ネットでは、複数の論者が記名で「国民は眞子内親王にモラハラを行っている。」
と論説を展開している。
私は「眞子内親王に小室圭氏と結婚しないで欲しい。」と願うのはモラハラではないだろうと思う。
モラハラの定義はセクハラやパワハラと違い曖昧で、
大凡以下のような理解をもってモラハラを論じているようです。
*合理的理由無く、相手の人格や尊厳を傷つける行為
具体的には言葉や態度等で繰り返し相手を攻撃する精神的暴力
とは言うものの、実際には職場、家族という人間関係の中で線引きは曖昧であるようです。
確かに、眞子内親王と小室圭氏の結婚を認めたく無い人々の中には、おそろしく汚い言葉で内親王と氏とを貶める者がいるが、内親王と圭氏との結婚への反対をモラハラとする者達は、そのような個人への貶めをモラハラとは見ていない。
上記の曖昧な定義でも、個人への貶めこそがモラハラだと思うのですが。
彼らは「内親王と圭氏の結婚に反対する」ことが眞子親王に対するモラハラだと言う。
*二人の合意のみで結婚することを憲法が保証している。
*家制度はなくなったのに、家を持ちだして結婚に反対するのは時代錯誤だ。
*圭氏の母の問題を含めて小室家の事情と圭氏本人は無関係である。
彼らの主張はざっとこんなところ。
主張の一つ一つへの反論はある。今後機会を捉えて書くことにしましょう。
彼らは「眞子内親王と圭氏の結婚に反対することは眞子親王へのモラハラだ。」と定義の曖昧なモラハラという言葉を使って、二人の結婚への反対を封じ込めようとしているのでしょうか。
最も倫理的であるべき存在の一員と倫理観がない者達が結び付こうとしている
としか思えない者には、「内親王と圭氏との結婚」こそが国民へのモラハラだと言いたい。
内親王と圭氏の結婚は、受け入れがたい。