権利を語る際に使われる自由という言葉は「選択の自由」を指すことを忘れがちである。
人権、権利は外来の思想である。
欧米人がイメージする自由は「選択の自由」。選ぶ、選ばないにどんな制約も受けないという自由。
対して日本人が一般にイメージする自由は自由自在の自由、全ての束縛から解き放されて飛び回っているような?
選択の自由とは、選択肢の一つを選ぶ自由。すなわち権利である。
YESかNOを選ぶ自由(権利)、これを選択の自由(権利)という。
例えば、A・B・C・・・という選択肢から一つ、またはそれ以上を選ぶにしても、一つ一つについてYES、NOの選択をしている。
何でもまずは「人権」という物差しを当てて見る「人権脳」の人々の中には「選択の自由」という概念を忘れているか、無視している人がいるようだ。
「おかしいのは結婚相手ではなく皇室制度」眞子さまの結婚でどのメディアも報じない皇族の人権問題2021/10/25 18:00 PRESIDENT Online
<抜粋>
皇室に基本的人権がないことをしっかりと考えなければ、悠仁さまの結婚問題にも影響が出る」
人権脳のかたは、常に”皇室(皇族)に基本的人権がない”というが、基本的人権がないのではなく、「基本的人権のいくつかに制約がある」その代わり「天皇・皇族以外の国民には与えられていない特権が与えられている。」と正しく伝えるべきであろう。
仮に眞子さんが皇族ではなく一般国民だったとしたら、どうだったでしょうか。小室さんとの結婚については、家族や知人友人には反対する人も、逆に賛成する人もいたでしょう。しかし見ず知らずの人から文句を言われることはありません。
一般国民でも、家族・知人・友人だけでなく、本人の知らない人々から陰で噂され嗤われている例は多々あります。眞子さんの場合、皇族有名人ですから、噂の範囲が一般国民より大きいというだけでしょう。
そして、自分の預かり知らないところで知らない人々が自分を話のネタにしていることを知って、落ち込むことは一般国民でもよくあることです。
誰が賛成しようと反対しようと、結婚するにせよしないにせよ、最後は自分たちで決めるだけのことです。
はい。眞子さんも最後は自分たちで決めています。
ところが眞子さんの場合はまったく状況が違っていて、賛否が国民的な議論になり、「眞子さまと小室さんの結婚に対して、賛成ですか、反対ですか」などという調査が今に至るまで各メディアで繰り返されてきました。
それは眞子さんが皇族有名人だから全国的な噂になるわけで、その状況そのものは一般国民の恋愛、結婚においても珍しくも無い。
この場合、眞子さんと一般人の違いは、その現象が起きている範囲が広いか狭いかの違いだけで、現象の本質には全く違いがありません。
そもそも他人の結婚に対して、「賛成」とか「反対」という発想をすること自体がおかしいと思いませんか。
他人の結婚に対して快、不快の感想を持つのは、余計なお世話でもあるし、余計なお世話でもない。
共通の価値観で纏まっている社会共同体で、共通の価値観から外れた結婚を認めれば、共通の価値観が崩壊しかねない。共通の価値観の崩壊は社会共同体の秩序の崩壊を招きますので、「反対」「賛成」にしろ他人の結婚に対してなにがしかの感想を持つのは、集団で生きる人間の宿命、業みたいなものでしょう。
眞子さんは、日本社会という大きな共同体の象徴である天皇の姪という立場ですから、日本国中の人々から噂されるのでしょう。
もっとも男性皇族の場合は、皇位を継承する可能性がありますから、将来の皇后や皇太子妃になる可能性にふさわしい相手を選ぶのが望ましいとされるのもわかりますが、女性皇族は現在の制度によれば、結婚すれば皇族から離脱して一般国民になるだけですから、そのような考慮をする必要もありません。
結婚により皇族の身分から離れた女性皇族は一般国民となりますが、一般国民になったからといって、天皇・皇族の親族という関係に変化はありません。
ですから、宮中の行事、祭祀、親族の集まりには、天皇・皇族の親族として参加しています。
一般人になった眞子さんの警備についても宮内庁は「基本的に元皇族も守る」と明言しています。
天皇の親族という関係が一生失われず、天皇の親族としてなにがしかの特権を維持する眞子さんの結婚を一般国民と一般国民の結婚と全く同じとして論じることには注意が必要です。
皇族の人権に関しては二つの考え方があり、憲法学者の間でも結論は出ていない。
一つは、皇族も国民の一員であって、原則として憲法上の権利を保障されているが、象徴天皇制を憲法が規定していることから、必要最低限の例外扱いが認められているだけだという考え方。もう一つは、皇族はそもそも国民とは別枠の身分であって、憲法上の権利の保障はなく、単に身分上の特権や義務があるだけだという考え方。
私はどちらかというと上の考え方だが、上の考え方でもいくつかの差異はあるようだ。
結論が出ていない部分なので、結論が出るまでそれぞれが考えて大いに論ずれば良いと思っている。
警戒すべきは、大いに論ずることを封じようとする動きだろう。
たまたま過去の天皇の子孫として生を受けただけで、経済的には困ることはなかったかもしれませんが、他の国民であれば保障されるさまざまな自由や権利のない、特別な扱いを受けてきたのです。
「自由や権利がない」のではなく、「制限されている権利がある」ね。そこのところお間違えないように。
以下、筆者は
男性皇族に嫁ぐことは人権を捨てることを意味する。「皇室制度のせいで、眞子さまの人権が危機に陥ってきた」
等、皇室には人権がない、人権が保障されていない、と、言い立てるが、これはミスリードだろう。皇室に人権が無いのではない。制限を受けている人権がある。というのが正しい。
論ずるなら、制限を解除すべきかどうか、だろう。
眞子さんは10月26日、結婚して皇族の身分をはずれて私たちと同じ一般国民になり、自由や人権を手にします。
私達と同じ一般国民であっても、天皇・皇族の親族という関係は変わりません。
眞子さんは一般国民となってそれまで制限を受けていた人権の制限を解除され、天皇の親族としてなにがしかの特権を手にしているかたです。
私達と同じ立場の一般人かといえば、そういうことでもなく、天皇・皇族の親族という部分に特権めいたものがあるので、一般人+α、すなわち一般人以上皇族未満という曖昧な存在。
天皇の姪とその夫。
そんなに過激とも思えなかったのですが、ご希望により出さないでおきますね。