つくづくと考えてみると、経済力だけではないと思い立つ。
まずは、国土だろう。面積もあるし、地政学的な価値もあるし、自然環境もある。この国土によって国力が決まる。次に人口であろう。確かに人口が多ければ人的資源としての国力は増大するが、これを維持するためには国力に応じた適正な人口が求められるのだろう。多すぎても少なすぎても国力は衰えてしまう。しかし、適正な人口を維持することは国力維持のためには必要なことである。地理と人口はほぼ確定的な要素であり、急激に変化することはない。よって、この要素で国力が急激に増減することはない。
次は歴史であろうか、
その国の歴史によって国力が決まる。国の人格のようなもので、これにより周辺諸国の信用と信頼を得てこれが国力に大いに貢献する。先人が蓄えてきた貴重なものであり、この歴史を汚さないように未来に向かって努力してゆかなければならない。その未来がその国の国力を決定し増大させるのである。文化も同じであろう。歴史には良いこともあり悪いこともあっただろうが、文化は優れて美しく普遍的なものが淘汰されて残ったもので、各国に存在し特徴的な多様性を保持している。
ここまでは、あまり変化がないものであるが、
次に経済がある。経済は日々変動し、日々一喜一憂しながら生活している。この経済力も国力の一部である。次に技術力である。これは過去に積み上げた文化と共通する部分はあるが、最先端技術の良し悪しが国力を左右する意味で、技術力も重要である。次に軍事力である。意外と日本では軍事力を国力とあまり認識していないが、自国の存在を確保するための重要な要素である。経済力や技術力や軍事力は日々変化しており、いかようにも変えることができ各国は鎬を削って競争に余念がない。
最後に、これらの定数的なものと変数的なものを司るソフトウェアーがある。
これも国力を大いに左右する大切なものであり、このソフトウェアーによって国力は多大な影響を受ける。まずは、戦略的な思考であり、これに基づく戦略的な計画であり、その大本となる政治意志である。意思のないところに戦略も計画も存在しない。これらのものが明確になって、国民が一丸となって突き進む目的・目標が示されていることによって国力は格段に増大する。国民がバラバラであっては国力は分散し雲散霧消してしまう。
こう考えてくると、国力を維持するためには、
定数的な国土、人口、文化、歴史を基本において、経済、技術、軍事力を掛け合わせて、最終的に政治意志に基づいた戦略的思考・計画によって運用されることによって国力が進展してゆくものと思われる。何かというと経済ばかりが重視されるが、経済ばかりが国力の要素ではないのである。経済が低調であっても国力は維持され、常に右肩上がりでないといけないこともないのである。全体的に調和を取りながら国力を維持していかなければならない。
世界は経済一辺倒である。
どこもここも経済発展ばかりが叫ばれる。果たしてそれが正しいのだろうかと疑問に思う。経済は国力を示す指標の一つに過ぎない。経済だけで国力を誇示するのは間違っている気がする。そして、経済が停滞すると無理やり強引に回復することを画策する。これが政治の使命だと思っているが、仕組みとしては可能かもしれないが、本当に人間の生活向上に貢献しているのだろうか?疑問に思えて仕方ない。一個人としては見えない部分で錯覚しているのではないかと思える。
新型コロナの対策予算が発表されている。
総額15兆円以上である。そして、2020年度の新規国債発行は112兆円以上である。15兆円とは簡単にすると概略一人当たり15万円ずつ負担する計算になる。112兆円とは簡単にすると概略一人当たり112万円の借金を立て替えることになる。一個人としてはどう考えても理解できない数字である。自分の収入からこれだけのお金を徴収されたらたまらない。まぁ、国としては日本銀行紙幣を発行すれば帳尻は合うのだろうが、これで済ませてはいけない気がする。
政府の戦略的思考・計画はどうなってるのだろう。
それよりも、政治意志はどこに向かっているのだろう。なるようにしかならないでは将来に多大な禍根を残すことになるし、現に今とんでもないことになりつつあるのである。もっと腰を落ち着けて、大局高所に立った長期的な視野で英知を尽くして戦略的意思をもって戦略的計画を作り上げて、あるべき姿に戻って現実的・具体的に地道な政策を展開しなければならないと思う。少なくとも収支決算だけは合わせる努力をしなければならないのだろう。
