渡邊みどり氏。この人のことはよく覚えている。と、言ってもメディアの報道で知っているだけだが。
御成婚直前の美智子さまを取材したのをきっかけに、美智子様の信頼を得、美智子さまから名指しで取材をさせていただくようになった。
氏が登場する度おおよそそのような経歴が語られるのが常だった。
長い間美智子さまとマスコミの間に立って美智子様の代弁者のようなことをしていたが、だんだん態度が大きくなり当時の女性ジャーナリストとしては上手く出世をしたと記憶している。
一介の女性記者が美智子さまのお目に留まったばかりに破格の出世をしたと思っていたが、今から思えば氏の実父への周囲の忖度も作用したのではないかと思う。
実力者への周囲の忖度を利用して道を切り開くところは、小室に重なる部分があるのかないのか、小室と眞子さまの結婚に対して、氏ははじめから一貫して賛成の意を表明し、「美智子さまは二人の結婚に賛成のお気持ち。」と述べて来た。
美智子さまとは信頼関係に基づく親交があるように振る舞って来たが、今でもそうなのだろうか。始めは確かにそうだったのだろうが、今はそれほどでもないような気がするが。
デイリー新潮が渡邊みどり氏の考えを伝えている。
小室家が“それ相応の対応”をしていないので…納采の儀を行わないという重大な意味
2021年06月06日 05時59分 デイリー新潮
「つまり、最終的に国民が小室さんと眞子さまの結婚を納得したなら、納采の儀を行うわけです。納得しない場合は、納采の儀を省略して結婚する可能性が浮上しています」(担当記者)
「国民が納得しても、しなくても二人を結婚させる。」ということですかー。
完全に国民を無視していますね。
「国民に寄り添う」という台詞が白々しく響きませんか。
今は、まだ、万が一の破談の可能性を見ることもできますが、実際に結婚してしまったら、それでも「国民に寄り添う」と言い続けるつもりなのでしょうか。
「もし眞子さまが納采の儀を執り行わずに小室さんと結婚されたら、皇室は正式にお二人を親類として認めないことを意味します。つまり、秋篠宮さまのお立場なら、わが娘を勘当されたのと同じになるというわけです」
娘の父親としては、相当に辛い立場だろう。
渡辺氏は「秋篠宮さまが納采の儀を行わないと決断される可能性は否定できません」としながらも、「もしそうなれば、眞子さまのお心が深く傷つかないか心配です」という。
「納采の儀が行われないのであれば、眞子さまが平常心を保たれるのは難しいのではないでしょうか。更に美智子さま(86)にとっても眞子さまは初孫であり、そのご成長を楽しみにしておられました。その眞子さまが勘当同然で嫁がれるとなると、お心を痛められる可能性は充分にあると思います」(同・渡辺氏)
しかしながら、美智子さまは初めて民間人として皇室に嫁ぎ、様々な苦労に直面されながらも、全て自分の意思で道を切り開いていった。
「美智子さまはご自身の経験からも、眞子さまがご自身の意思で行動されることを求めておられるようです。そのため納采の儀について、美智子さまがご意向を述べられることはないでしょう。静観の構えでいらっしゃるのではないでしょうか」(同・渡辺氏)
なるほど、納采の儀を行わずに結婚することは、お辛いことのようだ。
本当かなー?
納采の儀を行わないことと、破談にすることのどちらが上皇后、眞子さま、秋篠宮殿下にとって辛いことなのか。
破談にするほうが辛いので、納采の儀は捨てる。
どちらかを捨てなければならない場合、より価値の無い方を捨てるものです。
言い換えれば、納采の儀を捨てても結婚するほうが心が楽だから、納采の儀を捨てるのでしょう。
納采の儀を行わないことを国民感情を宥める切り札にして結婚するという計画でしょうか。
国民感情を宥める切り札にするには、納采の儀を行わないことがどんなに辛いことなのかを強調しておく必要があるから、辛いとか、心を痛めるとか言っているだけかも・・・?
黒田清子さまの納采の儀。民間へ嫁がれるとしてもこの格式。
小室単独では、指導を受けてもこんな段取りが出来る訳がない。
秋篠宮が使者も含めて一から十まで、全てを用意することになるのでしょうね。
渡邊みどり氏が二人の結婚を擁護するのは、小室母子とみどりさん母子の来し方がどことなく似通っているからだろう、という推察は失礼ですね。ごめんなさい。
未婚の母と父親から認知されていない子供の生活は、小室母子より辛いものだったのではないか。
地元出身のそこそこ名の知られたレスラーがいたが、彼が有名代議士の庶子であることは地元では衆知されていた。彼の母は代議士のいわゆる妾で、彼は認知もされ、経済的には何不自由ない暮らし。父親の力で地元の有名私立学校へも通った。
傍目には庶子ではあるが恵まれた生活と見えていたが。
有るとき偶然TV番組の中でインタビューされる彼を見た。問われるままに彼は自分の生い立ちを語っていたが、アナウンサーの「そのような暮らしはお辛かったのではありませんか?」と問われた途端、さっと顔を曇らせ、俯き、溢れ出る涙のなかで絞り出すように「辛かったです。」と一言。
何が彼の胸に去来したのかは解らないが、彼の感じている辛さは伝わった。
認知を受け子供として周囲から公認され、父親からもそれなりに気配りと愛情を受けたらしい彼であっても「辛かった」と言うのであるから、勝手な想像だが、父親が認知しようとしない庶子として育った渡邊氏はいろいろ嫌な思いもしたのではないか。支えにしたのは「それでも、父と母は互いに愛し合って私が生まれたのだ。」という思いでは無かったのか。
「父と母は愛し合っていた。」を否定したら、自分の存在を否定することになってしまう。そのような思いが、眞子内親王と小室も「愛し合っているのなら結婚すべきだ。」というコメントになるのかな?
私の勝手な推察です。