オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

「入れ物」と「中身」の関係

2007年07月10日 | Weblog

景気が悪く不良債権をたくさん抱えている企業が多いし政府も借金財政である。

 この不良債権や負債や借金を緩和する画期的な方法がある。「インフレ」を起こすことである。7%ずつのインフレを10年間やれば貨幣価値は約半減する。額面100万円の借金が実質50万円になる。魅力的な方法である。経済が破綻した国はインフレ率が100倍も200倍にもなる。結局は負の財産を帳消しにするための手法である。しかし、よく考えてみると、負の財産(借金)を現に持った者には願ったり叶ったりだが、正の財産(貯金)を持つ者は貨幣価値が激減してしまう。これを防ぐためには貯金を早い時期に手放して普遍の価値を持つ財産(貴金属や土地)に変える必要がある。

計画的なインフレ(調整インフレ)は、結局は貨幣の信用を失墜させている。

 貨幣は信用を失ったらただの紙屑である。100万円の貨幣を持っていてもインフレで価値が半減するのであれば、みんな貨幣は捨てる。例えば100万円の価値のある貴金属を買う。貴金属の価値は不変でその時の相場で決まる。たぶん貨幣価値は半減してもその時の貴金属相場は200万円前後で落ち着くだろう。貨幣を貯蓄し持ち続ける意味がない。他の商品と交換する際の一時的な交換手段としての価値しかなくなる。「調整インフレ」信奉者はこのことを明確に把握しているのだろうか?

経済を活性化するためには「入れ物」でなく「中身」に注目する必要がある。

 政治家は「入れ物」の話ばかりしかしない。「入れ物」を用意するのが政治家だと思い込んでいるようである。そうではないと思う。たとえ「入れ物」に注目するにしても「中身」について十分に認識して考えなければならない。「中身」を無視して「入れ物」の体裁だけを整えようとするのは百害あって一利もない。根本的な問題解決を先送りして強制的に形だけを整えることに終始していたら、問題は蓄積してゆくだけで最終的には取り返しのつかないことになる。

「調整インフレ」の考え方は麻薬に近い効果しかもたらさない。

 今検討しなければならないのは、「調整インフレ」という国家権限を行使することではなく、国民レベル、企業レベル、地方自治体レベル、国レベルでの具体的な借金返済計画である。自分で作った借金は自分で払っていかなければならない。それをチャラにしようもしくは軽減しようと言うのは不届き千万である。この具体的な借金返済計画ができない限り、いつまで経っても借金に依存する体質から抜け出せない。

「調整インフレ」で一時的に借金の負担が減っても、

 いずれはまたもっと借金を重ねることは目に見えている。借金をしてもまた「調整インフレ」を実施すれば解決できるのである。借金に対する罪悪感は飛躍的に解消する。現に今も借金に対する罪悪感を失っているのである。そうじゃないと言うならそうじゃない証拠を見せてもらわなければならない。それが借金返済計画である。借金返済計画には自己分析と反省と問題点の抽出と具体的な対策と長期的な計画が網羅されている。当然今現在の膨れ上がった財政も見直してスリム化しなければならない。それがあってはじめて健全な道を目指すことができる。

「借金は国民の経済建て直しのためにした」という言い訳は通らない。

 国の借金は国民の借金でもある。借金返済分の負担は国民全員が我慢しなければならないのである。人気取りのためにその我慢を強いることを避けて形だけの借金の軽減を謀って誤魔化しても根本的な問題はいつまで経っても解決していない。無駄は無駄のままだし、見直されることもないで旧態依然たる「ころがし」をただ続けるだけである。金銭収支は最終的には合わせなければならない。借金しっぱなしでほったらかしたままごまかして済むと思ったら大間違いである。そんなことが許されるなら予算だ決算だとミリミリと金勘定する必要なんてさらさらない。

金銭収支は政策の善し悪しのバロメーターである。

 少ない予算で最大の効果を生む政策に心がけなければならない。そうであれば、前年と同じ効果をより安い費用で実現する方法もしくは、前年と同じ予算でさらに効果をあげ事業拡大できる方法を模索しなければならない。政策の場でそのような意気込みは全く感じられない。「ついた予算を何とか消化する」「予算通り執行する」「予算の余剰は適当に使い切る」みたいな感覚である。予算額は机上の計算結果であり通常安全率がかかっている。執行の段階で余剰も含めて再度具体的に再検討する必要がある。執行段階で余剰が生じないのはおかしいし、生じるのであればその分の細部計画も明らかにすべきである。そこら辺を柔軟に処理するための手順や手続きがはっきりしていない。入り口は厳しいが一旦通ったらあとは予算の上限までやりたい放題になっている。

金銭収支に基づく反省と改善がなされない限り、予算は膨らむ一方である。

 右肩上がりの経済成長であれば、何となく済んでいたかも知れないが、これからはそうはいかない。政治家は予算を膨らませば景気が上向くと考えているが、膨らませた予算に合わせて税金も増やさなければならない。当面は借金でしのげるが、いずれは返済を迫られるのである。国の予算が「他人の金」であればいくら大盤振る舞いしても構わないが、結局は「自分の金」であることを気づくべきである。そうすれば予算は効率的に無駄のないように使わなければならないことが理解できるはずである。これが「借金返済計画」の中身である。

税金を使って国がある事業を起こしたとする。

 そしてその事業がうまくいかなくなると、うまくいくような法令や基準や統制や規制を持ち出してくる。本来であれば事業がうまくいかない原因を明らかにして対策すべきなのに、無理矢理力ずくで周りを動かしてうまくいくような環境をこしらえようとする。これは本来おかしい。正常なものまでが正常に働かなくなる。下手をすると持ち出した事業そのものが最初から問題を含んだまま見切り発車している場合がある。一旦発射したものは止めることができないのが日本の政治における習わしである。困ったものである。

「入れ物」ばかりに固執して「中身」を忘れている状況をあちこちで見かける。

 「入れ物」を変えることで「中身」を無理矢理変えていこうとするのは政治のやり方としてはよろしくない。「中身」にふさわしい「入れ物」を用意するのが政治である。そして政治を論じる場合常に「中身」を考えることを最優先にしなければならない。「中身」をしっかりと掌握すればこれにあわせた「入れ物」を用意することは比較的簡単であり、「中身」が変わらない限り「入れ物」を変える必要はない。いや反対に中身が変わらないのに「入れ物」を変えてはいけないのである。正常なものが正常に機能しなくなり無駄が生じるだけである。

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