私は過去にいじめにあったことが何度かある。
世間で言う「いじめ」の定義は定かではないが、そのままの意味で「いじめ」にあった。中学一年の時私はある中学校に転入してきた。その中学校では私は異質な存在であったらしく、影の番長に目をつけられ、ことあるごとに番長の手下に嫌がらせを受けていた。当時の私は素直で、そのことを「いじめ」とも思わずに、まともに対応して特に事なきを得ていたが、周りは幼稚園、小学校と同じ学校を経てきた生まれた時から馴染みの学生と私とではやはり違和感がある。
ある日、この学校の番長と思われる学生から呼び出しがあった。
この学校は、海に面していて海岸には松林がある観光地みたいな環境であったが、その海岸の松林に木造の体育倉庫があった。その倉庫に呼び出された。行ってみると、倉庫の中に番長を一番の上座に番付に応じて順番にずらっと悪どもが待ち構えていて、いろいろと難癖をつけてきた。要はお前は生意気だということだった。そう言われても自分は自分であり、自然にふるまっているだけなのに生意気だといわれても困ってしまう。
実は、呼び出しがあった時、クラスの誰かがそのことを知っていた。
そして同級生は、呼び出しがあった後どうなるのかが気がかりで、みんなで体育倉庫に来てくれたのである。体育倉庫は木造のため周囲の壁に隙間があって、みんなはその隙間から、これからどうなるのかと興味津々で覗いていた。そして、ある時、番長は覗かれていることに気付いた。どうやら番長は大衆の面前で話すことが得意でなかったらしく、気付いた途端、話し方がしどろもどろで、声も小さくなってしまった。そして、最後は「もういいから帰れ」と言ってくれた。
私は、指示に従って堂々とその場を後にした。
当然ながら、私はその密室の体育倉庫で番長グループに何らかの制裁を受けることを覚悟していた。最初の雰囲気はまさにそのものだったのである。しかも大勢と私一人では適う訳もないし結果は予想できた。下手をすると訳も分からず理由なしに土下座を強要され恭順を約束されたかもしれない。そんなことはしたくないと決心していたので、少々は暴力を受けることも覚悟していた。そして、少々の暴力を受けても降参するつもりはなかった。
今では、当時の私の同級生に大いに感謝しているが、
この話を今同級生にしても不思議とあまり覚えていない。私にとっては重大事件だったが、みんんなにとってはそれ程でもなかったようだ。反対に番長グループはみんなの昔からの顔馴染みだったのである。番長グループが何をするかの方が興味あったのかも知れない。頭の片隅ではやはり私が異質の存在であったことに違いはない。その部分で同感する要素はある程度あったのだろう。後の同級会では今でもみんなその認識を持っている。
その後は、番長グループの嫌がらせはなくなり、番長とは友達関係にもなった。
そして、第2グループの番長とも友達になり、その後私に対する「いじめ」はなくなった。反対に私という人間に対して理解してくれたのだと思う。「こいつはこういうやつでそれなりに面白いやつだ」と思ってくれたのだと思う。ただ、やはり生まれた時からおんなじ場所にいた人間同士の中にはすんなりと入っていけなかったし、いまだにその壁はある。それでもいいではないか、それが現実なんだ。その部分を完全に取り戻すことは未来永劫できない。
世の中に「いじめ」を受けている人達に言いたい。
受け身で被害者意識ばかり強調されるが、少なくともいじめる側もいじめられる側も対等であることから出発して、ぜひ自分にできる対策と努力をあきらめないでほしいと思う。そして、周囲の者もそのいじめられている姿とそれと戦っている姿を見て他人事と思わずに是非助けてやって欲しい。その関係があれば「いじめ」はなくなると思う。人間関係とコミュニケーションの重要さをつくづく痛感する私の昔話でした。
世間で言う「いじめ」の定義は定かではないが、そのままの意味で「いじめ」にあった。中学一年の時私はある中学校に転入してきた。その中学校では私は異質な存在であったらしく、影の番長に目をつけられ、ことあるごとに番長の手下に嫌がらせを受けていた。当時の私は素直で、そのことを「いじめ」とも思わずに、まともに対応して特に事なきを得ていたが、周りは幼稚園、小学校と同じ学校を経てきた生まれた時から馴染みの学生と私とではやはり違和感がある。
ある日、この学校の番長と思われる学生から呼び出しがあった。
この学校は、海に面していて海岸には松林がある観光地みたいな環境であったが、その海岸の松林に木造の体育倉庫があった。その倉庫に呼び出された。行ってみると、倉庫の中に番長を一番の上座に番付に応じて順番にずらっと悪どもが待ち構えていて、いろいろと難癖をつけてきた。要はお前は生意気だということだった。そう言われても自分は自分であり、自然にふるまっているだけなのに生意気だといわれても困ってしまう。
実は、呼び出しがあった時、クラスの誰かがそのことを知っていた。
そして同級生は、呼び出しがあった後どうなるのかが気がかりで、みんなで体育倉庫に来てくれたのである。体育倉庫は木造のため周囲の壁に隙間があって、みんなはその隙間から、これからどうなるのかと興味津々で覗いていた。そして、ある時、番長は覗かれていることに気付いた。どうやら番長は大衆の面前で話すことが得意でなかったらしく、気付いた途端、話し方がしどろもどろで、声も小さくなってしまった。そして、最後は「もういいから帰れ」と言ってくれた。
私は、指示に従って堂々とその場を後にした。
当然ながら、私はその密室の体育倉庫で番長グループに何らかの制裁を受けることを覚悟していた。最初の雰囲気はまさにそのものだったのである。しかも大勢と私一人では適う訳もないし結果は予想できた。下手をすると訳も分からず理由なしに土下座を強要され恭順を約束されたかもしれない。そんなことはしたくないと決心していたので、少々は暴力を受けることも覚悟していた。そして、少々の暴力を受けても降参するつもりはなかった。
今では、当時の私の同級生に大いに感謝しているが、
この話を今同級生にしても不思議とあまり覚えていない。私にとっては重大事件だったが、みんんなにとってはそれ程でもなかったようだ。反対に番長グループはみんなの昔からの顔馴染みだったのである。番長グループが何をするかの方が興味あったのかも知れない。頭の片隅ではやはり私が異質の存在であったことに違いはない。その部分で同感する要素はある程度あったのだろう。後の同級会では今でもみんなその認識を持っている。
その後は、番長グループの嫌がらせはなくなり、番長とは友達関係にもなった。
そして、第2グループの番長とも友達になり、その後私に対する「いじめ」はなくなった。反対に私という人間に対して理解してくれたのだと思う。「こいつはこういうやつでそれなりに面白いやつだ」と思ってくれたのだと思う。ただ、やはり生まれた時からおんなじ場所にいた人間同士の中にはすんなりと入っていけなかったし、いまだにその壁はある。それでもいいではないか、それが現実なんだ。その部分を完全に取り戻すことは未来永劫できない。
世の中に「いじめ」を受けている人達に言いたい。
受け身で被害者意識ばかり強調されるが、少なくともいじめる側もいじめられる側も対等であることから出発して、ぜひ自分にできる対策と努力をあきらめないでほしいと思う。そして、周囲の者もそのいじめられている姿とそれと戦っている姿を見て他人事と思わずに是非助けてやって欲しい。その関係があれば「いじめ」はなくなると思う。人間関係とコミュニケーションの重要さをつくづく痛感する私の昔話でした。
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