満員電車に乗っていると、
入り口付近の両脇の手摺りにしがみついて、一生懸命頑張っている人をよく見かける。乗降客には著しく邪魔になっているにもかかわらず、乗る人に押し流されて奥に行かないよう、また、降りる人には押し出されないよう悲愴な顔をして激流に引っかかっている小枝の如く必死に耐えている。見ているとけなげさを通り越して無駄な努力をしている姿に馬鹿らしさを覚える時がある。
流体力学をかじった人は、
流体の出口の形状はその抵抗に大きく影響するのをご存じであろう。特に、両端の形状は重要であり、そこに突起物があるとほんの小さなものでも抵抗力は飛躍的に増加してしまう。また、最も大きな力が作用するのも両端である。入り口付近の両脇で頑張っている人は最も大きな力が作用するところで必死に耐えており、また、最も抵抗力が大きくて、みんなの迷惑になるところに位置していることになる。この突起物を取り除けば、人の流れは画期的にスムーズになる。
ピンポン玉で満員電車での乗降を模擬実験するとわかると思うが、
ピンポン玉が出口に向かって一斉に集中すると、出口に対し内側横一列アーチ状にお互いが押し合った状態で流れがストップしてしまう。そして押し合う力は両端に集中する。両端がスムーズに流れる形状であると力は前方向に作用し閉塞状態は解消する。また、開口部が十分に広いと中央部から閉塞状態は解消する。教訓としては、両端にかかる力は前方に流してやることと、開口部はなるべく広くとることである。そして、お互いがむしゃらに押し合わないでほんの少しの譲り合う気持ちを持つことである。そうすれば、よりスムーズにエレガントにかつ整然と乗降ができるようになる。
JRや私鉄は乗り降りをスムーズにするため、
ドアを広げることに苦心しているのに、それに対抗するように入り口付近の両脇を必死で死守する人が大勢いる。これは、前述のいずれの教訓にも反している。特に女の人が多いのには不思議でしょうがない。心理学的には出入り口付近に位置する人は目立ちたがり屋だという分析がある。若い女性が出入り口付近を好むのはそのせいかもしれない。殺人的な満員電車において最悪の場合は負傷者がでる可能性もある。是非この記事を読んでいる人は考え直してもらいたい。出入口の両端は解放することと、押されても無理に抵抗せず、お互いがほんの少しの譲り合いの精神を持つことである。
力学的に比較的力が作用しないのは真ん中である。
乗降りをする際は真ん中をおすすめする。そして、流れに逆らわず進むことである。また、出入り口付近は混雑し、お互いに余分な力が作用する。楽をしようとすれば奥に進むことである。奥は比較的すいており余裕がある。ところが、見ていると入り口付近で留まったままの人が意外に多い。奥へ進みたくとも進めない。たぶんすぐ降りるからそこに留まっているのであろうと観察してみるとそうでもない。単に面倒くさいだけの人が多いようである。
満員電車で電車の発進や停止の時に、
前後にドドドッと押し流されることがある。これは乗客全員の寄りかかり体質の実験みたいなものである。全員が少しずつ踏ん張ればこんなことはないが、全員が寄りかかりきっていると、電車の動きにあわせて慣性の法則で前にドドドッ後ろにドドドッと押し流されることとなる。力は蓄積されており、到底一人の力で支えられるものではない。
昔、学生時代に、
ドドドッと押し寄せてくる人の波にたまりかねていたずらをしたことがある。この人波を友達と二人である程度支えておいて、頃合いを見てサッと身を引くのである。その効果はあまりにも絶大で、数人が押し倒される事態になってしまった。これは下手をすると負傷者が出ると反省しこのいたずらは一回こっきりでやめてしまった。この時(30年以上前)いたずらの犠牲になった方にはこの場を借りて深くお詫び致します。
満員電車は社会生活の縮図である。
社会全体の様子を見ることなく視野の狭い個人的な思いこみで物事を為す時、そこに大きな齟齬が生まれ、本質からはずれた無用な労力や摩擦が生じる。他人任せで自助努力をしない集団は外的な要因に影響を受けやすく、何かの弾みにとんでもない方向に突進し、その時は一部の力でこれを止めることはもはやできない。根本的な問題は満員電車そのものかもしれない。満員電車で「個人」を自覚することはむつかしい。集団に流されるしかない。日本人の集団心理は意外に日本という国の人口密度の異常な高さにあるのかもしれない。
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