現代は目まぐるしく変化する時代であるが、
世代間において新と旧が融合するとき、メンデルの法則を適用するとすれば、新と旧はどちらが優性であろうか。旧は過去の実績があり新は実績がない。現実的な観点からすればやはり旧が優性になるであろう。そうであれば、第1世代に現れるのは新旧の組み合わせだけであり旧が優性であれば表面的には旧の特性だけしか現出しない。そして第2世代は旧旧、旧新、新旧、新新となり、旧の特性を示すのが3で新の特性を示すのが1となる。ここではじめて新の特性を示すものが現れる。これが自然の法則であろうと思う。
新と旧が融合して全て新になってしまうのは自然ではない。
2世代目で3対1の割合で新新になるくらいが自然である。あとは環境に適応したものが生き残ることになる。新新が環境に適応すれば新新が生き残り新新同士が3世代目を形成する。うまくいけば3世代目で全てが新に入れ代わる。戦後日本に新しい体制が導入され、新と旧が融合されたとして本当に効果が現れるのは2世代目であり3世代目は選択交配をしなければならない。その時に新新を選ぶのか、新旧または旧新を選ぶのか(まさかこの期に及んで敢えて旧旧を選ぶことはないであろう)を決めなければならない。まさに今がその時期であると思うがどうであろうか。
さて、どの種を選択するか。
新新だけを選択すると、旧の特性が全て失われる。旧新または新旧を選択すると、旧が優性であり新が劣性であるためその次の世代は、旧旧、旧新、新旧、新新であり、旧の特性を示すものが3で新が1となり、第2世代と変化がない。旧新または新旧と新新を交配すると、旧新、新旧、新新、新新となり、新の特性が半分になる。面白いもので、交配の仕方によって、新の割合をゼロ、4分の1、半分、全部と調整することができる。どうやら賢明な選択は旧新もしくは新旧を選択した交配であるようである。新新や旧旧だけの選択は問題点が多いし、一旦間違うと取り返しがつかないことになる。
自然界においては種を故意に選択することは行われない。
あらゆる特性を持つ種が存在し、自然界に一番適応した種が生き残るもしくは多数派を占めることになる。自然淘汰である。この過去の淘汰の記録は遺伝子のDNA染色体に詳細に記録されているという。そして過去の淘汰の過程を全て経て生物は生まれてくる。これが自然であり、自然の法則でもある。過去を全て捨てた自然なんて存在しないし、過去の積み上げの上に現在がある。そして現在は将来へとつながり、我々は過去と将来をつなぐ現在に生きている。
我々は悠久の時空の中で生きていることを時々忘れてしまう。
悠久の時空の中では、「変化」と言われるものは世代の交代が最小単位である。世代が交代しない限り「変化」は生まれない。そして変化が具体的に現れるのは2世代目以降からである。当然新しい遺伝子が誕生しない限り変化も起こらない。我々が幻想として「変化」と思っているものは悠久の時空の中では些細なことでありとても変化と言えるものではない。ただし、これは生物について言えることであり、環境は別である。生物の一員である人間は地球環境を無思慮に大々的に変えているが、その変化は自分達の生命そのものを脅かしていることを肝に銘じなければならない。 我々生物は急激に変化できないのである。
ヘンテコなメンデルの法則なぞを持ち出したが、
自然の法則に従って、旧と新の入れ替わりを子細に検討すると、どうやら旧新もしくは新旧の形で変わってゆくのが正解であるようである。ところが、あちこちの議論は旧は悪であり新が正であるとか、旧を捨てて全て新に変えるべきであるという議論が喧しい。新しいものは新しい要素として徐々に時間をかけて取り入れて行くのが自然であり、主要な母体となるのは長年使い込んだ古いものである。そして、なぜ、どのようにして新しい要素を取り込まなければならないかを論じなければならないと思う。新が正しくて旧は間違っているとか、過去をチャラにして新しく創生期からやり直すという議論にはどうしてもついていけない。
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