ネットを検索していると、時に「ああ、そうか」とミッシングリンクがつながったような気がする古い記事がヒットすることがある。
『潮』1994年1月号(1993年6月9日結婚の儀)
1993年10月13日国際文化交流事業のためにベトナムを訪問していた杉良太郎が帰国。
当時国連難民高等弁務官ハノイ事務局に勤務していた小和田礼子さんとハノイでデートしたことを語った。(日刊スポーツ10月4日号)
杉良太郎の文化事業への関りやデートの経緯はともかく、興味をひかれたのは、このくだり。
杉が趣味とする彫金のペンダントを贈る約束も交わした。デザインは小ブタになるそうだが、礼子さんからは「かわいいですね。私たち三姉妹の分をお願いします。」と注文を受けた。
😮 ・・・初対面の相手から「ペンダントをあげる。」と言われたら、遠慮するか、貰っても一つだろうと思うが、「じゃ、三つちょうだい」て…。
雅子さまご婚約時、金箔ダンスを貰ったの貰わなかったの、田崎真珠から貰った真珠のネックレスを宮内庁から注意され慌てて返したり、は御家風だったのだと納得。
「役人の子はにぎにぎをよく覚え」
😁 高級役人の子、雅子さまにとっては、物を貰うのもねだるのも、便宜を図って貰うのもあたりまえ。
「待たせて置きなさい。どうせ奴らはいつまでも待っている。」「宴会?どうせ俺が行くまで始まらない。待たせて置きなさい。」
も当たり前。
で、官僚の娘、雅子さまには遅刻が何故いけないのか、理解出来ない?笑。
うわー、引きますわ。普通はいきなり貰わないでしょう。
金ぴかダンスとか真珠の話は本当だったのねぇ。その時でそうなら、今のお立場なら何でもありですね。時間?なにそれ?でしょうね。
婚約時代からカネに纏わるアレコレが取り沙汰されていましたし、傲慢な印象も拭えませんでした。娘達も親の子、ということなのでしょう。
時間を守れないのは、皇后の生まれ持った性分?か何らかの障害と思っていましたが、待たせておけという親の育て方もあるかもですね。
役人の子はにぎにぎを、は教科書にも載っていたような。田沼意次の政治を批判した言葉でしたっけ
今では田沼意次は再評価されていますが、あのご実家父君が再評価されることはないでしょうね。
缶切りエピソード、大人だけの食事会なのにことわりもなく娘三人連れてきて、料理を足りなくさせる、土足の床にアグラ寿司の娘の育て方、枚挙にいとまがありません。
人品骨柄、文句なしの方とはとても言い難いエピソードばかりですね。
金箔ダンス、真珠の件も覚えています。
外交官のお家とはいえ、なんかワキが甘いなと思ってました。
紀子様を団地出身だのいいますが、あのご実家も雅子さんが帰国して東大に入学されたときに建てたもの、基本日本では官舎に住んでいましたし、門のない家からきた初めての皇太子妃でした。
結婚初期に東宮侍従がこの結婚は失敗だったと漏らしたとおりの現状です。
ヤダヤダ。
弱者に寄り添ってとはいうものの、空々しい雰囲気がいつも漂っています。
被災地や病院などの施設に行った回数が少ないのも何も貰えないからかしら?
如意さんが以前の記事で、道端で娘の指輪を品定めする役人夫人を紹介してくださいましたけど、彼女等は本当ににぎにぎが習慣なんでしょうね。
最高位の女性だもん、これからも待たせるわよ。愚民ども。
帰りません? この家は、一事が万事「カネ」なんだなと、呆れました。「守銭奴」
の肩書を、恭しく献上したいです。他人の目や批判などに無頓着でいられる強心臓は、やはり、日本人離れしていますねー。