オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

参議院選挙と都知事選挙がやってくる。

2016年06月18日 | Weblog
選挙の有権者年齢が18歳に引き下げられた。

 この意味を考えると、若者の政治離れがある。何とか若者の政治への関心を呼び起こそうという国側の思惑が見えてくる。中にはゼロ歳児も含めて有権者にすべきだという論調もある。当然ゼロ歳児は投票できないので、保護者が代わって投票するそうである。すべての国民が有権者であり、皆が政治へ参加できることとなる。一見よさそうに見えるが、なんか変な感じがする。我々一人一人が日本国民として全体を見通した自覚ある行動をすべきではないかと考えさせられるし、そうではないことの裏返しの結果が国民全員総選挙なのではなかろうか?

民主主義における選挙は、国民に代わって政治を担う代表者を選定することである。

 あくまで政治を行うのは日本国民全員である。その責任が国民一人一人に問われる。国民が自分のことしか考えないで政治に無関心で消極的であれば、それなりの政治家しか選出されない。それなりの政治家には国民の代表としての実力も信用も経験も備わっていない。そんな政治家でも選挙に当選する。選挙活動を一生懸命すればいいのである。いつの間にか政治活動のすべてが選挙活動にすり替わってしまう。第2次世界大戦による敗戦で一方的に植え付けられた日本国の民主主義はいまだ未成熟である。少なくとも国民が決起して勝ち取った民主主義ではない。

よく、「そんな政策では選挙で戦えない」「国民の理解が得られない」という。

 これは、選挙が目的化して選挙に勝つためだけに政治を行っていることを自ら吐露している。これは国民の選ばれた代表が行うことではない。単なる多数決で政治を動かすなら政治家はいらない。その都度国民投票して決めればいいことである。しかし、国民投票の結果が決して最適な政策ではない。だから国民の代表である政治家集団に英知を結集して最適の政策を捻出してもらうのである。そのためには、政治家集団は少なくとも国民の平均よりも優れた実力と実行力と経験を備えたシンクタンクであるべきである。

国民は政治家集団を信用していない。

 そんな政治家集団を選出したのは日本国民である。問題はどこにあるのだろう。私はもっと全体を総合的に考えるべきだと思う。若者は若者だけのことを、老人は老人だけのことを、男は男だけのことを、女は女だけのことを、勝ち組は勝ち組だけのことを、負け組は負け組だけのことを、強者は強者だけのことを、弱者は弱者だけのことを、etc…。そして自分だけの刹那的な今だけしか考えないからおかしくなるのだろう。そして、自分達だけの文句が政治に対する不信となる。自己を主張するなら自己以外の他者の存在も尊重しなければならない。そして過去現在未来と一貫した考えであり意見であるべきである。

ゼロ歳児まで含めて有権者にすべきだという論調は、

 国民全体がゼロ歳児のことをゼロ歳児の立場になって考えていないことでもある。少なくともゼロ歳児の保護者は少しでも考えてくれるだろうと保護者の投票数を複数にするのであろう。本来であれば、最初から日本国民一人一人が広い視野と見解をもって国民全体そして日本国をどうしようかというのか考えるべきなのである。例えば、若者が高齢者を支えているのではなく、今の若者が何十年後かは高齢者になって支えられているのである。高齢者が豊かに生活できる姿は何十年後かの自分達の姿なのである。政治家が高齢者対策の失策を誤魔化すための若者へのへつらいであってはならない。

政治家集団はもっと長期的に全体を考えるべきである。

 あなた達は日本国民に選出された優秀なシンクタンクであり、日本国をより良くするために活躍することを期待されているのである。次の選挙に一喜一憂するのでなく、本来のあるべき政策で勝負してもらいたい。そしてその素晴らしい政策を日本国民に説明し説得することにより信頼を勝ち取るのである。国民の人気取りばかりしていては日本国の将来を誤った方向に導くばかりである。既にこれまでがそうで、その過去の教訓はいっぱい転がっている。人気だけで政治を行ってうまくいったためしがない。そして、日本国民は選挙を単なる人気投票にしないように一人一人が心がけなければならないと思う。

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