オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

名物先生

2007年03月11日 | Weblog

中学生の頃、男の初老の名物先生がいた。

 男子学生を人気のない教室に呼び込んで、ズボンと下着をぬがせて成長期の性器の機能点検をするのである。私は呼ばれなかったが多くの級友が犠牲になっていた。そして、その生徒から後日談をたくさん聞かされた。今考えると誰でも彼でもという訳ではなく、成長が遅いと思われる学生だったように思える。現在であればセクハラ先生として訴えられて即懲戒免職であろうが、当時は大らかなもので笑って済まされていた。

しかし、この体験は当時の我々に多くのものを考えさせた。

 自分の性器に関心をもって、友達同士で話し合ったりもできた。後日談の何をされたか何を言われたかも包み隠さず話題になった。話題の中心は今で言うところの勃起したか、陰毛がどうか、大きさがどうか、堅さがどうか、ということであっただろうか。この頃の子供達は果たして友達同士でこんなことを話し合うんだろうか?そういう意味で話題を提供した当時の名物先生の功績は大である。実践的、現実的性教育であったのかもしれない。

昔の学校のトイレは木造で汲み取り式であった。

 我々わんぱく坊主どもは、きれいな若い女の先生がトイレに入ると、外側で友達数人でその音を聞いたりしていた。時には見つかって怒られたりしたが、女の先生でさえ最後は笑って済ましてくれた。現在であれば不良学生として警察に突き出されるのであろうか?しかし、この経験は女性も男性と同じだということを現実的に感じることで意義があったと思う。当然ながら分別がつくようになったらそんなことは自然としなくなる。

私が最初に精通したのは近所の男の上級生によってであった。

 こんなことを言うとホモの疑惑を生むが、決してそんなことはない。上級生の友達の家に泊まりに行って一緒に寝た時にいたずらか好奇心からか私の性器をいじられて勃起し精通した。彼は既に手淫の方法を知っており私にそれを教えてくれた。この上級生とは家族共々の付き合いであったし、別に変な関係をもっている訳でもなかった。当時は大らかなものであったが現在であったら彼は変態少年として警察に訴えられるかもしれない。

我々に性知識を教えてくれたのは近所の青年達だった。

 我々の知らないことを教えてくれて、何となく男女の性行為のやり方を理解できた。これも実践的、実社会的性教育であろう。今考えると当時の青年たちもすべてを知っていた訳ではなく興味半分実経験半分位であっただろう。結婚前の20歳前後の知識は知れたものである。それでも我々には貴重であったし想像力を総動員して聞き入っていたし、その後でも友達同志でさらに情報交換して真剣に話し合った。

何でこんな話をするかと言うと、

 変な変態事件が多発しているからである。しかもそれが窃盗や傷害や殺人事件に発展している。多くは性的興味が迷路に入り込んで肥大化しているように見える。こんな迷路は少なくとも高校生くらいまでに抜け出しておくべきだと思う。その機会を失った人達が大人になってこんな事件を起こすのだろう。この背景には、性について大らかに話し合う環境が少なくなっているんだろう。ただの知識や情報や教育だけでは一体感や共有感は生まれない。やはり人と人の関係で生まれてくるものだと思う。

人と人の関係がギスギスしている。

 何かがあるとすぐにセクハラだ、痴漢だ、変態だ、ストーカーだと訴えられ悪者扱いにされる。相手に対して積極的に干渉する勇気を殺いでしまう。何の手出しもできない。当然他人に直接触れることもできない。言葉だけのやり取りである。これでは人と人の関係で一体感や共有感は生まれないと思う。しかし、大切なのはこの一体感や共有感だと思う。人間みな同じなんだと思えれば安心もできるし不信感もなくなるし、同世代がみんなで話し合えば迷路に入り込むこともない。そんなことを思う今日この頃である。

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