夜の海岸に、火花がちらつく。
昼間にヒロが買い込んだ手持ち花火を広げて、仲間たちがそれぞれに花火遊びに興じているのを、ミカはすぐそばの岩場に腰を下ろして眺めている。
新しい仕掛けの花火に火が着くたび、ウイが「見てー!」と楽しそうにそれを振り回して報告してくるのには、「見えてる」「危ないからやめろ」と返していたが、一通りの種類を体験してしまったのだろう、今は初めの頃の歓声も落ち着き、明るく仲間の顔を照らす花火を鑑賞しながらの普段通りのおしゃべり会になっていた。
正直、あれの何が楽しいのかわからない。
火薬に火をつけ、それが燃えるのも、火花が散るのも、一度見てしまえばただの現象だ。
火薬が燃える臭いもあまり良いとは思えなくて、ミカは、自分の分をウイにあげてしまった。
「わかった、ミカちゃんの代わりに楽しんであげるよ」とウイは言う。そして、実際自分とミカのと、二人分の歓喜を存分に楽しんで見せた。
花火は楽しいものじゃない。ただそれを楽しんでいる仲間たちと過ごす時間は、自分にとってとても楽しいものだと思う。
それをわかってくれる仲間たちだからこそ、ミカに、「良いからお前もやれ」などと強制はしない。
おかげで、ただ大人しく座っていることができるミカの隣に、ヒロが座った。
「俺さー、祭りの時とかに上げるでっかい花火しか知らなかったからさ」
それはミカも同じだ。
うん、と同意して見せれば、ヒロが「あんなちっこい花火珍しくてつい買い込んじゃったけど」と、無邪気に笑って言った。
「なんか、あれくらいなら俺でも作れそうじゃね?」
「お前はまた」
と呆れた声を出すミカに、それを聞いていたウイが笑う。
「出来る出来る、ヒロなら出来るよ」
「そう言う問題じゃねーよ、火薬の取り扱いには職人免許がいる」
「あ、そうなんだ」
「兵器になる」
「はー。なるほどなるほど」
いや中身どうなってんのかと思って分解したら火薬だけ出てきたから、なんて言うのには、こいつにはまず本格的に法律関係を教え込まないといつか何かやらかしかねないな、と危機感を抱く。
「子供か。何でもかんでも興味のままに行動するな」
「肝に銘じまっす」
口調は軽いが、こういう時のヒロの言質は信用できる。場の空気を悪くしないために、と敢えて軽い態度を取るのも解ってきた。それに苛つくかどうかはまた別の話だが。
「あ、子供といえばさ」
とヒロが座り直した。
「ミカの伯父さんに会って思ったんだけど」
こいつはまた、何を言い出すつもりか。
自分が叔父を毛嫌いしていることは言ってある。それを踏まえて、そんな悪い人じゃないからもっと打ち解けてみろ、なんて言われようものなら、たとえヒロと言えども手が出てしまうかも知れないな、と今の自分の精神状態を危惧しただけに、次の言葉には呆気にとられた。
「子供だよな、あの人」
「はあ?」
「いやー、さあ、なんか大人気ない、ってのともちょっと違うかな、ってずっと考えてたんだけど」
やってる事はうちのチビたちと一緒なんかな実は、って思って。
まあ聞いてくれ、とヒロが言うのに、花火を手にウイとミオも神妙に聞く体制に入っている。
もちろん、ミカも同様に。
「伯父さんはなんとかミカと交流しようとしてるんだろうけど、お貴族様のミカってさ、なんかこうおすましさんじゃん?」
「おすましさんだね」
ミカではなく、うんうん、と頷くウイを受けて続けられる言葉。
「ミカのすまし顔を何とかしたくて、ミカを怒らせるようなことをわざわざ言ってくるわけじゃん?」
それには、ミカも、うんうん、と頷く。
そうだよな、別に俺が悪いわけじゃないよな。あっちがわざわざ苛立たせる言動をとってるんだからな、と思っている。
「それって考えるとチビたちとあんま変わらなくてさ」
チビたちはなんとかして大人の気をひきたくて、色々仕掛けてくるわけ。
大人は一応、形だけでもそれに反応するわけ。
でもチビたちには、一応とか、形だけ、とかわかんないわけ。
と三段階に区切っておいて、ヒロが自分の話を聞いているほか三人を見回す。
「大きくなるとある程度わかるじゃん、気の無い返事だと、今忙しいんだな、とか機嫌悪いな、とか、そういう、空気読むっていうやつ?でもチビたちはわかんないからさ、明確な反応を欲しがるのな。で、チビたちにとって、イッチバンわかりやすい反応が、喜怒哀楽の、怒、なんだよ」
人間の感情で、相手から返ってきて一番、衝撃を受けるのが「怒」の感情だと、ヒロは言う。
「だからチビたちは、とにかくめっちゃ怒らせることやるんだと思ってるんだけど」
「ああ、だから伯父さんはミカちゃんを怒らせるってこと」
「そう、この考え方で行くと、おすましさんのミカと子供みたいな伯父さんはめっちゃ相性悪いの、もう仕方ない事だと思うんだよな」
