秋に入って、もっこく、やまもも、ざくろ、そして今日の五葉松の剪定、手入れを完了した。全く松などは植えるものではない。手がかかりすぎる。秋の裾上げ、春の新芽つみとすべて手作業なのだ。立派な松になればなるほど、手がかかってしまう。形を整えながらの作業は結構気を使うものである。
首都圏でそこそこの庭を持つことは、誰もの夢であったが、歳をとってくるとこれが大変。最近のシルバセンターとかにわか作りの庭師の仕事は、あまり感心しないできばえである。素人ながら40年来の自己流でも結構いけるものである。まずは玄人はだしである。
それにしても日本の住宅制度は、おかしいのではないかとつくづく思う今日この頃である。イギリスなどでは、現役時代には通勤に便利な都市圏で生活して、リタイア後はその住宅を売却して都会田舎に隠居するというか、ゆったりした生活をエンジョイするシステムができがっているようだ。それなりのキャピタルゲインを得て、老後を優雅に過ごす生活スタイルが当たり前のようである。
日本の住宅制度、税制も含め木造の耐久性を20年程度としている。税制に至っては、10年で償却させている。以後はただみたいなものである。それが中古住宅の売買に悪影響を与えていることはなはだしい。
日本の美徳であるもったいない精神を住宅にも当てはめるような制度を作ったらいいと思うのだが、国交省も住宅メーカーとの癒着があるのか、一向に進展しない。最近になって100年住宅とか何とか言っているが、これまでの住宅でもしっかり作ってさえあれば、少なくとも50年は平気で耐えてくれるはずである。ただし大災害特に大地震が来なければの話であるが。
東京直下型地震或いは紀伊半島沖大地震などいずれはくることは間違いないようであるが、願わくば避けて通れたらありがたい話である。
市場があまりにもおかしい価格変動をしたとき、消費者は如何するのか。今年一年のガソリン価格、今になって思えば一体全体何がどうなっていたのかと思える異常事態でした。その異常事態のわずか数ヵ月後に起きたアメリカの銀行、証券会社の破綻、それが引き金となって世界同時景気後退局面に入ってしまった。
「風吹けば桶屋が儲かる」ではないが、ガソリンが上がれば、車が売れない、走らないである。今、ガソリンスタンドが廃業に追い込まれているそうだ。廃業しないまでもセルフに切り替えているスタンドが多い。一時のバブルが、深刻な状況を生んでしまったようだ。
それにしても消費者は賢明である。乗らない、買わないを徹底したお陰でやっと正常な価格を取り戻したのだ。これから始まる冬本番を向かえ、灯油価格も落ち着いてくるはずである。めでたしめでたし。
今日は三連休の最後の日、昨日は久々にG1レース天皇賞で配当を獲得した。熱烈な競馬ファンではないのだが、メインレースは買うようにしている。しかもJRAのIPAT会員なので、パソコンから自由自在に投票できる。今年は全戦全敗の記録更新中であったのだが、天皇賞は二枚も的中していた。配当はしれたものであるが、まずは原価回収できただけ良しとしたい。
ところで、「匂い松茸、味シメジ」とはよく言われた言葉であるが、茸名人がいらっしゃれば後学のために教えていただきたいと思う。息子が米国に勤務中は、毎年この季節になるとカナダ産の松茸を送ってくれていた。カナダ産のものは色が白く、匂いもあまり無かったような気がするが、今日の話は国産ものの話である。
その昔、長野県は上田市にある松茸園に何度かいった経験がある。今もそうだろうと思うのだが、松茸山は毎年入札で山を買うのである。山といっても松茸をとる権利のことであるが、管理人が良く見回りをしてくれていて、その年のできばえを知らせてくれたものである。松茸狩りの後には、松茸ご飯に、松茸汁のご馳走が出て、おまけに松茸のお土産までいただくのである。こんな贅沢な話はめったに無い。
そのときの話であるが、30年も前のことなのではっきり覚えていないのだが、松茸に良く似た茸がある話を聞いたような気がする。みんなで収穫した茸類(松茸がメインだが)を名人が選別してくれていた。山で松茸のとり方から、探し方まで教えてもらったが、そのとき確かに姿形は松茸だが匂わない茸を取ったような気がしている。
どなたか、ご存知の方がいらっしゃれば、是非教えていただきたい。
松茸と松茸に似た茸があるのかないのか?昨晩はそんなことを思いながら眠りについた。今日も良きことがあるのを期待しながら。
茨城のほうでは、にたり貝といって男性性器と全く同じ形をした貝を焼いて出してくれるところがあった。その脇には、必ず女性性器と全く同じ貝がおいてあったのを思い出してしまった。これは余談中の余談であるが。これも本当の貝の名前を忘れてしまっている。歳は取りたくないものである。
食品偽装問題が、後を絶たない。
今回も社員或いは元社員の人たちによる内部告発で明るみに出てきた問題である。北海道ミートホープ社の例では、技術的加工を加えて消費者を欺いた事件であったが、今回の事件はあまりにも低劣で、だまされ続けてきた消費者の五感を疑いたくなる問題であった。もともと名古屋ものとか言って、その信憑性、信頼性、品質を疑う言葉さえある。(失礼)この地域で起きた今回の事件は、地域ぐるみでもっと大きく取り上げる問題だと思うのだが?
