宇ゐの里山徒然記

町屋暮らしの後、2013年10月北山杉の里、右京区京北町に移り住みました。
周辺の紹介と暮らしの事など綴ります。

永徳後の狩野派展へ

2015年04月26日 | 京都のイベント
今日はふと思い立って国立博物館へ。

朝の仕事の後、イノダコーヒー本店でまったりと朝食の最中に
ネットでこれ↓に気がついたので。
"桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち"



展覧会チラシPDF

出品一覧


気がついて思い立ってから10分後、無事に国立博物館へ駐車できてその10分後には入場(*^ー゜)v
京都はやはり便利だ(笑)

私にとっては2007年11月に「狩野永徳展」に行って以来の狩野派。
永徳のその後というのも興味深く、
時代とすると豊臣から徳川へ天下が移る際の絵師たちの奮闘ぶりがこの展覧会でよくわかる。

永徳の死後長谷川等伯が台頭してきたのを受け
後継者たちが御用絵師としての勢力をいかに保っていったか。
そして江戸期へ移るにつれて画風が変化していく様などを堪能しながら
今年400年で湧く「琳派」の絵師たちとはまた違った、
豊臣・徳川・そして朝廷の御用絵師としてのプレッシャーも
展示作品を観るにつれ感じ、伝わってくるようだった。

チケットに採用された絵は、永徳の時と同じ唐獅子なのだが
今回のは永徳の養子の狩野山楽筆。
あえて唐獅子にしたのかな。






     

その後、同「平成知新館」の名品ギャラリーへ。
お目当ては『染織』~絞り染~
絞り染めは今日が最終日で滑り込み。
4/29からは『婚礼の衣装』が展示されるよう。これも楽しみだ。





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桜あちこち

2015年04月16日 | 京都の桜
今年の桜は咲き始めが早かった。

こちら京北の里山は
卒業、入学時の多忙な時期を過ぎた頃にソメイヨシノの満開が見られたのに
今年は寒い日が続いた早い時期に咲きだした。

朝の暗い時間から出かけて夜帰る為と、天気がぐずぐずで写真を撮るテンション上がらず。
あれよあれよという間に散ってしまった。

それでも仕事での依頼先へ向かう際に天気がいい時は
桜の写真が撮りたくてカメラ持参でうろうろはしていて、、、。


最初は嵐山から



4月2日 渡月橋から出る舟より。





同じくホテルの窓から保津川沿いの山桜。





同じ4月2日嵯峨野の大枝垂れ桜(円山公園の枝垂れの親桜とのこと)











4月4日醍醐寺の桜



   

   

この日は満開でお天気のいい貴重な日。(今年のソメイヨシノは醍醐寺のみ・・・)







同日、白梅町近くの洛星高校のシバザクラ。





同じ日の梅が畑西明寺の山躑躅


そして今日4月16日、やっとお天気が回復したので近所の宝泉寺へ。




枝垂れ桜のシャワー。






紅枝垂れは散ってしまって。




でも他の枝垂れ桜はまだまだ身頃。


黒田の千年桜はこれからだそうだ。

常照皇寺はいろんな枝垂れ桜が時間差で咲いて行くので
今行っても満開の木はあるそう。




まだ肌寒い日がある為、春らしい陽気が恋しい。

冬枯れの時はどの道を通ってもそれほど風景にアクセントがないが

この時期はあちこちで花が色づきその存在を主張する。

桜以外でも、木瓜の花 桃の花 まだ咲いている梅や雪柳もある。



これからは山の緑が美しい時期。

その中に可憐に咲く山野草も楽しみだ。


が、、、、


久々の更新が咲いた時期の備忘録で終わる。。。(´ω`;)








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山間の食事処

2014年12月21日 | 美味しいもん
京北町へ行くのにはトンネルをいくつか通る。
“杉の里トンネル”⇒“中川トンネル”⇒“笠トンネル”⇒“京北トンネル”だ。


今日は仕事帰りに高雄から“杉の里トンネル”と“中川トンネル”との間から東へ折れる道を行く
北区中川という地域へ、先月オープンした麺やさんへ行く為に回り道。


お店の名前は“山の麺処”
住所は京都市北区中川北山町100

   


麺は「三穀麺」という一瞬、???という麺なのだが
それが腰があって滋味深く美味しい。
つけ麺で食する。
今日は豚と十勝マッシュルームの入っているつけだれで。



蕎麦アレルギー、グルテンアレルギーなどなどの人も安心して食べられる麺だそう。
卵も小麦粉も不使用で、きび(黍)・ひえ(稗)・あわ(粟)のみ。
地の野菜・十勝マッシュルームも
店主さんが健康と身体にやさしい食べ物をと考えて厳選した食材ばかりだ。
中川は川を挟んだ山間の地域なので豊富な湧水を活かした料理を考えたそうだ。

