オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

解決する当てのない不満

2006年05月22日 | Weblog


人間のわがまま

 「九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がないときでさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言い続けるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜ私達は不満を後まわしにして、感謝すべきことを先に言わないのだろう」と作家の故三浦綾子さんは言い遺している。しかし、私は十のうち一つの不満があることに感謝したい。全てが満ち足りていることの何と味気ないことよ。進歩も発展もないし生きる気力さえ沸いてこない。たとえ全てが満ち足りたとしても、次の瞬間新しい不満を見つけ出して常に文句を言い続けるのが人間の人間らしいところである。

と、ここまで思ってさらに考えた。

 常に満ち足りていない人はどうなるのだろう、そして、満ち足りていない不満を解決する方策が全て絶たれている場合はどうなるのだろうと・・・。これはもう不満ではなく運命として受け入れるしかないと思う。その上で新しい不満を見つけ出して、その不満が満たされるように努力してゆくのだろう。そして、「(新たに見つけた不満の)九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない」状態を続けるのだろうと思う。こう考えてみると、満ち足りた状態にある今の自分の幸せを噛みしめるとともに、これから老境に入って「解決する方策が全て絶たれた不満」をたくさん抱えることになる大変さを改めて考えさせられた。

解決する当てのない不満を嘆いても仕方ない。

 これは運命として受け入れるしかない。なのに人はこのことを嘆き文句を言い続ける。男の不満、女の不満、身体的不満、性格の不満、病気の不満、老化の不満などなどである。個人の力ではどうしようもなく変えることのできないものに不満を持っても仕方ないし、周囲からとやかく言われても仕方ない。また、そのこと自体を周囲が批判することは立派な差別である。解決不可能な不満を持つ人達は、これを運命と受け入れて堂々と社会を渡り合っていけばいいと思う。引け目を感じる必要はないし、与えられた運命をしっかりと受け止めて、なおかつ積極的によりよく生きる姿勢のほうが大切である。


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