それにしても、今回の事件はひどすぎる。肉類は腐り始めたものが、おいしいというけれども、匂いが出て、青みを帯びてきたものと鮮度の良い品を混ぜ合わせて商品にしていたとのお話に至っては、この地区にお住まいで、その商品を食した人たちは、決して気持ちの良いものではないはずである。よくぞ中毒問題が起きなかったと思う。
だがしかし、賞味期限、消費期限なるものをよく考えなければならない。私この二、三日賞味期限を1ヵ月も過ぎた納豆を食べた。納豆そのものが、発酵食品である。長く置いて悪くなる商品ではない。むしろ醗酵が進んで味がでてくるのでは?これは少しオーバ-な表現だが、ものによっては各家庭においてよく判断しながら、判別すべきかと思うのである。そうでなくとも何もかも値上がり続きの時代である。
近頃、衣料品販売店においても、大型電気店においても賞味期限の近づいた食料品をバーゲンしている風景に出会う。大いに結構なことである。消費者は、よくよく考えながらこうしたバーゲン品を活用すべきときに来ていると思うのだが?
もっともベテラン奥様方はとっくにご承知、今更な何をといわれるかもしれないが。
山野草は実に楽しい。中でも育てるのに一番難しいのは、寒蘭でありもう一つ熊谷草だと思う。
しかし、植物も環境整備が一番、植える場所がその植物に適さない限りいつの間にか消えてなくなってしまう。適者生存、適地生存である。確かに植物はここがいやだと思っても自ら動いていくわけには行かない。静かに去るしかないのだろう。
そんなことをつくづく思い知らされた一日だった。
石油価格の高騰もあり、寒く険しい冬も終わりを告げた。季節はめぐり春本番の陽気になりつつある。ありがたい、めぐみの太陽に感謝。
今年も我が家の雪割草が咲いてくれた。やがて10年にもなろうか、年々株の大きさが大きくなり今年は虫害を防いだお陰で多くの花をつけてくれた。今考えるとピンク系統にすればよかったのにと思うが、当時は雪割草は白だと決めてかかっていた。
世間では、円高、ガソリン高、輸入食品高、鉄鋼製品高その他メジロ押しに高値製品のオンパレードである。かんべんしてほしい。こちらは年金生活者だ。
それにしても、今の政治はどうなんだろう。これほどまでに堕落した政治は見たことが無い。何も決められず、何も見通せず、何も議論できず、ただ時間を費やすばかり。情けない。
今日は、可憐に咲く雪割草の花をとくとご覧あれ。
病院を訪れる年寄りが、ながく生き過ぎてしまったとか生きていく元気が見られないとか生活苦を匂わせる言葉を聞くという。確かに、弱者の切捨てとか、勝ち組、負け組みとかそんな字句が新聞をにぎわせている。
これから始まる諸物価の値上げ、ガソリン、灯油の高騰、医療窓口負担金の負担増、なけなしのお金には金利も付かない。経済界も政界も証券界も元気が見えない。日本総自信喪失の有様である。
そんな中、出井伸之先生の「日本進化論」を読んだ。さすがに世界をまたに駆けて活躍したソニーの元会長だけあって、その見識の高さに感銘したものである。
サブタイトルの「2020年に向けて」にあるとおり10数年後の世の中を予測しておられた。ICチップの日進月歩はすさまじく、ここ数年で現在考えられない製品群が出現するということだ。何しろナノ(1メートルのマイナス9乗)の世界である。
こんな世の中になったら、歳よりは生きていけないような気がする。難しい世の中になったものである。
長生きもそこそこがいい。
地球に生きとし生けるもの、自然を崇め高めて共生を考える時期に来ているように思う。病気にしても然り、すぐに薬を頼り、医者を訪ねて治療に当たる。病院も一箇所ならず、はしごで渡り歩く姿が見られる。自ら保持している自然治癒力を高めることも忘れてやしませんか。
そんなことを思いつつ、今日は春の花を掲載しようと思う。
なぜか?それは残留農薬の範疇を越える濃度の有機リン系殺虫剤が混入していた事実からである。餃子一つに含まれる野菜がどれほどの量であるかを考えてみても分かる。それでは、どの段階で混入してしまったのだろうか。意図的、作為的に混入したものなのか、製造段階で混入したものなのか、調査を待つしかないが、製造段階で混入したとは考えにくい。