いろりの脇には椎茸やマッシュルーム・ネギやサツマイモなどがざるに乗っていて
いろりで焼いて粗塩やテーブルの調味料を好きに使って好きなだけ食べられる。
焼いている間に隣の席の人達との会話もはずむ。





このお店は店主さんのお祖母様のお宅だそうで、
林業で栄えた時代を彷彿させる立派な構えと調度類。
深い艶が落ち着いた空間を作る。










中川は室町時代から数寄屋づくりや茶室に使われた北山杉の産地。
川端康成原作の『古都』のゆかりの地であり映画(山口百恵さんが主役)のロケ地にもなっている。
北山杉storyはこちらを。

   


着く前、これは先入観なのだがきっとおばあさんが麺をゆでて出しているお店という
勝手なイメージを持っていた。
しかし構えは確かに古の趣だが、いい意味で裏切られる。
てきぱきと遠来のお客様の接客をされているのは
清潔なユニフォームの店主さん達。








ただ、これから冬場の積雪や凍結もあって1月・2月はお休み。
年内も今日が最後だったので次の開店は3月になってしまう。

でもゆっくりと春の訪れとともに再開を待っていたい。
また違った野菜達がきっといろり端に顔を出すことだろう。

最後に出されたお抹茶と草餅。
おなかも気分もほっこりとできるリピート必至のお店だった。


『山の麺処』Facebookページ
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厚物の大菊

2014年11月04日 | 季節
毎年秋恒例の菊の展示。
下京区の和装小物問屋さんで訪れる業者さんへ堂々のお披露目となっている。

この菊達は11月初めにピークが来るよう狙って仕立てられているそうだ。
10月末頃に一番しっかり巻いた状態があったとのことだが
月初の売り出し時期にはまだまだその雄姿が健在。

種類は“厚物(アツモノ)”と言われ、直径が18㎝を越える。
子供の頭ほどはある立派な大きさ(@_@;)
威風堂々という言葉がぴったりの姿である。




そして代表的な三本仕立。
花の高さが少しずつ違って天地人の世界観を表しているそうである。

花が終わると一端切り落とされるが、
新芽を出させて寒肥えなどで越冬ののち、芽を挿木して新しい仕立ての開始となる。
その間、育てる土を探し、腐葉土を作るための落葉を集めるなど
育てる人は一年をほぼこの為に費やすそうだ。










↑万年筆がこの大きさ。


この厚物の大菊はその品種の名前も姿同様かなりどっしりとしている。

白が「国華越山」 黄は「(石川)金山」 赤は「国華強大」

大菊の他の種類の名前も

「国華宝亀」「国華深紅」「国華おたけび」「国華の静」「国華崇高」、、、、

スゴい名前が多く、やはり厚物の菊ならでは。

“国華”の名前の元は大阪の貝塚市にある『国華園』。

今は巨大な規模で花や野菜の苗などを扱っているが元はもちろん大菊の品種改良育成で

観賞用大菊の国内のシェアもかなりのもの。

今は「日本菊花全国大会」が和泉市の国華園本店で開催中(11/23まで)


    




    


能楽に『菊慈童』というものがある。

解説を拾うと

『菊花の咲き乱れる神仙境を舞台に、菊の花のめでたさと、
その菊が水に滴り不老不死の薬になった由来を語り、
永遠の美少年の長寿を寿ぐ曲。
リズミカルな謡に乗って、美少年が演ずる舞は、軽快で颯爽としており
この曲を魅力あるものにしている。華やかな舞尽くしの能である。』

とあった。
(日本語と日本文化:能楽の世界 http://japanese.hix05.com/Noh/noh.index.html “菊慈童”より抜粋 )

この菊と会ったことで、“菊慈童”も鑑賞してみたい演目になった。



菊を杯に浮かべてお酒を飲んだり、菊のお浸しや酢の物を食べたり
菊湯に入ったり、枕に花びらを詰めて香りを楽しんだり
そして乾燥させると薬としても効果がある。

不老長寿を願う能舞台、そして実際に生活にも役に立つ菊。
写真の菊は鑑賞菊だが、眺めて楽しむだけでもリラックス効果はある。
“自然”と“人の丹精”とが作り出す見事なまでの芸術に浸ることもできる。


