オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

少子化について

2023年11月26日 | Weblog

日本は少子化の傾向がずっと続いている。

 その原因は何だろうと私なりに考えてみた。はっきり言うと、子供に対する考え方が変わってきていると思う。子供をどう思っているかをもう一度考え直して、日本文化として教育してゆかなければならないのだろう。そこの部分の教育が抜けているのではないかと思う。また、子供を取り巻く環境も大きく変わってきている。それに対してどのように適用してゆくのかも重要だと思う。ただ金銭的な補助をして子育ての環境を整えただけでは、肝心の子供を産み育てる父親や母親のことを忘れてしまっている気もする。

昔は子供は多産多死であった。

 だから、たくさんの子供を産む必要があった。それで人口を適正に維持できた。6人の子供を産んでもそのうち健康に育つのは半数近くであったし、寿命も短くて、早い時期に死亡していた。今は少産少死である。出産時死亡率も低くて、ほとんどの幼児は平均寿命まで生き延びることができる。多産の必要はないのである。夫婦から出発して2人の子供を産めば、3世代同居になって平均寿命まで全員が生きたら親族は3倍以上に増えることになる。適度な人口を保つためには生まれる子供は2人でも十分なのである。

出産に対する考え方も変わってきている。

 「子供を作る」という言い方をする。夫婦や周囲の者が自分たちの意志で子供の出産をコントロールするのである。昔は子供は神からの授かりものであり、生まれた子供は神様扱いにして大切にした。そんな子供の出産を自分たちの管理下に置くなんてことは考えていなかった。自然のままに生まれ、自然のままに育っていったのである。その自然の行為をコントロールしようとしているし、また、コントロールすることが可能になったのである。だから、「子供を作る」という言い方に何の違和感も持たない。

子供を産むことが自分達でコントロールできるようになると、

 出産そのものを選択できるようになる。出産するかしないかは自分達の意志で決定できるようになったのである。ということは、出産できる能力を持ちながら出産を拒否することも可能になったことになる。出産は危険を伴うし、苦痛も伴うし、生まれれば子育てに専念しなければならない。それを解っていてなおかつ出産することを選択することは大変なことでもある。人間以外の動物であれば何も考えずに自然の行為に任せるのだろうが、人間は理性をもってこの選択を熟考することになる。

何故子供を産むのだろう。

 昔は子供は働き手であり、多くの子供を育てることは多くの働き手を確保する手段であった。子供の時から家の手伝いをし家計を助けていたのである。その部分が現代はなくなりつつある。多くの親は子供を働き手と認識して子供から利益を得ようとは思っていない。そうであれば、子供を産み育てるメリットはなくなりデメリットばかりになってしまう。それでも子供を産み育てる人たちがたくさんいる。私もその一人であった。私は、自分が生きた証として子孫を残したいと言うのが大きな理由であったが、人それぞれだろう。

子供を育てるのはペットを飼うのとは全く違う。

 なぜならば、子供は自分と同じ人間であり、無限の可能性を秘めている。その人間を育てることに大きな意義がある。自分の人生をかけて一人の人間を育てるのである。そこに大きな価値があり、喜びも充実感も生き甲斐もある。良いことも悪いことも含め自分の人生を見つめ直し、切磋琢磨して修行を積み重ねるようなものである。また、血の繋がった人生の伴侶でもある。孤独を解消し、困った時には助けてもらえるし、話し相手にもなってくれる。大いに子供を当てにしても良いのではないかと思う。

何故少子化になってしまったのだろう。

 産まないことを選択する、もしくは産む回数を少なくする人達が増えたのだろう。子供を育てる環境は昔に比べて格段に向上し整っている。それなのに少子化なのである。政府は更に予算を注ぎ込んで少子化対策をしようとしているが、肝心の出産年齢を抱えた両親やその家族が子供を産む気にならなければ先には進まない。そのために何をしなければならないか?どう考えても「カネ」だけではないだろう。子供を産み育てる崇高な意義についてちゃんと教育し、納得させなければならない。

果たしてどんな教育がなされているのだろう。

 教育というと押し付けがましく聞こえるが、日本文化として出産、子育てに対してどのような考え方を持っているのかを共通認識として獲得しなければならないのだろう。昔の考え方がそのまま通用するとは思わないし、現代の取り巻く環境は大きく変わっている。そのような中での出産、子育てがどうあるべきかどうあるのが理想なのか英知を集めて議論していかなければならないのだろう。それは学校教育だけでできるものではない。日本国上げて、特に知識人と言われる人たちが議論し纏め上げ普及し啓蒙し牽引していかなければならないのだろう。

核家族化も影響していると思う。

 家の考え方が遠のいて、3世代4世代で同居することが少なくなった。世代間での伝承ができなくて、親と子の関係だけになりつつあり、理想の家庭を実感できないために、負のイメージしか持てなくなっている。幸せな理想的な家庭がイメージできれば、それを目指して家庭を作り上げるのだろうし、そのためには子供の存在は不可欠である。核家族の中に閉じ籠もらないで、外に開けたオープンな考え方が必要なんだろう。爺ちゃんも婆ちゃんも隣近所も友人も社会もそこに参加しなければならない。


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