「なぜあの二人が、これを作成せねばならなかったか、を聞いてくださらんか」
それが御館様の言い分であるならば。
面会を終え一人私室に戻ったオシエルは、手元にある用紙を開き、その内容を吟味する。
礼儀作法課題達成報酬一覧、と題されたそれは、今回の騒動の最たるもの。
ヒイロが提案し、ミカヅキが作成した、と聞いた。
確かに、寸分の狂いもなく全く同じ字形を書くミカヅキの筆跡だ。
彼の精密な美しさへの追求は、こんな所にも現れている。今なら、それが苦い。オシエルが何も持たない子供に完璧な作法を身につけさせたのではない。完璧さを備えた子供がオシエルの望んだ通りに成長しただけの事だ。
(そう考えてしまえば、いっそやり直す機会を与えられた事に感謝の意もあろうかというもの)
苦さを噛みしめながら、オシエルの目は表面的な美しさからその内容へと引き込まれていく。
確かに、よく練られている、と思った。
課題の一つ一つを作成したのはオシエルであったが、その課題の内容を理解し、それを達成する事で得る報酬(この場合は玩具である将棋の駒だが)を考えたのはミカヅキだ。
そして気づく。
単純に、オシエルの意図した課題の内容を理解しているだけではない。そこに、ヒイロの特性も踏まえ、ヒイロという人間が苦手とする分野、得意とする分野も熟知している様に見受けられる。そればかりか、どの課題を達成すれば自ずと他の課題の達成度に貢献できるのかということまでも考慮したのに違いない。
(これほどまでに完成度が高いとは)
一見すればただの遊びだ。
だが、その内容を確かめミカヅキがこれを作成した規範に思考を巡らせれば、「指導する立場から礼儀作法を考えたい」といったあの訴えも、あながち体裁を整えるためだけのものではありはしないのではないか。
そんな思いに囚われながら確認した報酬の内容も、課題達成度に引けを取る事なく、塾考されている。
単純に、駒の格付け通りに配付されるのではないその不規則性に目を引かれた。
将棋盤の役割は元来実際の戦場での軍議に使用されていたものだ。歩兵から将軍まで、駒の役割は多い。それを段階的に与えるという事がどういう意図であるか、ミカヅキの立場を考えれば自ずと知れるというもの。
(彼君は主人然として、臣下に報酬を下される武勲を模倣している?)
ただ、そう言い切るには所々格付けがおかしい。何度も達成の進捗具合を確認しながら駒の増減を頭に入れ、それが攻めの陣、守りの陣を形成できる格付けにもなっていることがわかる。
これは、オシエルが将棋を嗜むからこそ言えることではあったが。
(成程。配付基準を、実際の武勲か、将棋の陣形かに絞りきることができなかったのは彼君の拙さか)
二人の子供が作成した図に向き合い、去来するのは従兄弟たちとの学生生活。
マナーコレットの本家筋である従兄弟たちは快活で奔放だった。文武両道、を掲げていたマナーコレットの家訓に沿わず、学芸を厭い、武芸に明け暮れる。逆に武芸を苦手としているオシエルは度々彼らに振り回され、無茶に付き合わされては要領悪く一人謹慎処分を食らったりしていたものだ。
「そんなに優秀な跡目が欲しければ、オシエルにくれてやるがよろしかろう」
従兄弟らのその言葉に当て付ける様に大叔父や叔父が、レネーゼ最高顧問という跡目をオシエルに決めたのではないか。若き日の自分は、それを受けるか否か、悩みに悩んで従兄弟たちに想いを打ち明けた。しかし根っから明朗快活な彼らはオシエルの杞憂を吹き飛ばした。
「俺たちは生まれた家を間違えたな」
俺の親は文芸に励めと俺たちを叱責する。お前の親は、武芸に励めとお前を叱責する。いっそ逆なら円満解決、それを分からせてやっただけの事で、親たちはそれをやっと解っただけの話だ。
だからお前は進め。認められ求められる道が敷かれた。それはお前の功績だ。幸運はそれに花を添えた程度だろうよ。
それが従兄弟たちからの餞。
日々に忙殺され、何十年と思い出すこともなかった言葉だ。
彼らは今現在、マナーコレット家としてレネーゼ侯爵家に支え武官としての地位で実に伸び伸びと実力を発揮している。彼らもまた、己の功績でそれを勝ち取ったのだから何に恥じることもない、と周囲の雑音を一掃して今がある。
そんな彼らに手ほどきを受けての、オシエルの将棋の腕。
(こんなところでもまた彼らに助けられている)
好事も、悪事も、たった一人では踏み込めない。そこに友があってこそ。
