昨年、宇ゐのロゴを大阪の書家の先生にお願いした。
西村佳子先生である。
屋号は墨文字にしたかった。
きものを扱う業種なので普通といえば普通なのだが
それなりに文字の表現にも“宇ゐ風”であることを求めた。
過剰に気負わず、さらりとしていながら芯に力のある文字がいいと思っていたら
イメージにぴったりの文字を書かれている先生にめぐり合うことができた。
書いていただいた文字も一本筋の通ったいい文字となった。
素敵な文字を見ていると励まされると同時にパワーをもらえるような気がしてくるから不思議だ。
最近メールでのやりとりが増え、自分で筆を持つことがほんとに減った・・・
というか ほとんどなくなってしまった。
お礼もメール。誕生日のお祝いメッセージもメール。
いけない、いけないと思いながらもタイミングを逃すことを恐れ
即席で送れるメールでの便利さと速さに頼っている日々である。
昨日、その書家の先生が我が家に遊びに来てくださった。
“書く”ことについていろいろお話を伺うことができた。
同時に自分の横着さを実感してきた。。。。
“書”の世界は“和”の世界なのに・・・
ところで その書家の先生の昨年暮れの仕事の中にすごいものがあった。
2005年のFIFAトヨタカップの公式パンフレットの文字である
要するにあの『FIFA』がパンフレットの“顔”に認めて採用したのだ。
体育会系の宇ゐが惚れ込むハズだ! と密かに思った。。。
(FIFAの話は宇ゐがロゴ文字を依頼した後である)
先生の書かれる墨書きのアルファベットがパンフレットで
ダイナミックに踊っている(ハズである(>_<)私はまだ見ることが出来ていない・・・)。
(トヨタカップの会場以外ではパンフレットはほとんど入手困難・・・)
タイトルやチーム名などが西村先生の文字で書かれているらしいのだが
なんか宇ゐがFIFAと繋がっているような気がしてw(繋がってないないw)
瞬間的にミーハーになった私は、先生に許可していただいて記念に貰われたトヨタカップのバッジの写真を撮ることに成功。 ↓
この小さなバッジが先生にもたらす影響は今後さらに大きくなることは必至。
もし西村先生が京都へお越しの折には我が家を定宿としてお使いいただきたいものである。
先生にお休みいただく部屋の襖が“何故か真っ白”なので
なんか『落書き』してくださるとウレシーなぁ
西村佳子先生である。
屋号は墨文字にしたかった。
きものを扱う業種なので普通といえば普通なのだが
それなりに文字の表現にも“宇ゐ風”であることを求めた。
過剰に気負わず、さらりとしていながら芯に力のある文字がいいと思っていたら
イメージにぴったりの文字を書かれている先生にめぐり合うことができた。
書いていただいた文字も一本筋の通ったいい文字となった。
素敵な文字を見ていると励まされると同時にパワーをもらえるような気がしてくるから不思議だ。
最近メールでのやりとりが増え、自分で筆を持つことがほんとに減った・・・
というか ほとんどなくなってしまった。
お礼もメール。誕生日のお祝いメッセージもメール。
いけない、いけないと思いながらもタイミングを逃すことを恐れ
即席で送れるメールでの便利さと速さに頼っている日々である。
昨日、その書家の先生が我が家に遊びに来てくださった。
“書く”ことについていろいろお話を伺うことができた。
同時に自分の横着さを実感してきた。。。。
“書”の世界は“和”の世界なのに・・・
ところで その書家の先生の昨年暮れの仕事の中にすごいものがあった。
2005年のFIFAトヨタカップの公式パンフレットの文字である
要するにあの『FIFA』がパンフレットの“顔”に認めて採用したのだ。
体育会系の宇ゐが惚れ込むハズだ! と密かに思った。。。
(FIFAの話は宇ゐがロゴ文字を依頼した後である)
先生の書かれる墨書きのアルファベットがパンフレットで
ダイナミックに踊っている(ハズである(>_<)私はまだ見ることが出来ていない・・・)。
(トヨタカップの会場以外ではパンフレットはほとんど入手困難・・・)
タイトルやチーム名などが西村先生の文字で書かれているらしいのだが
なんか宇ゐがFIFAと繋がっているような気がしてw(繋がってないないw)
瞬間的にミーハーになった私は、先生に許可していただいて記念に貰われたトヨタカップのバッジの写真を撮ることに成功。 ↓
この小さなバッジが先生にもたらす影響は今後さらに大きくなることは必至。
もし西村先生が京都へお越しの折には我が家を定宿としてお使いいただきたいものである。
先生にお休みいただく部屋の襖が“何故か真っ白”なので
なんか『落書き』してくださるとウレシーなぁ