脳の機能は4つあるという。
記憶、理解、思い出し、ひらめき、だそうである。よく年を経るにしたがって記憶したことを思い出せないと嘆いている人がいるけれども、ただ引き出しにしまって、それを取り出すだけが脳の機能ではない。覚えたことを理解する必要があるし、この知識をもとに新しいひらめきを発想して創造的なものを作り出さなければならないのである。そう考えると、なんだか自分でも欠落があるのではないかと反省するものである。
若いころ、特に学生であったころ、
定期的に試験があった。期末試験とか、定期試験とか、入学試験とか、学力試験とか、入社試験とか、技能試験とか、資格試験とか、であっただろうか。しかし、年を経ると試験で試されることもないし、試験のために勉強することもなくなってきた。これでは記憶力も理解力も発想力も創造力も乏しくなるのは当然のことと思える。そうであれば日頃からこのような環境を作り出すことが重要ではないかと思えてくる。
現役で仕事をしていたころは、
仕事の中で課題が与えられ、問題点を見つけ、解決策を案出して、具体的に行動し成果を出すことの繰り返しであった気がする。これはこれで脳の機能を十二分に発揮していたことになる。仕事から離れて自由気ままな生活をしているとこんな機会も与えられることは少なく、自分でコントロールしてゆくしかなさそうである。欠けているのは、理解力と創造力である。
NHKの番組のチコちゃんではないが、
「ボォ~~~っと、生きてるんじゃねぇよ!!」と自分で自分に発破をかけないといけないようである。何でもかんでも知識がないといけないわけではない。知らなくて済むことは知らなくてもいいのである。しかし、自分で興味を持った部分についてはちゃんと記憶し、理解し、思い出しながら創造的な活動を続けてゆかなければならない。まずは、自分の周りで興味が持てることを探し出すことであろう。
果たして、興味を持てるものあるのだろうか?
あったにしても見過ごしてしまわないようにしなければならない。見て見ぬ振りも困ったものである。常に何もなかったようにして一日を終わってしまうのは悲しいことでもある。何か一つでもいいので、そのことをもっと理解する努力をし、理解した知識で創造的な活動に結び付けてゆく心がけが必要なんだろう。できれば、その成果をみんなに発表できればさらに素晴らしいことである。
学校教育も同じような気がする。
今の教育は、あまりにも記憶することと思い出すことに偏重し過ぎている。頭がいいことは記憶できて、それを自在に引っ張り出せる能力が高いこととなっていて、これを目的に教育が行われている気がする。私は違うだろうと思う。理解することと創造することがより重要なのである。どこまで理解しているか、何を創造するのかは漠然としていて評価が難しいとは思うが、最終的目標はここなのである。
今の日本の社会も同じような気がする。
みんな理解する努力を怠っている。というよりも見て見ないふりをして問題点を見過ごしてことの本質を理解しようとしていない。だから創造的な事業が展開できないのだと思う。そして、創造的な事業に挑戦することに躊躇いがある。なぜ挑戦できないかというと、本質的なことを理解してないのだと思う。基本的、基礎的なことから始めることを無駄なことと諦めている。これでは未来に向かって発展することはできない。
新しいことは自分で作り出すしかない。
周囲を見回して新しいものを見つけてそれに追随してもそれはすでに新しいものではないし、たとえ新しくてもスタートラインにおいて後れを取っている。どちらに勝利があるか明白である。今の日本がまさにその状況である。教育が悪いのか、政治が悪いのか、社会環境が悪いのか、そんなことを叫ぶばかりでなく、自らが創造性を発揮していろんなことに挑戦する気概を示していくしかなさそうである。
正直村さんの投稿は、私の頭に有ることが、言語化されている気がします。読んでいるとワクワクし、わたしに必要なことは、これだなとか、子供に言いたいことは、こうだ、とか、気づかされます。ありがとうございます。
今は派遣で働いているのですが、自分の想像からビジネスを生み出したく、試行錯誤しています。
今回のブログにあるように、理解し想像していくことこそが、記憶より、上回る大事なことだと感じました。素敵なブログに感謝です。