それを言った老侯爵の胸の内は計り知れない。
今日会談して初めて解った。孫可愛しの一存だけでなく、オシエルにも向けられた慈愛。家に携わる全ての者たちが愛おしいという慈しみ。領地という甚大な命を抱えて、誰一人取りこぼすこなく率いていく事は、理屈ではないのだろう。
それが、好事にも悪事にもなる。
(あの二人にとっての、好事と悪事)
生まれた家を間違えたな、と笑って見せた従兄弟のくれたもの。
目の前に並べられる駒の意味。
道は敷かれた。
そして幸運はそれに花を添えるだけ。
■ ■ ■
翌日、オシエルはそれを手掛かりにミカヅキとの対話を試みた。
思えば、ヒイロという人間に「教師との信頼関係を築く様に」と注意しておきながら、なんの事はない、ミカヅキとの信頼関係も築けていなかったのではないか。
そんな思いがあったからだが。
将棋の駒を課題達成の報酬に選んだのはヒイロであるが、それを振り分けたのはミカヅキだ。
所々二人で駆け引きを行い、報酬の内容は図面と離れたところもあったというが、それでも今日までの達成度合いで向き合った。
将棋の駒、その格付け、武勲と陣形から見えるミカヅキの思考。
五歳の時より今まで見てきた彼と同じく、納得の行かないところはとことん話を詰めてくる。自分の主張も譲らないながら、こちらの言い分を吟味し対抗してくる姿勢は、普段の授業と同じ様ではあったが。
「それほどまでに仰るなら、ここまでの手持ちの駒で対戦と行きましょうか」
そう挑発すれば、ここまでの議論で熱くなっていたミカヅキもすぐさま乗った。
「望むところです」
ミカヅキと同じくオシエルも熱くなっていた事は否めない。
ミカヅキとヒイロに向き合う、と構えていた再開の初日はそんな風に使い切ってしまったのだから。
ミカヅキの作成した駒の配分を実際の盤上で再現し、初めて、将棋で対戦した結果。
なんとかギリギリでミカヅキの言い分を退けることができた。
非常に接戦ではあったため、数手のやり取りでどちらに転ぶかは分からない応酬が続いた事もあって、ミカヅキは屈辱そうではあったが。
「まいりました」
そう礼儀正しく頭を下げた。
「先生の格付け理論は正しいのだと認めます」
「いいえ、若様の武勲の解釈もなかなかにございましたよ」
と、これは負けた子供をあやすためでなく「やりあって見て初めてわかるものですね」と言えば、ミカヅキも顔をあげた。
「ああ、確かに…、そう、ですね」
そこにはもう負かされた無念さはない。新たな気づきに意表を突かれた様でもあった。
無論、オシエルも同じ。
しばし二人は無言で、その盤上に並べられた対戦の跡を見ていたが。
静かに、ミカヅキが口を開いた。
「先生に戻ってきていただいて、本当に良かったと思っています」
何より、ヒイロのために。
そう言われて、ああ、と応じかけたオシエルは再会した直後のヒイロの様子を思い返して口籠る。
彼に礼儀作法の極意を指導してきたと疑わぬ二週間余り。
それらが一切振り出しに戻ったと思わせる体たらくには言葉もない。
「…なんと申し上げましょうか、若様にはお耳の痛い事とは存じますが…」
残り二週間。
わずかな時間で彼に礼儀作法を仕込む。一月でも短いと思っていた期間がさらに半分にまで減った。それを余すことなく使い切るために、今一度、ヒイロとの話し合いを設けるつもりではあるが。
「非常に厳しい、…と言わざるを、得ないかと」
ヒイロのために、というミカヅキの言葉を裏切る様で心苦しいのは事実。
しかしミカヅキは、いいえ、とオシエルの話を遮った。
「私は先生を信頼申し上げています。その事については何の不安もありません」
そうではなく、と続けられるミカヅキの真意。
ヒイロという人間は、心底オシエルを慕っている様だったので、このままで終わるのはあまりにも申し訳ないと思った、と言う。
申し訳ないのは、ヒイロに対して。
ヒイロをこの状況に引き込んだのは自分の責任であり、それを可能な限り補佐することが義務なのだと思っていた。しかし結果として成せなかった事実は重く受け止めている。
それを打ち明けられて、自分はミカヅキという存在を自分と等しく考えていた事を自省した。
ミカヅキと自分は立場が違う。彼はあくまでも上に立つ人間としての教育でのみ生きる。
気に入ったおもちゃに難癖つけられて不貞腐れる子供ではない。