先ほど、全面的に同意した内容とさほど変わりはないと言うのに、今度はそれに素直に頷けないミカが思いっきり渋面を見せれば、まあ待て、とヒロがあやしてくる。
「ここでミカが手に入れるべきスキルは、おーよーだと思う」
「応用?」
またそれか。
頭が硬いだと、自由さがないだの、基本しかできないだの、ウイとヒロには散々言われている事だが、それを手に入れたからと言って、相手をかわせるとは思わない。
それにヒロが手を振る。
「違う、違う、そっちの応用じゃない。鷹揚。おすましさんの、もう一つ上だと思うんだけど」
「鷹揚、ね」
「もう一つ上?」
うん、と頷いたヒロが。
「おすましさんをもうあとちょっと極めるだけで、鷹揚になると思うんだけどな」
どうだろう?とウイに同意を求めれば、なるほど!とウイが手にしていた未着火の花火を振る。
「確かに、ヒロは鷹揚、って言うか、おっとりさんで構えてるから、モエちゃんが突っかかってこないように見えるよ」
「ああ、モエか」
「モエちゃんもミカちゃんには突っかかっていくでしょ。つんつん。でもヒロはおっとりしてるから何しても怒らないって思ってて、あんまりつんつんしない感じ」
つんつんしても無駄なんだよ、と言うウイにヒロも同調する。
「そう、そこ!相手に、この方法は無駄!って思わせたら、とりあえず自分は何をしなくても、相手が勝手に対策練ってくる感じ」
ポイントはここです、とヒロが出来の悪い生徒に言い聞かせる教師風に胸を張る。
「ミカはとりあえず何もしない、相手が変わるように仕向ける、って言う戦法が有効になる」
もういい加減子供じゃないんだから叔父に対して愛想ぐらい使えるようになれ、と言う嫌味な伝言をヒロに預けたモエギと、その養父であるクルート伯爵の顔が思い浮かぶ。
あまり愉快な気持ちにはなれないが、それでも、愛想を使え、と言われるよりは数倍マシだと思えるのが不思議だ。
なるほど相手に仕向ける、と言うのは考えたことがなかった。
だが一度そう冷静になると、今度はそれを提案しているヒロの人間関係が気になる。
「鷹揚がスキルとして、お前は鷹揚を持ってるわけだ」
「うーん?まあ、俺が鷹揚、かどうか自分ではわかんねーけど」
「その鷹揚を持ってしても、村の同年代の男たちといい関係を築けているとは思えないが」
それでも鷹揚が伯父に有効だと思うか?と言うミカの問いに、ヒロが悩む風を見せる。
「ううーん、そこな、うん、そこ言われるとな」
「逆にお前が鷹揚だからそれにイラッとされて攻撃されてるように見えるけどな」
「そおねえ、まあそうなんだろうな、って解るんだけども」
ミカは慣れたからヒロのこんな煮え切らない態度には、イラッとさせられても、攻撃的にまではならない。ここがヒロの良いところで、こんなヒロだからこそ自分に付き合ってくれるのだろうとも思っている。だがそれが村の男連中に通用していない。
「ヒロはもともと鷹揚を持ってるんだもん。そりゃ、鷹揚じゃ通用しないよ」
と、ウイが話に身を乗り出す。
どう言うことか、と二人そちらを見れば、ミオもウイを見た。
「ヒロが手に入れないといけないのは横暴だね、横暴」
わざわざ、鷹揚、に引っ掛けて横暴を持ってくるとは何事か。
「ヒロがもっと、うおー!ってなって、グワー!ってして、ガツーン!ってやったら村の人たちもびっくりするかも」
「ああ…、ミカが持ってるのな、横暴…」
「えっ、俺、横暴かよ!?」
「持ってないとでも?」
そう言われると、鷹揚のヒロからすれば自分の言動は横暴に当たるのか?と困惑する。
そこに、今までおとなしく話を聞いているだけだったミオが、えっと、と口を開いた。
「それは、ヒロくんとミカさんが入れ替わるきっかけになった話と一緒ですね」
ヒロとミカが互いの環境に対して、自分ならもっと上手くやれるけどな、と張り合っていた些細な口論。
「なるほど」
「つまり実践してみろ、と」
互いに、相手に向けて言い放った「自分ならやれる」の根拠を「鷹揚」と「横暴」でやってみればいい訳か。
と二人同時に考えて、ミカが何を言うより先に、ヒロが手を振って見せた。
「いや、無理無理無理!まず、俺が横暴を手に入れるのが無理!だって俺、横暴とか無理だからいざこざ起きないように村出たんだし」
いや別にそればっかりが理由じゃないけど!と、他の理由を上げようとして、全員の視線に負けたように、どうせ俺はヘタレですよ、と自虐に走る。
「ええ?!ヒロくんのこと、ヘタレとか思ってませんよ?!」
「ウイは思ってるけどヘタレが悪いとか思ってないよ?」
だって生き延びる知恵だもん、とウイが言う。
女子二人の言葉にヒロが「やさしいぃい」と大げさに感動しているが。
一連の流れにミカも思うところがあった。
