オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

人間の持つ宝物

2019年06月13日 | Weblog
先日歯に不具合があって歯医者に行った。

 噛む力が強すぎて奥歯の一本が割れてしまったのである。歯そのものは丈夫なので欠けた部分を金属で修復してもらった。現在は元通りに快適に暮らしている。考えてみると、歯は人間にとってとても貴重なものである。私にとってはどんな高価な宝石よりも貴重な存在である。そんなことを改めて考えるきっかけになった。生まれてから60年以上私の口の中で働いてくれている宝石にも引けを取らない素晴らしい存在である。

しかも、上下合わせて28個も持っている

 親知らずがまだ一本あるので合計29個である。親知らずは人間が野生動物であった頃の名残だそうで、私には上下の奥に二本ずつ4本もあった。歯医者さんによると「4本もあるのは珍しい、あなたはまるで野蛮人ですね」と言われたのを今でも覚えている。悪さをする親知らずは3本抜いたが、まだ一本残っている。親知らずと言っても立派な歯で、歯医者さんも抜くのに苦労したし、抜く時の「バキッ」という音と刺激を未だに覚えている。

この28個の宝石を毎日朝夕大切に磨いている。

 あちこち修復跡はあるが、おかげで虫歯もなく健康な歯を維持している。この状態を末永く続けていきたい。この28個の宝石はダイヤモンドやルビーやサファイヤと違ってきれいにして磨くだけではだめで、体の中から健康にしないと保全できない。8020運動なるものがある。80歳までに自分の歯を20本保持しましょうという運動である。今のところ、2年に一本抜けたとしても何とか達成しそうだが、現在抜けそうな歯は一本もない。

歯が老化のため弱くなっているのかと医者に聞いてみた。

 医者曰く、昔であれば60歳でほとんどの人は歯がなかったそうだ。虫歯になる前にみんな抜けてしまっていたそうだ。そう考えるとよくこれだけ立派な歯が残っているもんだと感心し医療の進歩にも感謝している。少々脆くなっても仕方のないことである。この際だから上等な歯にしようと医者に相談したら、高い歯は保険がきかないことと、私の場合は噛む力が強いので安くて丈夫な金属の方がいいとのことである。商売っ気のない歯医者であるが、お陰で納得できた。

歯の健康のためなら多少の出費も辞さないつもりだ。

 一億円の宝石を買うのならその一億円を歯のために使いたい。宝石は飾るだけだが、自分の歯は生命を維持するために大切な道具でもある。食物をかみ砕く消化機能だけでなく、運動機能も、脳機能も、精神機能にも影響を与えている。そして、真っ白な健康な歯は若さの象徴でもある。これほどの貴重な宝石はほかにはない。大いに大切にしたいものである。口腔内の健康も重要なことである。歯周病も虫歯も単に歯を維持するだけではない。

口腔内の菌が悪さをする。

 痴呆症やアルツハイマー病は口腔内の菌が血管を通じて伝染したことによると言うし、肺炎の原因は口腔内の菌だという。口腔内を健康にすることは高齢者の予防医療に重要な要素であり、あまり注目されていないが、大いに注目すべき健康管理ファクターなのである。口腔内は健康にとってすべての入り口でもあるのである。考えてみると、脳にも肺にも一番近い所に位置している。ここに疾患があれば直ちに影響を及ぼすのは納得がいく。

他にも人間は宝石を持っている。

 二つの水晶である。それはとりもなおさず眼球である。これも大切にしたい。眼球の病気には緑内障や白内障がある。緑内障は網膜の病気であり、白内障は水晶体そのものの病気である。いずれにしても本来持っている水晶という宝石の役割を十分に発揮するために健康に気を付けたい。視力は人間の生活に必要不可欠のものである。いくら老化したとしても必要な視力は確保したいものである。これも体調管理を正常に保つことにより維持可能である。

考えてみると立派な象牙も持っている。

 丈夫な骨がたくさんある。これは国際的に輸入禁止になっている象牙よりも貴重なものである。この骨も体調管理を怠ると骨粗しょう症という病気になり、簡単に骨折したり、潰れたりしてしまう。骨は物理的な刺激を与えないと衰えるばかりである。運動が推奨される所以でもある。また骨は内蔵機能も発揮し、いろいろなホルモンを発生する機関でもある。特に背骨付近の脊髄は重要な機能を担当している。大切にするとともに日頃から鍛える努力を怠らないように心掛けなければならない。

人間の体は年をとっても鍛えることができる。

 諦めるのは早い。少なくとも現状維持は可能であり、現状維持以上の努力をすることにより老化を防ぎ若さを保つことができる。それが可能なのである。諦めることはない。かといって、自分を追い込む必要もない。意外と普通の生活の中に健康のための要素がある。10分もあれば何か健康のための行動ができる。難しいことはない。やるかやらないかである。今日もジムに行ってきたが、受付でシニア料金のための年齢確認を受けた。体脂肪計によると私の体年齢は46歳だそうである。ある意味で自慢でもある。

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