オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

高齢者ドライバーの交通事故の多発

2019年04月26日 | Weblog
メディアにおいて盛んに報道されている。

 さも、高齢者ドライバーを一律に悪人扱いである。そして、車の運転を止めさせて免許証を返納せよと迫っている。私に言わせれば、身体的な弱者である高齢者こそ自動車が必要なのだろう。自動車は移動手段である。移動に支障がある人にとっては必要不可欠なものである。交通手段の整備されていない地方だから許されるとか、都会だから許されないという話ではない。免許証を取り上げるなんて言語道断である。

考えてみると、重大な交通事故は年中起こっている。

 高齢者の事故もその一部である。高齢者の事故が増大しているのは、高齢者が増えているのであろう。重大な交通事故が一番多いのは20歳代である。それでは、20歳代の免許証を取り上げろと言えるのだろうか…。それと同じことを高齢者ドライバーに強制しているのである。しかも、70歳から高齢者講習があり、75歳からこれに加え認知機能検査がありこれにパスしないと免許証の更新ができない。

確かに重大な交通事故を起こせば誰でも免許停止になる。

 交通違反を繰り返せば同じように免許停止になる。当然自動車の運転に支障があり精神的・身体的に運転能力に問題がある場合は運転してならないのはどの世代でも同様である。しかし、70歳以上の高齢者は優良ドライバーであっても一律に高齢者講習が、75歳以上は認知機能検査が義務付けられる。果たして公正・公平、民主的なのだろうか…。確かに悲惨な事故を見せられると何か対策をしなければならないと思うことは当然だろうが、ただ単に高齢者の免許証更新に制限を設けることだけで解決するとは思えない。

高齢者は運転経験もあり、安全運転に徹している。

 少なくとも若者みたいな無謀な暴走運転はしないし、するつもりもない。なのに何故重大な交通事故が起きるのだろうか。冷静に考えると、各年代層において自動車の一般的な操作ミスをする傾向はあまり変わらなくて、高齢者が突出しているわけではない。一番多いのは免許取りたての20歳代である。そして、重大な交通事故は各年代層に発生している。高齢者は加齢による能力の低下はあるが、同時に安全・安心運転に徹しているため相殺されて交通事故そのものはそれほど多くない。

何故これほど衝撃的に報道されるのだろう。

 それは、操作ミスに対する対応が高齢者は遅れ、緊急時になって切迫した場合認知・判断ミスが伴って重大事故に発展してしまうし、事故の重大性から大々的に報道されるのであろう。高齢者でなければ、操作ミスをしてもその後の対応が適切で認知・判断も正確なため重大事故に至っていないだけではないのだろうか。高齢者の重大事故の原因を見てみると、ほとんどがアクセルとブレーキの踏み間違いである。これでは重大事故になるのは必然である。

私は若かりし頃自動車教習所でブレーキとアクセルの踏み方を習った。

 ブレーキの手前に踵をつけて、ブレーキを踏む形を優先して、アクセルは踵はつけたままで足先を右に回転させて踏むのである。脚を上げて踵を離してアクセルとブレーキを踏むと動作が同じなために位置が違えば踏み間違えることになる。また、踵をつけたままで操作するとアクセルもブレーキも細かい動作が可能になり運転もスムーズになるのである。こんな基本的なことも徹底すべきなのだろう。同様にハンドルも両手での送りハンドルは不安全でダメだと教わった。左右交互に両手を交差させながらハンドルを回すのである。ドライバー側も気を付ける点はあるのだろうが、これは全世代共通である。

何故メディアは自動車の安全性能の欠陥について大々的に報じないのだろう。

 自動車メーカーによからぬ忖度をしているのだろうか?高齢者が安全に運転できる自動車を提供するのが問題解決の最短の近道だと思う。それよりも高齢者のための移動手段そのものについてもっと考える必要がある。若者や自動車マニアが満足できるような自動車を高齢者が運転していたのでは操作ミスで重大事故を起こしても仕方ない気もする。操作ミスをしても安全に運転できる高齢者のための自動車を開発すべきである。最高速度を制限することも考えるべきであろう。

高齢者用のシニアカーなるものがある。

 街中で時々見かけるが、あまり利便性がいいとは私は思えない。もっと真剣に本格的に徹底して開発していいものを作ってもらいたいものである。少なくとも自転車と同様に利用できる簡易車両として高齢者用に開発してもらいたいものである。高齢者は移動手段さえ確保できれば、高齢者に使い勝手の悪い一般人の利用する自動車をわざわざ使う必要はない。未来志向のシニアカーが登場すれば、免許も簡易化され、状況によっては講習のみで免許もいらないかもしれない。

私はセグウェイに何度か乗ったことがある。

 セグウェイとは自立型の電動立ち乗り二輪車で、重心の移動だけで自分の体の一部のように自由自在に簡単操作できる。路上でも室内でも小回りが利いてその場で回転もできるし、何もしなければその場で停止する。走行速度も自転車並みである。立っても座っても操作できるのでこれこそ高齢者の移動手段だと当時は思った。しかし、未だに公道で走れないし、普及は一向に進んでいない。アメリカで発明されたものだから日本で認定されるには障壁があるのであろうか…。

私もいつかは高齢者の仲間入りをする。

 その時は、是非高齢者に優しい高齢者のための移動手段が登場していることを切望する。同様に身体に不自由がある人達の自動車も併せてもう一度見直して専用の自動車を開発してもらいたい。再度言うが、自動車は身体の弱者のための交通手段であって、街中をぶっ飛ばすものではない。走行性能ばかりを売り物にしないで、是非安心・安全な移動手段を目指して努力してもらいたいものである。期待している。
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人間はいい加減である | トップ | キリスト降誕 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事