現代人の生活は怠惰であっても済んでしまう。
それほど便利で快適な生活が望まなくても可能である。しかし、だからと言って怠惰な生活が通常ではない。野生動物の生活を考えると、生きるのに必死であり、必死でなければ生きることができない。必死であるということは怠惰な生活とは正反対であり、怠惰な生活なんかしていると、最初に生存競争の餌食になってしまい、生き延びることはなく、当然子孫も消滅する。
現代生活で本来の理想とする行動の手本はプロのアスリートである。
いろいろなスポーツのプロのアスリートの動きが理想とする手本である。我々凡人はそのことを再認識しなければならない。怠惰なままでいてはいけないのである。少しでも見習って理想とする手本を目指さなければならないし、常にその気持ちをもって日々の生活を送る必要がある。プロの世界は我々と遠く離れた世界ではなく身近な何時でも目にできる我々の理想とするフォームを見せてくれている。そして、我々はそれを見習わなければならないのである。
例えば、歩き方である。
子供の時から本能で歩き始めて、そのまま放置していると怠惰な歩き方になる。なぜならば、危機に瀕して敏速に行動するような場面は現代社会における人間にはほとんどないのである。そうであれば、猫背で腰を落として膝を曲げてガニ股で歩く怠惰なフォームに落ち着いてしまう。この方が楽なのである。楽な動きを追求したのがこのフォームである。しかし、このフォームは理想ではなく合理的でもなく身体に対する負担も大きくなる。
プロのアスリートの走り方、歩き方を見たらいい。
誰も怠惰な歩き方はしていない。背筋を真っすぐに腰を先行させて膝を伸ばしてかかとから足先に体重移動しつま先で蹴り出して歩いている。体操選手などは大げさすぎるほどの理想の歩き方である。ここにお手本があるのである。なぜ見習わないのだろう。それよりも先に、歩き方にも訓練が必要であるが、今の教育制度で歩き方の訓練なんてあまり聞かない。だから、街中で怠惰な歩き方をあちこちで見かけるのである。老若男女怠惰な歩き方をしている人が多い。
時々、理想的な歩き方をしている人を街中で見る。
それは、残念なことに外国人である。確かに外国人にも怠惰な歩き方をしている人を見るが、颯爽とした歩き方で闊歩している人は外国人であることが多い。その歩き方だけで周囲と一線を画して目立っているし魅力的だし美しいと思う。私もこれを見習いたいと思っている。これから年齢を重ねて筋力も衰えて油断すると怠惰な歩き方になるかもしれないが、大いに体力錬成して何時までも若々しい歩き方ができるように心がけたい。
座り方も同じである。
背もたれからずり落ちた感じでのけぞって、股をおっぴろげて座っているのを見ると見っとも無くてため息が出てしまう。多分すべての筋肉を弛緩させて楽な姿勢をとっているつもりなのだろうが、反対に言うと、姿勢を維持するための筋力が衰えているのだろう。座面に深く座って背筋を伸ばして両足を揃えて座る姿勢は何も苦痛でも窮屈でもない。そして見た目にも端正でスマートで美しい。第一、周囲の人に迷惑もかけない。こんな教育はどこで誰がするんだろう。少なくとも、個人個人が美しいものを学んで、実行する心がけを教えていかなければならないだろうと思う。
先日同級会があった。
その中で、お腹の出ている旧友がいて、どうしたらお腹が引っ込むのかと尋ねられた。私は「お腹を引っ込める筋肉を意識して鍛えればいいんだよ」と言った。相手は怪訝な顔をしていたが、実はその通りなのである。お腹を引っ込める筋肉が衰えていて、内臓を保持する力がなくなっているので、内臓全体が垂れ下がってお腹に落ち込んで突き出ているのである。申し訳ないけれども、怠惰な生活を繰り返して楽な方法を追求しているとこのようになる。そして、このことは内臓に悪い影響を及ぼす。もっと悪い場合はこの内臓に脂肪が堆積してさらに下腹部が突出することとなる。これもカロリー過多と運動不足の結果である。いったいこの中に何が入っているのだろう?と不思議に思うくらいのお腹である。まぁ、すぐには改善できないので、少しずつ生活習慣を変えていくことが必要なんだろう。
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