あけましておめでとうございます。
令和3年も、新型コロナに関係なく、安穏とした生活を続けております。ささやかな繁栄を享受できることに感謝しております。贅沢旅行や豪華な外食をしなくとも、自分なりの楽しみを見つけて、何事にも前向きに積極的に取り組んでおります。かえって無駄がなく充実した毎日が可能になりました。新型コロナは我々に一度立ち止まって考え直す機会を与えてくれているのではないかと思います。無駄な金を使わなければ自由を犠牲にして無理に金のため働く必要もなくなります。
森山直太朗さんが「生きてることが辛いなら」という歌を歌ってます。
その歌詞の中に、
生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り
気が付きゃみんな年取って
同じとこに行くのだから
と言うのがある。
「小さく死ぬ」とはどんなことだろう。自分が死んでも三日経てば元通りに世界は回っていると言いたいのだろうが、よく考えると、人間は毎日「小さく」死んでいるのである。毎日は昼夜の繰り返しであるが、暗闇は眠りの時であり、眠っている時は「小さな死」とも言える。しかし、夜が明ければまた小さな死から復活し生を得ることができる。これが復活しなければ本当の死となる。毎日のこの繰り返しが「死」の予行演習であり、この繰り返しこそが「生」であり、「死」は繰り返される「生」を準備する時間でもある。
「生」あるものは毎日「死」を小さく体験しているのである。
何も「死」を恐れることはない。それよりも毎日復活して「生」を謳歌していることに感謝しなければならない。「死」は我々の身近にあるのである。「死」によって「生」を準備し、「生」を謳歌するのである。我々が「永遠の死」と思い込んでいるのも、準備期間が長いだけで、いずれかは復活するのだろうと思う。いつどこでどういう形で復活するかはわからないが、みんな同じ道をたどって復活するのだろう。そんなことを感じながらこの歌を自分でも歌っている。
私達は毎朝目覚めるたびに生まれ変わっている。
「ブッダ」という言葉は、サンスクリット語で「目覚めた人」という意味で、宇宙の真実に目覚めた人のことである。私達は毎朝目覚めるたびに「ブッダ」になっているのである。1日を過ごしているうちに、欲に負けて葛藤し周囲に惑わされて自分に正直に生きられないためにその目覚めた真実は歪められ変容していってしまう。そして、また次の朝新しく目覚めて「ブッダ」になるのである。これの繰り返しで一生を終わることとなる。ある朝目覚めることができなくなったら、これで人生の終わりではあるが、「ブッダ」のままで変わることなくあの世に行くのである。私たちはもともと「ブッダ」なのである。
こんな歌詞もある。
生きてることが辛いなら
嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場
生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ
歴史が小さなブランコとはどんなことだろう。
行ったり来たりの反復でいつかは元通りに戻っているということではないかと思う。自分が見つめる永遠の行先は巡り巡って現在の自分の後頭部に戻ってくるのである。永遠の時空も本を正せば自分の中にある。永劫の時間にとって人間の築いた歴史は小さなブランコに過ぎない。宇宙は小さな水飲み場と言っているが、確かに銀河系宇宙の形は水飲み場に似ている。水が出てくるところが地球かも知れない。水飲み場とはオアシスとも言える。地球は砂漠の真ん中にあるオアシスかもしれない。
ブランコと水飲み場といって連想するのは「公園」である。
我々の住んでる世界は近所の身近な公園かもしれない。その公園のブランコが過去にも未来にも永遠の歴史であり、その歴史を行ったり来たりしているのである。公園の水飲み場は銀河系宇宙なのである。そう考えると、この公園は何と壮大なんだろう。しかもその壮大な公園はさらに大きな無限空間につながっている。その中で「嫌になるまで生きる」のである。辛くても苦しくても生き続けることがとっても重要なのだろう。生きてることこそが幸福なのであり、生きてるからこそ幸福を追求できるのである。
最後に「くたばる喜びとっておけ」である。
仏教の究極の神髄は神でも仏でもない。永遠の時間と無量の光こそが究極の本尊である。これを信じて体感できればくたばることも喜びとなるのである。自分の目の前に流れている永遠の時間と天空から降り注ぐ絶えることない太陽の光こそ我々の本尊とすべきであり、考えてみると神はどこにでも存在しているのである。神社仏閣などは人間のための施設であって、神は時空を超えたところに存在する。そして、私達はもともと「ブッダ」であることを再認識して「ブッダ」に恥じないような人生を送らなければならない。
新年早々変な話ばかりになったが、思いついたことは止められない。これも私の思考を留める記録となるのだろう。
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