ただ、この時期のこの姿を見る度にあ~もう1年が経ったとも感じる(´ω`;)
桜にしてもしかりなのだが。。。


来年2015年の重陽の節句は10月21日。





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祇園祭 2014 鉾を少し

2014年07月18日 | 京都のイベント
日本三大祭のひとつ祇園祭が毎年身近で行われていた。。。

なのに、巡行姿を生で観るのは今年が初めて。。。(^_^;)

人混みがニガテな為しかたないが、今年は余裕のある場所をお借りできたのでようやく。



結界のところに裃姿の人達が揃い、いよいよ巡行開始。


中継席もスタンバイ。


そして巡行が始まる。

先頭はもちろん長刀鉾。



生稚児が乗る唯一の鉾で、このお稚児さんが結界を刀で断ち、
鉾・山が神の域へ入る合図となる。


今年のお稚児さんはお漬物で有名な『西利』社長のご長男。


いよいよ結界に近づく。
残念ながら撮影場所からは結界を断つクライマックスは見られず。
鉾の右に見える綱が結界。


お囃子の姿、鉾の飾り。


その後各山鉾と曳き山が続く。
17日の前祭(さきまつり)は全23基。昨年は32基だったので9基少ない。
ただ今年からの後祭復活で残り9基に150年ぶりに復活する【大船鉾】があるので後祭は10基になる。

各鉾と山の説明はこちらを。


さてナマ巡行、
わずかの紹介だが、『孟宗山(筍山)』。


“孟宗”が病気の母親に雪の中を苦労して筍を掘って食べさせたという中国の“二十四孝”の話の一つに由来。
御利益はもちろん親孝行。


そして『函谷鉾』。地上から鉾頭までが約24mと大きい。
かつて“生稚児”だったのが初めて稚児人形(嘉太丸)とした革新的な鉾。
実は自宅改装でお世話になっている大工さんが、“屋根方”として頑張っておられる。
今年は実際には屋根に上らず若手に上ってもらったそうで。。。
ビル4Fからの撮影だったのに残念~~~。


函谷鉾の文字見送“金剛界礼懺文見送”は“現在の文字見送は天保の鉾再興時に複製織された”ものとのこと。
内容は密教経典や弘法大師の書物からの部分引用。文字の紋織は紋屋辰五郎による、当代の名人たちによって天保十年に完成したもの。

拡大で見送と屋根方さん、、、





鉾や山、これだけ大きな美術品が実際に動いて街を練るのは
毎年さまざまな役割の人達、職人さん達のいろいろなご苦労のもとで成り立つ。
安全に、そして無事にこの大きなお祭りを終わらせるのは
そのこと自体が人の生活や仕事が幸せに送れることを祈願するものだ。

そのおすそわけのように巡行姿や粽・手ぬぐいなどを通じて我々に届く。


後祭10基も楽しみだ。







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巨大伏条台杉群

2014年06月24日 | 京北町のこと
昨日は常照皇寺のある山国地域からさらに奥へ。

片波川流域京都府自然環境保全地域の中にある
京都府指定天然記念物の伏条台杉群生地へ。

伏条台杉(フクジョウダイスギ)は伸びた枝が雪の重みで地面につくほど降りた(伏せた)箇所に
根が張ってそのまま上に伸びて形が出来ているとのこと。
このように伏せた木が新しい株として成長していくことを伏条更新するといい
ここ片波川源流域の自然環境保全地域にあるほとんどの杉が
伏条更新したアシウスギだ。

アシウとは芦生の森(南丹美山)の杉が基準標本とされて名がつく。

そしてその木々は圧巻の姿で私たちの目の前に現れた。







そして。。。長い年月でまるで芸術品のような姿の“宿杉”。


  

6種類もの杉以外の樹木が着生して絡み合いながら
大きな木となっている。
土台となっている肝心の杉は枯れてしまって、その老いた姿の上へ
ほかの木々が枝葉を茂らせていた。

その後も次々と巨木が現れる。


  


  


樹齢は推定で400年以上のものばかりと言われている。
以下、ガイドブックからの引用。
------------------------------
片波川源流域一帯は、古くから御杣御陵(ミソマゴリョウ)として守られてきた森で
今日まで人為的な影響を受けながらも大切に残されてきた
西日本屈指の巨大杉群落の森です。

平安遷都後(784)山国、黒田地区の12か村が、御杣御料地(ミソマゴリョウチ)となり、
片波村もこれに含まれました。

平安京の造営時や御所炎上の際には、その都度、膨大な量の建材が、
この地より供給されたと云う記録が残っています。

 鎌倉、南北朝時代(1192-1392)には、御料林を中心とした林業技術が発達し、1本の木から多くの
材が取れる様に台杉(やぐら杉とも云う)仕立が盛んに行われました。

