。受付でその担当者に会い、初対面でこちら側の威厳も保つ必要があると思って「会社の社長に会いたい」と要請したら、「私がオーナー(社長)です」という答えが返ってきた。私が担当者だと思っていた人は実は会社のトップだったのである。その後、この会社とはスムーズな取引ができ、総合的な会社だったのでいろいろな面で重宝した。
海外では責任範囲が明確で、自分の責任外については組織の上へ上へと上がってゆく。
だから組織のトップに立つ人や主要なポストに立つ人の立場は大変である。当然下の人より上の人は責任重大で知識も経験も豊富で優れた能力の持ち主でないと務まらない。日本の場合は、ある部門の直接の担当者は組織の下っ端であり、その人を通じてその会社の上部組織とやり取りをする。その直接の担当者個人を探すところから仕事は始まり、その担当部門については個人の権限に委ねられている。社長自らが出てきて直接調整するようなことはまずあり得ない。この違いに感心したし面白いなぁと思った。
反対に、海外の場合、
下部組織では自分の責任外のことは全く関知しないという特性もある。どっちが優れているか迷うところだが、私は両方の折衷案が最良だと思う。日本人は優秀だから、ある程度下部組織に責任と権限を委譲することも可能だが、上部組織が自己の責任と権限を適正にかつ積極的に行使できる体制でないと組織力を十分発揮することはできない思う。
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