まずは、国土だろう。面積もあるし、地政学的な価値もあるし、自然環境もある。この国土によって国力が決まる。次に人口であろう。確かに人口が多ければ人的資源としての国力は増大するが、これを維持するためには国力に応じた適正な人口が求められるのだろう。多すぎても少なすぎても国力は衰えてしまう。しかし、適正な人口を維持することは国力維持のためには必要なことである。地理と人口はほぼ確定的な要素であり、急激に変化することはない。よって、この要素で国力が急激に増減することはない。
次は歴史であろうか、
その国の歴史によって国力が決まる。国の人格のようなもので、これにより周辺諸国の信用と信頼を得てこれが国力に大いに貢献する。先人が蓄えてきた貴重なものであり、この歴史を汚さないように未来に向かって努力してゆかなければならない。その未来がその国の国力を決定し増大させるのである。文化も同じであろう。歴史には良いこともあり悪いこともあっただろうが、文化は優れて美しく普遍的なものが淘汰されて残ったもので、各国に存在し特徴的な多様性を保持している。
ここまでは、あまり変化がないものであるが、
次に経済がある。経済は日々変動し、日々一喜一憂しながら生活している。この経済力も国力の一部である。次に技術力である。これは過去に積み上げた文化と共通する部分はあるが、最先端技術の良し悪しが国力を左右する意味で、技術力も重要である。次に軍事力である。意外と日本では軍事力を国力とあまり認識していないが、自国の存在を確保するための重要な要素である。経済力や技術力や軍事力は日々変化しており、いかようにも変えることができ各国は鎬を削って競争に余念がない。
最後に、これらの定数的なものと変数的なものを司るソフトウェアーがある。
これも国力を大いに左右する大切なものであり、このソフトウェアーによって国力は多大な影響を受ける。まずは、戦略的な思考であり、これに基づく戦略的な計画であり、その大本となる政治意志である。意思のないところに戦略も計画も存在しない。これらのものが明確になって、国民が一丸となって突き進む目的・目標が示されていることによって国力は格段に増大する。国民がバラバラであっては国力は分散し雲散霧消してしまう。
こう考えてくると、国力を維持するためには、
定数的な国土、人口、文化、歴史を基本において、経済、技術、軍事力を掛け合わせて、最終的に政治意志に基づいた戦略的思考・計画によって運用されることによって国力が進展してゆくものと思われる。何かというと経済ばかりが重視されるが、経済ばかりが国力の要素ではないのである。経済が低調であっても国力は維持され、常に右肩上がりでないといけないこともないのである。全体的に調和を取りながら国力を維持していかなければならない。
世界は経済一辺倒である。
どこもここも経済発展ばかりが叫ばれる。果たしてそれが正しいのだろうかと疑問に思う。経済は国力を示す指標の一つに過ぎない。経済だけで国力を誇示するのは間違っている気がする。そして、経済が停滞すると無理やり強引に回復することを画策する。これが政治の使命だと思っているが、仕組みとしては可能かもしれないが、本当に人間の生活向上に貢献しているのだろうか?疑問に思えて仕方ない。一個人としては見えない部分で錯覚しているのではないかと思える。
新型コロナの対策予算が発表されている。
総額15兆円以上である。そして、2020年度の新規国債発行は112兆円以上である。15兆円とは簡単にすると概略一人当たり15万円ずつ負担する計算になる。112兆円とは簡単にすると概略一人当たり112万円の借金を立て替えることになる。一個人としてはどう考えても理解できない数字である。自分の収入からこれだけのお金を徴収されたらたまらない。まぁ、国としては日本銀行紙幣を発行すれば帳尻は合うのだろうが、これで済ませてはいけない気がする。
政府の戦略的思考・計画はどうなってるのだろう。
それよりも、政治意志はどこに向かっているのだろう。なるようにしかならないでは将来に多大な禍根を残すことになるし、現に今とんでもないことになりつつあるのである。もっと腰を落ち着けて、大局高所に立った長期的な視野で英知を尽くして戦略的意思をもって戦略的計画を作り上げて、あるべき姿に戻って現実的・具体的に地道な政策を展開しなければならないと思う。少なくとも収支決算だけは合わせる努力をしなければならないのだろう。
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