現在、中国警察が立ち入り調査を始めたようであるが、1,300tも輸入している実績から見て、日本の輸入会社が協力して調査隊を派遣すべきであろう。自給率30数パーセントしかない日本の食糧事情、この問題が解決するまで冷凍食品が食べられなくなると値上げ続出中の家計に大きな問題を残すことになるだろうと思う。
問題続きの厚労省、舛添大臣に立ち上がってもらわなければならない。食の安全、安心は人任せにはできない。自分で守るしかないのか?悲しい現実である。
今日は雪模様、9時から取り掛かり午前中の悪戦苦闘の末、ギブアップ、ヘルプ相談を頼ることにした。パソコン関連のソフトの削除やインストールは大変時間のかかることであり、本日担当の女性はさすがにゆったりと嫌がりもせず懇切丁寧に指導してくれた。どこかの役所(社保庁)と違い国税庁の皆さんは(おそらく派遣社員か出向社員と思えるのだが)実に見事に指導してくれた。
何かその親切が、実にありがたく幸せを感じたものである。スタッフの皆さんにお礼を申し上げたいと思う。
来年からは、一時間もかけずに確定申告ができるはずだ。おまけに少しばかりの還付金とe-Taxによる5,000円の補助までいただけるなんて実にありがたい話である。皆さんにもお勧めする次第、是非挑戦してみてください。
福田総理を始め、政治家の皆さんにはもう少し国を憂え、この国の将来について真剣に取り組んでもらいたいと思う。新テロ特措法がどうのサブプライム問題がどうの自民党が或いは民主党がどうのと騒ぎ立てている。マスコミも一緒になってつまらない問題を追い続けている。それでいいのか?
そうした中、円高は進み株安は底なし沼の様相である。ガソリン、石油は何処まで上がるのか。それらの影響により、物価は静かに値上がり傾向にある。おかしな法律を創って派遣社員を増大させ、パート社員を増やし給料は一向に上がらない状態である。どこか何かが狂い始めていることに気がつかないのだろうか。
あれほどまでに問題になった日銀の福井総裁は居座り続け、金利も異常な低金利を続けている。誰のための低金利なのか?国の借金と銀行の救済のために十数年も放置してきた無策の結果が今日の不況を生み出していることに気づかないはずはない。上から下まで無責任体制が蔓延してしまっているのだ。
「日本人の品格」とか「女の品格」がヒットしているとかであるが、ここに至っては品格云々と高貴なことを言っていられないはずである。なりふり構わずがむしゃらに改革を進め経済も教育も世界のトップを目指さなければならないと思う。
世は乱れ、連日の殺人事件、強盗事件の連続である。こんな日本に誰がしたである。まずは、政治家が率先垂範、自らの身を清め政治に何が求められているかを真剣に考えてほしいものである。その姿勢を見せてこそ次の選挙で勝ち残る方策であること間違いないと思うのだが。
後日談(1/20追記)、今日の週刊誌情報によると日銀の福井総裁の任期は、この3月だそうだ。後任候補については、自民、民主それぞれが推薦しているようであるが、政策的には大きな変化はないような記事であった。先日とある政治家だったか経済学者がいっておられたが、少なく見積もってみても国民の預貯金は1千兆円あるはずだ。この金利を2.5%で計算しても25兆円の金利がつくはずである。これを消費すれば景気も速やかに回復基調になるとか、これは間違いなく真実である。株安円高がこれ以上進むようであれば、ますます金利をいじれなくなってしまいそうだ。そうなると日本沈没の日もさほど遠くないかもしれない。せいぜい海外旅行にでも出かけて鬱憤を晴らすことにしよう。
先日15年も使っていただろうか、ポットがこわれしまった。2.2Lのかの有名なブランド製であった。我が家では電気ポットは、女房殿が嫌いなため旧来のポットを使用しているのだが、これが驚いてしまった。10数年前のものは、約一日お湯の状態を維持していたが、今回新たに購入したポットは半日で冷めてしまう製品であった。