 安土、桃山時代(1573-1603)には、全国で築城が盛んになり、大阪城や伏見城の築城の際に京北の
地より大量の木材が筏で京の都へ流送されています。

 当時「山国杉」と名付けられ、現在の アシウスギ と呼ばれる天然杉から品種改良された杉(シロスギ)
により、挿し木が可能となり台杉仕立てに代わり1本植が盛んになりました。
そのため、南北朝時代からの台仕立ての巨大杉が残されたのでしょう。
このころ太閤検地に伴い、荘園制が解体し片波村は、山国の15 か村と共に独立します。
その後、江戸初期には、山国庄が幕領下に含まれます。
また、江戸末期には篠山藩領下になったことも記録に残っています。

 明治時代に入り、幕藩制の解体(1869)に伴い、御杣御料地は民間に払い下げられ私有地化し、
地域の人々に利用されていきますが、この地の伏条台杉は大きくなり過ぎた事から
幸いなことに伐採の手から逃れたと言われます。
------------------------------




  


大きさの目安で同行の方に立ってもらった。

  


杉の中には大昔に建材として削り取られた跡が残る物もある。
このそぎ落としたような跡は“盤取り(バンドリ)”といって
天井板やふすま板に使う為に切り取ったとのこと。
木目の美しさを活かした建材として都へ運ばれた。




この日は短い“周回コース”で。
この立看板から右手の道を行くと“東尾根コース”。
この地域で一番大きい“平安杉(幹周15.2m)”があるは東尾根コースなのだが、一日掛けての日程になるので
今日は“一の峰(578m)”と“二の峰(685m)”のショート周回コース。






この伏条台杉群は、人や村、そして都とのかかわりを数百年も前から
すべて抱いてどっしりと構えている。
巨大杉の前では日々の些細なことや自分と言う人間自体をほんとに小さく感じる。

雪にねじまげられてもまた根を張り、
他の樹木も一緒に成長していくその姿は
威厳とともに神々しさを持っていた。

可能ならこのままひっそりとこれからも枝を伸ばしていって欲しい。
そして何十年、何百年後、誰かがまたその木肌に触れた時に、
命のパワーと刻んできた歴史に想いを馳せることができたらと思う。

昨年9月の大雨で途中の道の落石・土砂がまだ残っていた。
立ち入り禁止の立て札もある。
人を寄せ付けにくくする自然の脅威は
この群棲地を封印する役目もあるのだろうかとも思った。



      







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ダンスパーティ

2014年06月10日 | 季節

・・・に出かけたのではない。
紫陽花の品種に付けられた名前のことである。


周山のコメリで園芸道具の買い物をしていたら
大きなアジサイ達に隠れるように陳列してあったのをGET。




持ち帰ってあらためてついていたフダを見ると“ダンスパーティ”とある。
八重の可憐な花で、その名の通り
まるでドレスをまとった貴婦人が輪を描くように踊っているようだ。

その数日後、
NHKの“美の壺”でアジサイをやっていたので何気なく視ていると
なんとその“ダンスパーティ”の品種を交配で作った人が紹介されていた。

この品種は2001年に加茂花菖蒲園の“一江豊一(イチエトヨカズ)”さんが作出登録されたとの事。
ガク咲きの園芸品種である。

交配は
〔八重花のヤマアジサイ“伊豆の花”〕
     ×
〔イギリスのナデシコ弁“Grant's Choice”〕
     ×
〔白八重花ガク咲きの“三宅常盤”〕


比較的育てやすいとのことで即刻地植えに。
大きく増えてくれると嬉しい。
ダンスパーティは土壌に関わらずピンクの花になるそうだが
果たして来年も咲いてくれるか。。。

(^人^)  (^人^)  (^人^)





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チャコの失踪

2014年05月26日 | 京北町のこと

ここ2週間、意気消沈&眠りが浅い状態が続いていた。

二週間前の火曜日、夜になってもチャコが帰宅しない。
こっちへ引っ越してから“山歩き”を許可して里山生活をチャコも楽しんでいたのだが
食事・トイレ・睡眠は必ず帰って来ていた。

前の家で保護してから生活のほどんどはほぼ家の中と坪庭。
⇒今はご近所の畑周辺と家の周辺をトコトコと自由に巡回。

それがその日を境にぷっつりと帰って来ず、
近所の人に聞いても見かけていないという話ばかり。
夜寝る際には必ず私の布団のところへ来ていてその重みを感じて眠りに着く生活がもう5年。
軽い布団になってしまって眠りの浅い日々が続いていた。


