ちょっとデータは古いが、
インターネットで高校・大学の利用者の約半数がポルノ画像を見た経験があるということで、高校生の保護者の大半がポルノ画像発信者に自主規制を求めているという調査結果が総務庁(現在の総務省)から出されている。インターネットが普及しかけた頃は、インターネットが何でもできる魔法の道具だと異常にもてはやされた時期があった。今もまだその興奮が冷めきっていない。
私などはパソコン通信の延長線上でしか認識できず、
マスコミなどの異常な興奮ぶりに唖然としたものだ。あくまで道具であり、使い勝手が良くなっただけで、それほど革命的、画期的なものとは認識しておらず、現在もその考えは変わらない。今度は、インターネット=ポルノ画像、インターネット=詐欺の温床、インターネット=犯罪の温床、の大合唱である。
インターネットはあくまで「道具」である。
ポルノ本もあるが、読書=ポルノとは騒がない。ポルノビデオもあるが、この頃はすっかり社会的地位を確立している。好ましくない内容だからといって出版や報道・通信等を規制するのはおかしい。受け手が好ましくない内容を理性的に選択できる能力を個人的に発揮すれば、内容の健全性は概ね保持されるであろう。一方的に「好ましくない」という基準を押しつけることは許されない。一部のポルノマニアの存在は許さざるを得ないが、すべてがポルノに席巻されることもなかろう。
高校・大学の若者にも、
好ましくないと言われる「ポルノ」に対する免疫と、正常な選択をもてる理性を育てるべきであり、好ましくないと隔離していてはかえって正常な判断力を養成できないと思う。ポルノ画像が好ましくないというなら、その価値観と判断力をしっかりと教えるべきである(私に確たる基準はないが、ポルノ画像は個人的に好まない)。発信する側も受け手の意志を無視した強引な押し売りは道理に反する。ネットワークに害を及ぼすような内容を一方的に氾濫させるのは、公害であり、暴力であり、多大な迷惑となる。これはポルノ画像に限ったことではない。
情報化社会になって、
どんな情報も誰でも簡単に入手できるようになったが、反対にほとんどの情報は誰でも知るところとなり情報そのものの希少価値は少なくなっている。このありふれた情報に興味を持たせるためにはおもしろおかしく伝えるか、誇張や脚色(ひどいときはねつ造)をして、さも新しい情報であるかのように見せかけて提供することが横行しているようだ。また、受け手に解り安く理解させるために変に短絡した情報が発信されることが多くなった。
情報の本質は、最終的に人を動かす力である。
多くの人を感動させ、共感させ、具体的な行動を起こさせる情報に価値がある。しかし、それがデマや扇動であってはならない。どうも日本の社会はデマや扇動に弱いようだ。日本の場合、情報の発信者は自分がデマや扇動を流している自覚がなく本気で思い込んでいるのかもしれない。そのため受け手はそれを素直に信じて受け入れているのではなかろうか。(こう書いて私も不安になるが・・・・)
情報の発信者は事実を冷静にとらえて発信してもらいたい。
受け手はこれを冷静に判断できる能力を持ちたい。例えば、古くなるが三浦和義事件であり、ウィンドウズ95騒動であり、ナイフ禁止騒動などであり、近くは北朝鮮排斥の感情的報道である。どうも事実を冷静にとらえて情報を発信し判断し行動しているとは思えない。一億総ワイドショー現象とでもいえる一時的な興奮ぶりである。三浦和義事件は事実とは直接関係ない個人のプライバシーを覗き見することに熱中し、ウィンドウズ95は単なる新OSの登場にもかかわらず関係ない人種も含め大フィーバーした。
昔、バタフライナイフが諸悪の根源として総攻撃されたことがある。
ナイフによる殺傷事件が多発すれば、持たせることを禁止せよの大合唱である。事件を起こそうとすればナイフでなくても包丁やハサミでも可能である。要は殺傷事件を起こさないしっかりとした理性を育てることが重要で、持っていても人を傷つけるような用途に使わない「心」を育てねばならない。これらの反省がなくてその心を育てる努力はさておいて、若者をナイフから隔離することでとりあえず解決したと済ませている。しかも、熱が醒めて冷静になったとたん、今では誰もバタフライナイフを話題にも出さない。
ある自治体で、
○○○国籍の外国人が公営プールでわいせつ行為を繰り返したと言うことで「○○○人の入場お断り」と張り紙をしたそうである。もし、わいせつ行為をしたのが日本人であったら「日本人の入場お断り」とするのか・・・・?冷静に考えてほしい。ナイフが事件の原因なら、ナイフはすべてお断りというのと同じ短絡思考である。北朝鮮排斥の熱狂的報道も含め、未だにそのような報道が頻繁になされている。困ったものである。
話は主題からそれたが、
要は、ネットワークにおいては、理性ある発信者がいて、理性ある受け手がいれば、健全性は保持されると思う。社会が健全であればそれを反映してネットワークも健全性を保つはずである。ネットワークに健全性を要求する前に個人の集団としての「社会」の健全性を追求すべきである。得体の知れない基準で内容を規制し、見せかけの健全性を強制するのは許されない。健全な青少年であればポルノ画像に対する冷静な判断力を持ってしかるべきであり、得体の知れない規制に頼る前に健全な若者を育成する努力をすべきである。
結論として、
ポルノ画像にかこつけて青少年の健全性保持のためという名目でインターネットの内容を得体の知れない基準で規制するようなことは許されない。インターネットの情報の発信者及び受け手が自身の判断で粗悪なものを排除してゆく浄化機能を持つことが重要である。もしルール違反の情報発信者がいて、受け手の意に反して害を及ぼす内容を強制したり氾濫させるような事態が生じたら、受け手が団結してルール違反の発信者を排除すべきで、第3者が介在するものではない。受け手にはこれを拒否できる当然の権利を持っている。そのための手続きとしてのルールづくりは必要であり、もし公的機関が介入するならこれを支援することであろう。
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