「確かに、逃げたわけだ」
と、ミカが口を開く。
ヒロは村から逃げた。村で男たちとの競争に死力を尽くすより、逃げて自由になった。
「俺は逃げられそうもない」
自分も逃げられる道があるなら、貴族社会から逃げて自由になりたいと思っただろうか。
「ヒロは逃げた。逃げた先で、自分が戦える相手を選ぶことができる、ってことだろう?」
逃げるとはそう言うことだと思う、と言ってから、俺は、と続けるミカを全員が見守る構え。
逃げたとして、ヒロの様に行く先々で器用にやっていけるとは思えない。加えて、現実的に逃げる事が許される立場にない。この二つを踏まえて、と三人を見る。
「俺は逃げられない代わりに、戦う手段を選ぶことができる」
つまり先ほどの、鷹揚と横暴の使い分けはそれ。
「ヒロは横暴を手に入れるより、鷹揚一本で戦っていくわけだろ。俺は鷹揚を手に入れさえすれば、逃げる必要がなくなる」
手段が違うだけで、やる事は同じだ。
逃げる逃げないはその場その場で見方が変わるだけの話。
結局、人はやっている事の見た目が違うだけで、やるべきことの本質は皆同じだ。
だからヒロがヘタレであるということを自虐する必要はない。そうだよな?とウイを見れば、ウイは晴れやかに笑った。ただし。
「そうだね!ミカちゃんにしてはなかなかの応用力だね!」
と、あからさまにからかう言い方がひどい。
文句を言ってやろうかと口を開けば、ヒロに先を越された。
「あーもーだから俺ミカのこと好き!めっちゃ好き!すんげー好き!」
そこに残る二人が続く。
「わっ、私も大好きです!」
「ウイも好きー!」
三者三様のにこにこ顔を並べられては、これまでの付き合いから、その意味は嫌という程判る。
笑顔の圧力。無言の強制。
「…俺もお前らのことは好きだけどな」
「だよねー!」
「そりゃそーだよねー!」
「はっ、はい!」
あろうことか、この自分が随分この三人に絆されたものだ、と思う。
けれど、この束縛は苦痛じゃない。
絆でありながら、そこには自由しかない。
彼らの自由に後押しされて、自分は遥か高みを目指す。
目指すことができると、確信する。いつも。
「じゃあ、まずミカちゃんが鷹揚を手に入れられるように、明日から特訓だね!」
「よっしゃー!お貴族様ごっこは任せろな?俺ミカのふりできるから!」
「わ、わ、わ、私も練習台になれるように頑張りますよ!」
…不安もあるが。
あるからこそ、そこにある日々は楽しい。
自分にとって、楽しいことは意味をなさない。ただここにいることが楽しいと思える仲間がある。
それを許されている。
持つものと、持たないもの。
「ミカちゃんの自由はウイたちが持っているでしょ」と、ウイが言っていた事は正しい。
ないことが望ましいと、胸を張れる勇気。
ないものねだりでなく。
自分が持たなくても、手に入れる運命はいくらでもある。
それを指し示すように、ヒロが両手を打ち合わせた。
「よし!じゃあ決起花火しよう、決起花火!」
「…なんだそれは」
決起集会とか決起飲み会とかあるじゃん?などと言いながら、ヒロは荷物の中から一つの束を取り出す。
「最後の締めにやろうと思って取っといたやつ。ミカでも俄然燃える、俺の超おすすめ!」
ミカでも、って何だ。ミカ、でも、って。
まあ今更ヒロたちに自分のことがお見通しされていたところで不平も不満もありはしないミカではあるが。
「火がついたら終わりまで1ミリも動いたらダメな花火」
「へえ?…爆発するから?」
「え?!」
「違う違う、ちょっとでも揺らしたら火種が落ちちゃって楽しめないんだって、おっちゃんが言ってたから。忍耐と集中力と精神力がものをいう花火、…誰が一番最後まで持つか、ってのをやらねえ?」
一人に3本が行き渡って、つまりは3回勝負。
なるほど。
「わあ、やるやる!」
「やります!」
「よし!」
四人で輪になって、灯芯の入った油皿を囲む。
「せーの、で火を付けて、着いたら離れる、な」
ヒロの言葉に全員でルール確認、勝負の趣味レーションを数回繰り返しながら。
「ミカちゃんの鷹揚の決起花火だからね!鷹揚だよね、鷹揚」
「それな!鷹揚に構えて最後まで残った人が、鷹揚王者だからな?ミカはその人に習うこと」
「はあ?俺が残ったらどうすんだよ」
そんな会話にヒロとウイが笑う。
「無理無理、今のミカちゃんは鷹揚とか持ってない持ってない」
「まあ見てろって、鷹揚の王者となるべくしてなる俺の鷹揚っぷりを」
「…のやろー…、絶対残ってやる」
「わ、わー、私も負けませんよ」
四人の手が重なるように灯芯に集まり。
手にした花火の先が揺れる小さな炎に触れ。
先端は光を灯し、それぞれに離れた。
鮮やかな、光の放物線を描きながら。
ひかひかと、火花を振りまきながら。