それにしても、この携帯電話の日進月歩は目を見張るばかり。とても年寄りにはついていけない。しばらくは手引書と首っ引きになるはずである。カメラはついている、赤外線作業も可能だとか、災害時の安否確認までできるという、至れり尽くせりのサービスがあるという。
そんな携帯電話だが、基本料金をオーバーして使うのはめったに無いはず、全く住みにくい世の中になってしまった。
ある財政豊かといわれる市では、テーマパークを経営する会社が路線バスを経営している。当初少なかった路線も近年増加の一途をたどり、必要以上にその路線を増やし続けている。
お年寄りの為に、おさんぽバスなどを走らせ、また一方通行の狭い道路にバス路線を増やしている。結果ははっきりしている。バスにかかわる事故の多発である。また、小泉政権下で行われた規制緩和によってタクシーも台数を増やしてきた。そのタクシーの客を奪う形で路線バスが跋扈している姿がある。
経営破たん寸前の都市においては、病院経営もままならず、市営バスも市出先機関も職員も給与も減らさざるを得ない都市が増加している中で、こんな市民を苦しめる行政を見たことも聞いたことも無い。
民間にできることは民間に!は一見いい響きである。当然のことであろう。しかし、これが行政と民間との癒着関係で政治が進んでいけば、なにやらおかしな結果を招くことになるであろう。
今、当町(市)では、そこのけそこのけ市営ではなく市の補助による民間バスが、通るの様相を呈している。情けないやら、悔しいやら。こんな市長はもう結構だ。ごみ処理問題で贈収賄事件に発展しかねた、あの町での話しである。
国内ではETC騒動、海外では新型インフルエンザ問題でどこもかしこも大変な込み方だった。米国或いはヨーロッパからの帰国者にとって10時間近くも搭乗してきて、さらに成田或いはその他の国際空港に到着後、数時間も足止めされたのではたまったものではない。お疲れ様といおうか、お気の毒様というのか言葉がない。
今朝のニュースによると新型インフルエンザは60歳以上の人には感染しにくいとか。何らかの免疫が効果を見せているのだという。そういわれてみると若い人たちが多く感染しているようだった。年をとるということは、たまにはいいこともあるのかと思ったり悲しんだり。
やれETCだ。やれ新型インフルエンザだ。と関心はそちらに向かっているが、日本経済は果たしてどこへ向かっているのだろうか。どちらのデーターを見てもプラス成長など見当たらない。マイナスも3~5%の間にあるという。間違いなくデフレスパイラルの真っ只中にあるような気配を感ずる。
公務員のボーナスも10%カットとか。当然のことながら給与も賞与も減額続きではかなわない。もっとお気の毒なのは、派遣労働者の方たちだろう。働きたくとも働く或いは雇ってくれるところがない。
いったい、いつから、どうしてこんな労働形態になってしまったのだろうか。日本古来の終身雇用、年功序列制はどこへ行ってしまったのだろうか。
よく日本人には愛国心がないといわれてきた。しかし、ここに来て愛国心どころか愛社精神もなくなっているはずである。日本のよき慣習をかなぐり捨てて、いったいどうするつもりなのだろうか。どのような日本を創るつもりなのだろうか。
今の政治家には、清貧の思想もなければ国を憂える心もない。高邁な精神で日本をよき方向へ導いてくれるような政治家などいるはずがない。上から下まで腐りきっている状態だろう。本当にマッカーサーに去勢された日本人に成り下がってしまっている。悔しい。むなしい。
世界はG2時代に入ったという。勿論米国、中国である。次に来るのはインドとインドネシアだという。日本は沈没に向かってまっしぐらというところか?
また、地方銀行が経営危機にあるという。政府資金を注入しなければならないところも出てくるという。どこかの杜撰な貸し出しをやって、回収不能になってしまった銀行とは違うのだが、これも経営的失敗によるものだろう。
すでに、世界的にお金がお金を産む、利ざや家業は通用しなくなっているのかもしれない。低金利で庶民から集めたお金をそれを必要とする企業へ融資する。これが銀行業務の基本である。
しかし、高収益を得ようと株式に投資したり、株の持合をしたり、投資信託へ投資したり、そうしたことによるマイナスが大きく膨らんだことによるものが多いと聞く。
わが息子が就職活動をしているとき、あの商工中金の黒い金属カゴをつけた自転車で動き回る中金マンの姿を見て金融界に進むことをやめたといっていた。
銀行マンとは、所詮は集金マシンであり、札勘定くらいしか教えてもらっていない。ましてや、電子マネー、カード全盛時代に入って、どう生き延びていくのか、末永く見守りたいと思う。
どの業界も設備過剰気味である。電気製品販売会社もいずれ整理統合されるときがくるかもしれない。スーパーもそうだと思う。あのダイエーだってまだ苦しんでいる。イトーヨーカドーだって店舗を整理していると聞く。
こう見てくると何事も身の丈にあった生活態度が、ベストなのかもしれない。
俳優は最後まで芝居を演じなければならないのか?過日のテレビ放送を見て、果たして嘗てのスーパースターの現実の姿をこれほどまでに赤裸々に映し出すことが果たしていいのかどうか考えさせられてしまった。
スターは夢を売る仕事だと思っていた。嘗ての華やかなりし時代のお二人の姿から認知症(?)に襲われた彼女の姿を見せ付けられる視聴者の気持ちをどう受け止めたらいいのだろうか。とてもまともに見続けるわけには行かなかった。
確かに、現実はお二人の姿に代表されるとおり、それが実体そのものの姿かもしれない。やがて誰にでも訪れる現実を突きつけていることだと思う。
ただちょっと待ってほしい。これまでスターで通した人たちのあまりにも哀れな姿は、見たくないのも一般庶民の偽らざる気持ちであると思う。よく著名人の病魔との戦い現場が放映されるが、これも社会的啓蒙思想を植えつけるにはいいと思えるのだが、夢を売る仕事に携わった人たちの哀れな姿は、あまり見させてほしくないのも事実であろう。果たして多数派はどちらか?