世は日進月歩の世界に入っている。15年も前の製品より保温力に劣っている製品を平気な顔で製造販売しているメーカーの良識を疑いたい。反論として世は電気ポットの時代であるというかもしれない。しかし、電気ポットは90度?くらいまでしか温度が上がらないのだ。沸騰点まで達しないのを嫌う人だっていることを承知してもらいたいものである。
デジカメは半年サイクル、パソコンは1年サイクル、次から次へと画素数を増やし新たな機能も装備してきている。とても日進月歩に追いつけない世界である。こんな世界もあるのだが、日用品特に毎日欠かせない必需品が、この体たらくでは困ってしまう。
何処がどう違うのだろうか。中国で作っているために真空技術が悪いとでも言うのだろうか?ますます古いものが好きになってしまった。その名は象印である。
ちょうど今頃の暖かい日を小春日和という。しかし、今日の暑さは、そんな風流な表現を越えてしまっている。むしろ暑さを感じてしまった。
このまま四季がずれ込み、温暖化が北上を続けていくとどうなるのだろう。大阪でバナナが栽培され、リンゴなどは北海道北部でしか栽培できなるかもしれない。米など二毛作が当たり前、九州では三毛作も可能になるかもしれない。
そんなことより東京の0メートル地域は海になってしまいそうだ。北極と南極の違いは陸地の上に氷が被い尽くしている(南極)のと海に浮かんでいる氷山(北極)の違いなのだそうだ。北極では白熊が住めなくなってきているとか。どうなる地球環境、温暖化をくい止めるためにCO2排出規制を世界的に進めなければと思うのだが、一向に世界は一つになれないでいる。いつか自然の大反撃が起きるかもしれない。そんなことでもなければ、改まることができないなんて残念なことだ。
昨日、SEIKOが初めてこの世に販売したクォーツ腕時計の電池を入れてみた。20数年が経過しているにもかかわらずきちっと時を刻んでくれた。現在の時計の二倍の厚さであるが、これも流行は繰り返すのか、また今厚めのものが結構出回っている。当時はデザインの関係ではなく、技術的に薄くできなかったはずだが、電池にしてもLR44という今ではおもちゃの類か補聴器等にしか使われなくなった電池を使用している。電池もまた日進月歩の世界であると思う。
電池の持ちもあまりよくなかったと思うが、そんなことから次期モデルである発電装置付の時計を購入した。発売当初は、2~3日の蓄電しかできなかったが、改良されて1週間程度は放置できる形へ改良されたように記憶している。ところが、こちらは10年後には、発電も勿論蓄電もできなくなってしまった。これを修理に出せば安い時計が10個も変えるくらい修理代に取られそうである。こちらはあきらめることにした。
Long Long Ago エネルギー不変の法則とやらを学んだが、永久に動き続けられるような機械は存在しないことがはっきりした。動くものは止まり、飛んでいるものは落ちる。これが自然の法則であるはずだ。先の話に戻って、最近では太陽電池で動く時計が主流となっている。これも必ず寿命があるはずだ。それが何年になるかはまだ不明である。
また痛ましい事件が起きてしまった。しかも自宅前で起きた事件である。こんな惨たらしいことがあっていいのか?日本の社会全体を再検証する必要があるのではないだろうか。
この類の事件を起こすのは、勿論性格異常者或いは何らかのDNAを持った人たちによるのだと思うが、私は自衛のあらゆる方法を考えておかなければならないことだと思う。今も昔も変わりなく、子供は明るいうちに家路につくことを習慣づけることである。今回の事件も、やや薄暗くなる時刻を狙った事件である。全国的に6時を回れば暗くなる時刻である。事件を起こし逃げやすくなる時間帯での出来事なのだ。
昔でも人攫い事件が起きていた。だから、親たちは暗くなると人攫いが来るといって子供たちを明るいうちに家路につかせることをしっかりうえつけていたのだ。ましてや子沢山で今のように子供一人ひとりに気をつけている時間さえない時代であった。
被害にあわれたご家族、ご親族にはお悔やみを申し上げるしかないけれども、この辺で子育ての基本をもう一度見直すことも必要な気がしてならない。二度とこのような惨たらしい事件を起こさないためにも。