(友人を持つ事に対して、責任と義務を考えなくてはならないとは)
礼儀作法を通して接するだけだった目の前の子供は、なぜ今まで友を持たなかったのか、と言った点に気づかされ。
「軽々しく彼らを巻き込むべきではなかった、と、呵責を覚えておられるので?」
オシエルはその様に彼の胸のうちを慮って見たが、ミカヅキは、キッパリとそれを否定した。
「いえ、それはありません」
彼らにとってもこれは必要だと考えている、と言い、反省はあるが自分の至らなさや未熟さは克服する事で次に繋げる、と言い切る。
これもまた、レネーゼの教育の現れ。
「私が先生に彼の教育を一任してしまったことが問題だと思います」
オシエルを信頼しているからヒイロを預けた。ヒイロのこともまた、信頼しているから彼の自由意志に任せていた。両者が行き詰まった時に介入することが、自分の「補佐」だと考えていた甘さがあった。そんな想いを打ち明けるミカヅキの口は重い。
先ほどに、将棋の駒の格付け、武勲や褒賞の考えを主張していた時とはまるで違う。
何度か口が止まり、考えを言葉にしようとして思考し、時間をかけて想いを整理しながらの話には口を挟むことができなかった。そこにある慎重さに、手を出す事は躊躇われたのだ。教師としての自分が、教え子に対し、手を述べることができない。
おそらくこれが初めての、対話だ。
ミカヅキは明確な形あるものについて考えを述べる時には淀みなく、時には教師である自分をも言いまかすほどに達者な達弁を披露するが、あやふやに形のないものを言葉にする事は苦手とする様だった。
これもまた初めて気づかされる事。
だからこそ見守り、ただ彼の言葉に耳を傾ける。
言葉が拙いからと言って、考えが、思いが拙いとは限らない。それを見誤る事はしない。もう二度とは。
「ヒイロは感情が何よりも正しい。それを表に出す事に躊躇いも、制止される規則もない。先生が戻られた時、なりふり構わず抱きついて感謝を口にする。非常に見苦しい体を先生にはお見せしてしまいました。本当なら、この様な経緯があった後の再会では、私はそれを止めなければならなかった」
でも、とそれまで自分の胸の内にある感情を言葉に置き換えながら口にすると言う重荷を背負っていたミカヅキが顔をあげた。
真っ直ぐにオシエルをみる目には迷いがない。
「そうできるヒイロを羨ましいと思ってしまった」
その迷いのなさに驚かされる。
誇り高いレネーゼの教育よりも、ヒイロの行動に価値があると認める言葉。
それを口にする事に対する覚悟。
今一度、教え子と向き合う、と決めたのは何もオシエルだけではない。ミカヅキもまた、自分たちのしでかした一件に向き合い、己と向き合い、教師と向き合うと決した。
おそらくはミカヅキと共に、ヒイロもまた同じ覚悟を持って挑んでくるのだろう。
この高揚は言葉にし難い。
教え子の成長は、教師として何よりもの発奮だ。
オシエルの衝撃は沈黙。それをどう捉えたのか、ミカヅキは「戯言を申し上げました」と、謝意を述べつつも、「ですが本心です」と言い切った。
「おそらくは、私とヒイロの感情は同等にあると思います。それを礼儀作法という縛りが隔たりを生む。先生に抱きつくなどもってのほかです。けれど、今一度の猶予を有難くお受けさせていただきます、と告げて先生から差し伸べられた手を取る行為、それ以上の感情の行き場をどうすればいいのか、私は知りません。形式にならない、形式から外れたこれを、どう表せばいいのかが判らないので」
レネーゼの家憲。
美しく正しく、人として斯くあるべきと掲げる精神。長い歴史の中で磨き上げられた思考と動向。
それが先生を縛っているのではありませんかな
レネーゼ侯爵の言葉が、それを継ぐミカヅキの言葉に重なる。
形式に準えることのできないほどの思い。それを抱いた雛は、飛び立つ様を模索する。まだ見ぬ空を行く翼を、光をまとい風を道連れに、最も優雅に羽ばたかせる術を。美しさが弧を描く様を。
「先生と共に考えたいのです」
先生への信頼は何があろうともわずかも揺らいでおりませぬよ
「オシエル先生でなければならないのです」
だから戻ってきてくださって良かった。
戻ってくることができて良かった。
戻る事を許されて、良かった。
過ちは時に尊い。
歪さは、見るものには美しい。
それを教え子に教えられる師もまた、はるか高みを知る。
好事も、悪事も
たった一人では踏み込めぬ未知。