そして二週間。
山で何か事故にあったか、獣に襲われてけがをして帰れなくなったか、
遠くまで出かけてしまって帰る方向がわからなくなってしまったか、、、
いずれにしてもほぼあきらめムード。

近所の人も“生きていたらもう帰ってるでしょ・・・”と(p_q)


それが今日、同じように名前を呼んで家までの坂を上っている時に
かすかな鳴き声が、、、。
“えっ??”と思って名前を呼ぶとやはり間違いない。
しゃがれたような小さな声が隣の無人の家から聞こえる。

それもそのはず、外からの獣対策のせいか
かなりしっかりとした建物の中なので声がほんとにかすかなのだ。
物置状態で扉に鍵は掛かっていなかったので開けると
ゴロゴロと喉を鳴らしてすり寄ってきた。


チャコは生きていた。


尻尾に怪我の跡があり、これは近所のコとの喧嘩キズ。
失踪前は小さなキズだったのだが、栄養がなかった為かあまり治っておらず。
身体全体と顔がかなりスリムになっていた。


とにかく餌をあげると、まぁほんとにガツガツガツガツ。
大きな器で水をあげるとほぼ半分近くを一気飲み。

さらに黒いブツをトイレで。
間で一度も排泄していないようで匂いのない硬いブツだった。







ほっとした後にチャコが居た場所へ戻ってみると、
水らしきもののある場所ではなく、二週間の間、ほんとに飲まず食わずだった様子。
(虫とかは食べていたかもしれないが)
もう少し遅かったら間違いなく衰弱死していただろう。

お隣さんへ聞くとその家の親戚さんが二週間前に畑作業で来ていたとのこと。
猫の習性で開いている扉の隙間から入ってしまって
その人が帰る際にチャコに気がつかずに締めてしまったよう。


それからご近所の心配してくれた人たちにも無事生還の報告♪


今は私の傍でまどろんでいる。









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ブログタイトル変えました。

2014年05月12日 | 京北町のこと
このブログタイトルは

『宇ゐの町屋で徒然記』だったのを

昨年の引越しを境に『宇ゐの山里徒然記』に変更。

ところがそれがあまり当たっていないことにようやく気がつき、、、


『宇ゐの里山徒然記』と変更。

“山里”と“里山”、、、似ているようで違うようだ。

山里はいわゆる山間にある集落のこと。まぁ物理的に言えばそうなのだが、

今住んでいるところは“里山”の方が当たっている。

お隣さんは小さい時からこの地に住んでいるとのことだが、かつてはここまで杉林がなく

秋には山全部が紅葉したそうだ。

“里山”は人の生活と自然が共存する場所とのこと。

そこに人の手が加わった山のことを指すようだ。


原生林の中に住んでいるわけではないので“里山”(^v^)


ということで、、、庭先に丹精されている花々の紹介。

藤に続き、ご近所の美しい花。

今満開のモッコウバラ。(鹿に食べられずによく育っていたw)





そしてこれは“テマリカンボク”。

アジサイではない。

    

よく似ているがテマリカンボクはスイカズラ科ガマズミ属。

スノーボールと付けて呼ぶようだ。わかりやすい。



      


同じお宅の躑躅とモッコウバラのコラボ。そしてラベンダー。


山だけでなく、畑や田んぼ、そして庭先にも

住んでいる人たちの手が加わり、美しい風景を織りなしている。

今は自宅前の田植えが終わったところ。ここがやがて緑一色になり秋には黄金色になる。




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山の藤とあやめ

2014年05月07日 | 京北町のこと
GWも過ぎ、静かな里山が戻ってきた。

朝晩はけっこう気温が下るが今日は清々しい乾燥した晴天。

今は山の藤が満開となっていて、道を走っていると山藤に絡まられた木々を視ることができる。







       



かなりのボリュームでからまっているので木にとっては迷惑な蔓なのかもしれない。

道路から見ると色がいわゆる“藤色”よりもやや浅いが木全体が薄紫のカタマリ状態のものも。







そしてご近所の花。




これはアヤメ。

花びらに見えるガクの奥の方が絞り染の布状態になっている。

アヤメの語源は諸説あり、菖蒲を指すとも、花基部が網目状(絞り布=綾目模様)になっているからとも。

私はこの時期のその種の花はその絞り布説を採用して区別している。

    



もっとわかりやすくヒオウギアヤメ(網目状がくっきり from Wikipedia)

    



これからもいろんな花が控えている。

我が家の庭にもつぼみ状の植物が数種類。

咲いたらUP予定。
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