1月14日発売の週間文春が小室圭氏の小学校時代に行った虐めを報じた。
下級生女子に行った行為、同級生男子に対して行った行為相手を思いやる心の片鱗もない酷いものだ。
心ある親なら、それはしてはいけないことだと教えるだろう。が、佳代さんはどうだろう。
むしろその行為を自己正当化する論理を組み立てて圭氏に語ったのではないだろうか。
加害者の立場に立たされそうになったとき「私にそうさせた相手が悪い。」という他罰的論理を瞬時に組み立てることができるのがこういう人々の特徴です。そして「私にそうさせた相手が悪い。むしろ私は被害者だ。」と、するりと被害者の立場に立ってみせる。
傍からみれば、その論理のオカシサにすぐ気付くが、これをオカシイと気付かない人も少なくない。
眞子内親王も圭氏から「週刊誌報道は嘘だ。」もしくは「私をそうさせた相手が悪い。」という説明を受けて、「小室氏は悪くない。」と思いたい心を満足させているのかもしれません。
その眞子内親王についてですが、
「眞子内親王は結婚する以外に自由になれる道がない。」と言う人々がいる。
三浦瑠璃氏も文藝春秋の対談でそのように語っているが、そんなことはない。
皇室典範第十一条 年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
皇室典範にこの条項があることは、誰でも知っているでしょう。
三浦瑠璃さんは知らないの?まさかね。
眞子内親王も皇族の暮らしから自由になりたいだけなら、小室圭氏との結婚を利用しなくても皇居の外へ出ることはできます。
ちなみに自分の意志で皇族の身分を離れる場合でも、一時金は貰えます。
でも、眞子内親王は皇室典範のこの条項を使おうとはされていない。
眞子内親王に自由への切望があるとしても、その切望には不純なものが混じっているとしか思えないです。
何も行動を起こさない小室と眞子内親王、その取り巻きが描くハリウッド映画のようなシナリオとは?
小室圭さんが、(内親王の婚約者という立場フル活用で)国際弁護士の資格を取り、就職したところで、おもむろに「待たせたね。一人の女性として身一つで飛び込んでおいで。」と手を広げ、内親王は自らの意志で皇族の身分を離れてハンドバッグ一つで皇居を走り出て圭氏の元へ・・・。被せるように高鳴る眞子と圭のテーマミュージック。You're Sun I'm Moon
アメリカ人には受けるかも。
日本人の多くは、そのような段取りで結婚したとしても、皇居の中との繋がりは続くことも、二人が皇室を利用して生きて行くことも知っているので、そのような作り話には感動はできないが。
どんなストーリーにしろ、眞子内親王は圭氏と「国民から祝福されて」結婚するのでしょう。
結婚したら、もうネガティブな報道はできない。虐め報道も今しかできないからするのかも。